鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その9

2015-06-15 05:07:10 | Weblog
吉良上野介義央(よしひさ)が領内巡回の際に乗ったとされる馬は「吉良の赤馬」と言われて郷土玩具にもなっているのですが、農耕用の赤毛の馬であったらしい。吉良地方は「饗庭塩」の生産地であり、この塩は岡崎に運ばれて八丁味噌(はっちょうみそ)に使われたり、中馬(ちゅうま)街道を経て信州に運ばれて漬物に使われたりしました。この塩はどのように運ばれたのかを考えると、馬で運ばれたり、船で運ばれたりしたものと思われます。矢崎川筋の吉田湊には馬で塩が運ばれてきて、船に積載されて各地に運ばれたであろうし、吉良道は馬による塩の運送に使われたものと考えられます。また田んぼで生産された米についても、船や馬が利用されたはずですが、「饗庭塩」の運送面のことや流通面のことは、今のところ私にはよくわかっていません。矢作(やはぎ)川は信州へと物資が運ばれる際に、また信州から物資が運ばれる際に利用された河川であり、中馬街道は、陸路、それらの物資を馬で運ぶ際に利用された街道でした。足助(あすけ)の塩問屋では、「饗庭塩」と瀬戸内海産の塩が混ぜ合わせられ、「足助塩」として信州地方や周辺各地で流通したということですが、そのあたりについても具体的に知りたいと思っています。 . . . 本文を読む