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『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』 再戦&読了!

2024-09-13 14:58:21 | 日記
『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』
森安孝夫

わはははは読了したぞ!
勝った!!!(何に?)

なんか、バッタ博士の読みやすい文章
ココロと脳をほぐしてもらった後に
「今なら読めるかも…」と思ったのさ。

そして、前回ギブした辺りから読み直したら
意外と楽しく読み切れたのさ!
ありがとうバッタ博士!(でいいのかな?)

真面目に言うと、
森安先生は今の学校教育や公的な世界史観に
いろいろと物申したいことがあるのだ。
それは事実で、序文もあとがきもなかなか強火だし
ボリューミーなのだが。
(そういうとこの好き嫌いはあると思う。私はあまり食えない)
とはいえ、本業の部分はちゃんとしている。
めっちゃソグド人のこと好きで
中国および近隣諸民族の歴史・文化・言語に
ゴリゴリ精通してらっしゃるゴリ研究者なのである。

というわけで、本業部分、おもしろかった。

そもそも私は「ソグド人」という存在をわかっていなかった。
コーカソイド系で、ルーツはブハラやサマルカンドなどがある
豊かなエリア・ソグディアナ。
シルクロード沿いにソグド人聚落をつくって
商人やっているイメージが強いが、武力もある。
唐代まではどの時代・どのエリアにもいるなあ〜って人々。

「薩宝(さっぽう)」はソグド人聚落のリーダーの官称。
時代と共にゾロアスター教指導者の肩書になる。

シルクロードの「河西回廊」は
  敦煌 ― 酒泉 ― 武威(涼州) ― 蘭州 ― 西安
さらに西域は、
  ソグディアナ ― 葱嶺(パミール) ― 西域南道 ― 敦煌

私、敦煌ってかなり「西域」だと思ってました。
そこから西域南道(もしくは天山南路)でタクラマカン砂漠を
越えなきゃならん。
ぜんぜん遠いぜ、西域…。

シルクロードの距離感を読んでいると
「玄奘ってすごいよな(体力が)」と思います。
(玄奘は、唐がぶいぶい言わして西域を併合する真っ只中に
 シルクロードを旅しており、体力どころか胆力もどうかしてる。
 628年に高昌国王・麴文泰(きくぶんたい)に会い(640年滅亡)
 その後に西突厥の統葉護(とんやぶく)可汗に面会。どうかしてるぜ)

唐代に西域支配した体制は「羈縻(きび)」と言い
異民族社会はそのまま維持し、朝貢の義務がある臣属関係。
これで大唐帝国最盛期は
ウイグル・バヤルク・同羅(とんぐら)・僕骨(ぼくこつ)を
支配したそうです。
名前かっこいい。

トルコ系やアラブ系とも接点があるので、
お互いの呼び名の違いとかもおもしろい。
たとえば中央ユーラシア、トルコ系民族は、
「唐」を「タブガチ」と呼んだらしいんです。
これは「拓跋(たくばつ)」が訛ったもので、
拓跋王朝(群雄する民族国家のひとつ)と認識されていた様子。
逆に、唐ではアラブ人を大食(タジク)と呼んだそうで。
由来はなんなんだろ?
ウマイヤ朝が白衣大食、アッバース朝が黒衣大食だそうです。

唐における「胡風」の大流行や
(音楽のところで篳篥(ひちりき)の話しもあった。
 クイズノックで予習したやつだ!)
突厥帝国やウイグル帝国と、安氏の乱(755年)の関係など、
いろんな角度でソグド人のことが描かれており、
「先生、ソグド人のことほんと好きなんだね…」
と感動するに至った。
いや、ちゃんと勉強にもなった。
ありがとう森安先生!

最後にもう一度だけ読むコツを。
強めの主義主張が苦手な人(私だけか?)は
120ページから読むとよろしいかと。
コメント
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