ふれあいの森自然学校 活動報告

ふれあいの森自然学校が活動している内容を紹介しています。
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2016年9月15日、自然のふしぎ講座 「岐阜で2番目に高い山散策」

2016-09-16 12:51:35 | 自然のふしぎ講座
「いざ、出陣」

時は安土桃山時代慶長5年9月15日、天下分け目の関ヶ原の戦いが開始されたこの日
わが、ふしぎ講座の皆さん「足軽」一行は金華山の岐阜城に七曲コースから日本近海に台風が複数発生中、天気曇りでこれからお城攻めの開始です

                               「進行中」

左右ツブラジイが多い樹林帯を「足軽一行」は、元気に歩いています。

                                                       「垂乳根アベマキ」

枝か根か?2本の木が癒着したその後片方の根元部分が腐ってこのようになった?とても不思議な木です、一見の価値あり!!。我が「足軽一行」は長い階段状の登山道で少しアゴが出てきました

   「岐阜城」

お城の手前通路右側にある「カゴノキ」斜面下から生えているので木肌のパッチワーク枝、は、果実が横からとてもよく見られます。我が、「足軽一行」はお城に到着これからランチタイム元気を取り戻しました。

                                 「絶景かな!絶景かな!」

瞑想の小路を下りてきました、昔この道はお殿様の緊急脱出の秘密の道で一部の人しか知られていませんでした、とても瞑想をしていられる様な道では御座いません、我が、「足軽一行」はここで岐阜市北部の景色を楽しみました

                                                       「ヒトツバ」

瞑想の小路にはヒトツバの群落を見ることができますシダ植物です松尾芭蕉の俳句「夏来ても、ただひとつ葉、一葉かな」の碑があります我が「足軽一行」は上り七曲コース、下り瞑想の小路コースを利用してぐるっと1周しました。
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7月3日 なるほど自然講座「夏の食用きのこ・毒きのこ」  in ふれあいの森 パート1

2016-07-05 17:43:02 | 自然のふしぎ講座
         雨後の竹の子みたいにニョ~キニョキ

キノコといえば秋の味覚・・・と誰もが思いがちですが、森林文化アカデミーの津田先生のお話によると、食用キノコはもう夏からすでに出始めている、と言われ皆さん「へ~!」と驚いていました。採取時の注意事項を守って、さあキノコ狩りですー☆彡一週間前にはキノコが少なかった森の中に、ここ2~3日続いた雨でいろんな種 類のキノコが顔を出していました。

                              ノボリリュウタケ

林床にたくさん生えていたのがこのキノコ。見るからに毒キノコみたいな姿をしていますが、先生の同定によると食用の「ノボリリュウタケ」とか。西欧では妖精の鞍と呼ばれているそうです。姿かたちだけではキノコはわかりません^^;

                                                  全員で同定です

採ってきたキノコの同定を自分でします。種類が多くてなかなか名前が見つかりません。日本で見つかっているキノコで名前がついているのはなんと1/3だけだそうです。キノコを研究したらその道の達人になれるかもしれません(^◇^)
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6月19日(日)大智寺と獅子庵ぶらぶら散歩・俳句を作ろう パート1

2016-06-20 15:30:32 | 自然のふしぎ講座
 各務支考の住居址獅子庵と大ヒノキで有名な大智寺は、俳句作りに持って来いの場所です。俳材いっぱいの三輪の里で、俳句作りの講座をしました。講師の梅村五月先生は、獅子庵の看住を20年余も務めておられます。そして,「初心者大好き」と、私達を大歓迎して下さいました。

獅子庵での座学 お行儀のよい事!

