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プロローグ『コンスタンティノープルの陥落』世界史たのしい!

2021-06-14 14:10:41 | 日記
1453年、
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)最後の砦
コンスタンティノープル(現イスタンブール)が
オスマン帝国によって陥落します。

これにて紀元前から続く古代ローマ帝国
(395年に東西へ分裂。西ローマ帝国は486年に滅亡済み)は
完全に滅亡しました。

塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』は
そのお話しです。

ちなみに
9世紀頃に成立するゲルマン系“神聖ローマ帝国”は
古代ローマ帝国とは別物。諸説あるけど。


さてと。
塩野先生の本を読む前に、脳みそを整理しますよ!
歴史オンチと地理オンチだからね!つらい!!楽しんでるけど!!

まずは
<オスマン界隈の名詞>
なにかと表記揺れする上に
塩野史観が、結構、独自路線な表記なんですよ。
近年、学術界隈では固定されているっぽいですが、
塩野先生の執筆時はそうでもなかったのかもしれません。

以下、ざっくり。

          ー塩野七生作品内ー      ーオスマン帝国視点ー
国名:        トルコ帝国(通称トルコ)    オスマン帝国
6代目スルタン:    ムラード            ムラト2世
7代目スルタン:   マホメット2世        メフメト2世
(※数字はオスマン王家内の即位順)

ぶっちゃけ、メフメトよりはマホメッドの方が耳馴染みあるけど
令和ではメフメトなのです。覚えておこう。

そしてしつこいけど、今回の主題である
”コンスタンティノープル陥落”は1453年!
(どうでもいいけど日本では足利義政が将軍の時代)
それに先立っての

<前史をざっくり>

1300年代:
【進撃のムラト1世(3代目スルタン)時代到来】
アナトリア(地図の右側ね、って、地理が苦手な人間ならでは
の表現で申し訳ない。もちろん地図はぐるぐる回して見るタイプ)
とバルカン(地図の左側ね!)双方に領土拡大、スタート!

1394年:
【コンスタンティノープル包囲】
バヤズィト1世(4代目スルタン)による包囲開始。
ビザンツ帝国大ピンチ!
ところが…

1396年:
閑話休題【ニコポリス十字軍】
塩野先生的には1291年のアッコン陥落にて
十字軍は終わっていますが、
その後の西ヨーロッパから東方への小規模遠征に
「十字軍」の名が冠されることがしばしばあります。
とくにオスマン視点ではよく出るので
『十字軍物語』大好き人間としては
「それは十字軍じゃない!!」と言いたくなる。
今回の十字軍の実態は、西ヨーロッパからビザンツ帝国への援軍。
ドナウ川のほとりニコポリスで回戦、
オスマン圧勝で終了である。

1402年:
【アンカラの戦い】
中央アジア(アナトリア、地図の右側ね!)のティムール(超強い)が
オスマン帝国に遠征。
バヤズィト1世、帝国の西コンスタンティノープルから
慌てて東端に駆けつけたものの総崩れ。
バヤズィト1世はティムールに囚われ、死亡。
ビザンツ帝国、ギリギリ危機一髪!

〜オスマン帝国後継者争いの為、ビザンツ帝国しばし休憩〜

1421年:
【ムラト2世即位】
後継者争い収拾

1428年:
【オスマン帝国、セルビアを属国化】
続いてアルバニアにも、順次支配圏がひろがります。
そろそろヤバい。

1443年:
【ムラト2世退位】
セルビア・ハンガリーと10年間の和平条約を結び、
ムラト2世はご隠居に。
今回の主人公の一人メフメト2世が若干12歳で即位。

1446年:
【と思ったら、ムラト2世復位】
ムラト2世の翻意とも、
大宰相ハリル・パシャの判断とも言われているが、
メフメト2世、いずれにせよ鬱屈をためる。

1451年:
ムラト2世逝去により
【メフメト2世19歳で再即位】
さて、俺はコンスタンティノープル陥落させるよ!
がんばるよ!!!
となります。

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