『オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか』
新井政美
講談社学術文庫
サブタイトルの通りですが、
ヨーロッパが感じていた「トルコの脅威」とは何だったのか。
を、両者の視点から解きほぐす一冊。
前半では、世界視点でオスマン帝国の成立までを描きます。
後半は、オスマン側に軸足を置きつつ、ヨーロッパとの関係性を解説。
あっちこっち読んでいた講談社現代新書たちの
コネクティングザドッツみがある一冊。
楽しいな!
前半でおもしろかったのは民族大移動かなあ。
モンゴル強すぎてトルコ系が西に押され、
トルコ系遊牧民(フン族)が強すぎてゲルマン人が西に大移動する。
これが世界史で習う「ゲルマン民族大移動」である。
って、ゲルマン民族、玉突きで押し出されてるじゃん〜。
モンゴルつよ〜。
(ノルマン人大移動のつよつよエピソードに比べると
味わい深いなあ、と笑
いきなりイギリスと南イタリア&シチリア征服してるの、
「ほげ〜」って思ったけど、やはりモンゴル最強か…)
あとは、アラブ系イスラム国家から、
トルコ系イスラム国家への変遷もおもしろかった。
11世紀までにカラハン朝、セルジュク朝が
トルコ系イスラム教国になる。
→アナトリアのイスラム化&トルコ化が進む。
→アナトリア=ルーム(ローマの意)から
トゥルキーヤ(トルコ人の地)へと変遷。
ふむふむ。です。
後半。
オスマン帝国が一気に拡張した時代、
バヤズィト1世と戦った(1396年)のは
ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ジギスムント。
この人は後にヤン・フスを火刑に処してフス戦争を引き起こす人。
ジギスムントの父は神聖ローマ皇帝カール4世。
ハプスブルクの破天荒野郎ルドルフに振り回された苦労人。
コンスタンティノープル陥落(1453年)の
メフメト2世の時代は、
フリードリヒ3世(神聖ローマ帝国の大愚図)の時代。
(ビザンツ帝国滅亡の際のフリードリヒへの
菊池先生による悪口は冴え渡っている笑)
オスマン帝国の英雄スレイマン(1520−1566)の時代は、
神聖ローマ皇帝カール5世(ハプスブルク)と
フランソワ1世(フランス・ヴァロワ朝)がゴリゴリに
喧嘩していた時代だというのも、ドッツ味があって楽しい。
カール5世の息子はフェリペ2世。
イギリス女王メアリと結婚してた人(色気むんむんの皇太子画の人)。
フランソワの息子はアンリ2世。
嫁はカトリーヌ・ド・メディシス。
息子が3アンリの戦いに負けヴァロワ朝終了。
そしてスレイマン時代のオスマン帝国は
ビザンツを滅ぼした直後でイケイケである。
スレイマンが皇帝(カエサル)を自称し、
東西帝国を統べるという意識があったという視点は新鮮だった。
版図を見ると、それも納得という広大さだ。
スレイマンは、カール5世のことを「スペイン王」としてしか
認識していなかったというのも面白い。
お前、ハンガリーになんでちょっかい出してくんの?
と思うよな、そりゃ。
ミケランジェロやダヴィンチも
イケイケ時代のオスマン帝国からお誘いがあったとか。
散々迷ったけど二人はヨーロッパに留まったとか。
こうやって見ると、当時、思想的に拓けていたのは
断然オスマン側だったんだなあ、と。
歴史って学べば学ぶほど学びの味が出る。
するめみたいだな。
新井政美
講談社学術文庫
サブタイトルの通りですが、
ヨーロッパが感じていた「トルコの脅威」とは何だったのか。
を、両者の視点から解きほぐす一冊。
前半では、世界視点でオスマン帝国の成立までを描きます。
後半は、オスマン側に軸足を置きつつ、ヨーロッパとの関係性を解説。
あっちこっち読んでいた講談社現代新書たちの
コネクティングザドッツみがある一冊。
楽しいな!
前半でおもしろかったのは民族大移動かなあ。
モンゴル強すぎてトルコ系が西に押され、
トルコ系遊牧民(フン族)が強すぎてゲルマン人が西に大移動する。
これが世界史で習う「ゲルマン民族大移動」である。
って、ゲルマン民族、玉突きで押し出されてるじゃん〜。
モンゴルつよ〜。
(ノルマン人大移動のつよつよエピソードに比べると
味わい深いなあ、と笑
いきなりイギリスと南イタリア&シチリア征服してるの、
「ほげ〜」って思ったけど、やはりモンゴル最強か…)
あとは、アラブ系イスラム国家から、
トルコ系イスラム国家への変遷もおもしろかった。
11世紀までにカラハン朝、セルジュク朝が
トルコ系イスラム教国になる。
→アナトリアのイスラム化&トルコ化が進む。
→アナトリア=ルーム(ローマの意)から
トゥルキーヤ(トルコ人の地)へと変遷。
ふむふむ。です。
後半。
オスマン帝国が一気に拡張した時代、
バヤズィト1世と戦った(1396年)のは
ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ジギスムント。
この人は後にヤン・フスを火刑に処してフス戦争を引き起こす人。
ジギスムントの父は神聖ローマ皇帝カール4世。
ハプスブルクの破天荒野郎ルドルフに振り回された苦労人。
コンスタンティノープル陥落(1453年)の
メフメト2世の時代は、
フリードリヒ3世(神聖ローマ帝国の大愚図)の時代。
(ビザンツ帝国滅亡の際のフリードリヒへの
菊池先生による悪口は冴え渡っている笑)
オスマン帝国の英雄スレイマン(1520−1566)の時代は、
神聖ローマ皇帝カール5世(ハプスブルク)と
フランソワ1世(フランス・ヴァロワ朝)がゴリゴリに
喧嘩していた時代だというのも、ドッツ味があって楽しい。
カール5世の息子はフェリペ2世。
イギリス女王メアリと結婚してた人(色気むんむんの皇太子画の人)。
フランソワの息子はアンリ2世。
嫁はカトリーヌ・ド・メディシス。
息子が3アンリの戦いに負けヴァロワ朝終了。
そしてスレイマン時代のオスマン帝国は
ビザンツを滅ぼした直後でイケイケである。
スレイマンが皇帝(カエサル)を自称し、
東西帝国を統べるという意識があったという視点は新鮮だった。
版図を見ると、それも納得という広大さだ。
スレイマンは、カール5世のことを「スペイン王」としてしか
認識していなかったというのも面白い。
お前、ハンガリーになんでちょっかい出してくんの?
と思うよな、そりゃ。
ミケランジェロやダヴィンチも
イケイケ時代のオスマン帝国からお誘いがあったとか。
散々迷ったけど二人はヨーロッパに留まったとか。
こうやって見ると、当時、思想的に拓けていたのは
断然オスマン側だったんだなあ、と。
歴史って学べば学ぶほど学びの味が出る。
するめみたいだな。