鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その18

2015-06-30 05:01:48 | Weblog
第5図は、大きな川に架かる長い木橋と、その橋の左側の土手筋にある家並みが描かれたもの。よく見ると左詰(おそらく南詰)の西側土手には、頂きに木の板状のものが何本も突き立った盛り土のようなものがあり、その左奥にはお寺の山門のようなものとお寺の本堂のようなものなどが建っています。その日の行程から考えれば、この幅の広い大きな川は豊川であり、赤坂宿・御油方面から東海道を歩いて豊川を渡る長い橋と言えば吉田大橋であるということになります。吉田大橋の左側に描かれた道が東海道であり、この吉田大橋を渡ると、すぐに左折して川沿いをしばらく歩くことになります(そのまま東海道を進めば御油宿や赤坂宿、藤川宿を経て岡崎城下へ至ります)。従ってここは藤川宿方面から東海道を歩いてくれば、豊川に架かる吉田大橋を渡り切ったところ(南詰)ということになり、豊川の土手沿いを中心にあった吉田船町の家並みと、川幅の広い豊川に架かる吉田大橋、およびその川向こうに見える本宮山の山並みを描いた絵であるということになります。では吉田大橋の南詰からやや西側(豊川の下流側)へ入ったところにあるお寺はどこかと言えば、それは浄土宗の橋本山龍運寺であるということになり、この絵の左端に描かれた建物は、龍運寺の山門や本堂などであるということになります。かつて吉田大橋南詰の西側の土手上には、板状のものが何本もその頂きに突き立った盛り土のようなものがあったことが、崋山の絵からわかるのですが、これが一体何であったのかは今のところよくわかりません。 . . . 本文を読む