 「芭蕉の門下十哲の一人各務支考は、美濃風の俳句を始めた人です。俳句の神様と言われ、芭蕉の業績を全国に広めました、、、。」

            各務支考の梅花仏(鑑塔)と連塔(弟子たちの句碑)を観たら、庵を出て、さあ!吟行へ

☆2句以上作りましょう。 ☆初めに季語が入ると、作り易いですよ。☆じっと観て。つぶやいて。言葉にして。俳句つくりのぶらぶら散歩は、暑くなくって良い気持ちでーす。


                                          コウホネの葉陰にのぞく黄一輪

大人になると見たまんまを言葉に紡ぐという作業は並大抵のことではありません。何故に子供たちはいとも簡単に言葉に変えられるのでしょうね~~。知性と教養が有るようでないのかも知れまん、などと自分を基準に置いて考えるとお叱りを受けますね(>_<)
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2016年6月5日(日)世界に誇る、関刀鍛冶見学  パート1

2016-06-07 10:13:52 | 自然のふしぎ講座
      「製造工程です」

まずは砂鉄から選りすぐりの鉄分を選び玉鋼を作ります。1kの日本刀を作るのには約10kの玉鋼が必要です。画面上で一番右から左端の日本刀までの工程が一目で見られます。

                               「ファイヤー」

日本刀が作られ始めたのは奈良時代以前だと言われています。砂鉄を溶かし玉鋼を作りさらに鍛錬を重ねつつ刀を作るのに鉄を溶かす火力が必要です。お茶を沸かす炭火は約800°有名な備長炭は600°で同じ温度が長時間続くので魚などを焼くのに向いていますが、刀つくりには温度が足らないのです。短時間しか燃えないけれど高温が得られる松炭を使用します。炎の色は、暗い赤→赤→オレンジ→黄金色へ、正に炎の芸術です。

                                                   「槌打つ響き」

鍛錬場はコンクリートではなくたたき仕上げになっています。ツチを打ち付ける時に反発が強いと良くないからですね・・・こんな所にもそれなりの理由が有ってそのように仕上げてあることがとても良く分かります。玉鋼を伸ばして真ん中に斧で切れ込みを入れさらに打ち付けて・・・この作業をやく15回ほど繰り返して不純物を取り除きながら精錬していきます。約33.000の層が出来上がります。これが世界に誇る【折れず・曲がらず・よく切れる】という理屈では相反する刃物が出来上がるわけです。参加者の方がツチ音で唱歌「村の鍛冶屋」を思い出したとおっしゃって見えましたので、3番を掲載します。戦時中は不適当と削除されたとか・・・
唱歌、村の鍛冶屋 
刀はうたねど大鎌小鎌  馬鍬に作鍬(さくぐは) 鋤(すき)よ鉈(なた)よ 平和の打ち物休まずうちて 日毎に戦う 懶惰(らんだ)の敵と


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2016年6月5日(日)世界に誇る、関刀鍛冶見学  パート2

2016-06-07 10:03:51 | 自然のふしぎ講座
「鍛冶伝承館」

「この建物の右側で、古式日本刀鍛錬が公開日に見られます」長良川の鵜飼いと同じく、「いつでも見られる」と思っている故なかなか見た事が無いのが実情では?ぜひ一度足を運んでみてください。奈良時代以前より刀は作られていたようですが連綿と継承されているのにはそれなりの理由があると思います。その一端を垣間見ることが出来るかもしれません・・・                                                                                                                                                                  「見てます、見てます」

「伝承館より徒歩5分のところにカミソリと精密刃物を展示する世界初の刃物の博物館、フェザーミュージアムです」
                                                                                                                                                                      「切る」

「押して切る、引いて切る、はさんで切る、けずり切るなど「切ると一言で言っても、実にいろいろな切るものがありますね「切る」おもしろいですね!

今から約780年前、鎌倉時代末期に初めて関で日本刀が作られました、「折れず曲がらずよく切れる」刀を追求してきた関の刀は、後に「関伝」と言われ戦乱期の室町時代に大いに隆盛を極め多くの名工が生まれました、孫六兼元や和泉守兼定など江戸時代になると刀剣の需要が減り一部の刀匠は包丁小刀はさみなどを作る打刃物鍛冶に転じた、明治の廃刀令により刀鍛冶たちは家庭用刃物を生産した大正時代には金属洋食器、昭和に入り安全カミソリ、戦時中は軍刀生産、戦後は再び伝統技術を生かし色々な切る商品を作り現在に至りました。
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