思惟石

懈怠石のパスワード忘れたので改めて開設しました。

『そこに僕らは居合わせた』 誰もが居合わせる可能性ある戦争の側面

2023-07-14 10:53:47 | 日記
『そこに僕らは居合わせた』
グードルン・パウゼヴァング
高田ゆみ子:訳

著者は1928年ドイツ生まれ。
正確には、当時ドイツ領だったボヘミア東部の
ヴィヒシュタドル(現チェコのムラドコウ)に生まれ。
終戦は17歳。
戦後は西ドイツへの移住を余儀なくされたらしいです。
(そのモチーフの短編も収録されている)

作家としての初期はナチスや戦争のことは書かなかったが、
90年代からは続けて書いている様子。

以下のあらすじがこの本の内容をしっかり伝えていると思う。
”17歳で終戦を迎えた著者は、「軍国少女」から、
戦後は価値の180度の転換を迫られた世代。
「この時代の証言者はまもなくいなくなる。
だからこそ、真実を若い人に語り伝えなければならないのです」
自らの体験や実際に見聞きしたエピソードから生まれた
20の物語”

ひとつひとつの物語に、ある種の生々しさがある。
陰惨な事件とかではないのだけれど、
人の心の深いところをナチスに大なり小なり影響されている様子は
他人事ではない。
誰だってそこに居合わせる可能性がある。

第一話「スープはまだ温かかった」はなかなか衝撃的な短編。
ショックを受けつつ、話者と戦前の田舎生まれの母の距離感から
ちょっと距離を置ける話しでもある。

と自分に言い聞かせながらつづく第二話「潔白証明書」。
これはもう、誰もがこの母にも娘にもなり得る。
第一話で衝撃的だわと言いつつも呑気な距離感でいたところ、
まったく他人事ではない近距離まで一気に詰められる。
お前はどうだ?という絶妙な力加減でこちらを揺さぶりつづける。
すごい短編集だと思う。

著者のエピソードとして描かれる優生人種と劣等人種の授業などは、
数年前に流行った「動物占い」っぽさがあって
「私はどれだろう?あの子は?」とノリノリで考えてしまうのも
まったくもって他人事じゃない。
私もきっと参加してしまう。

童話の性犯罪者のイメージをユダヤ人として描くというのも、
10歳前後で聞いて衝撃を受ければ、
それは一生物の「印象操作」となるだろう。

それぞれの物語に、それぞれの恐ろしさと悲しさがある。
一方で、これを伝えようと書いてくれた作者を尊敬します。

繰り返しになるけれど、そこまで陰惨な描写はないので
読みやすい物語ではあると思う。
ただ、そこには深い深い問いがある。
人類は深淵を見る前にこの本を見た方がいい。
広く読まれるべき一冊。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『大唐帝国―中国の中世』 読... | トップ | 『カラー版 名画を見る眼Ⅰ』... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事