鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その17

2015-06-29 05:30:03 | Weblog
「本宮山」「小吉田」と記されている風景スケッチは、どのあたりからの風景を描いたものだろうか。「本宮山」というのは、東三河で一番高い山で標高789m。三河国一宮の砥鹿(とが)神社の奥宮として東三河の人々の信仰の対象でした。「三河富士」の名前で呼ばれることもあり、歩いているといろいろなところから見える山です。崋山は吉良吉田から藤川宿を経て吉田(豊橋)に至る道中で、各所からこの本宮山を、北方向に望見しているはずです。この風景スケッチの左端の下には小さな橋と人家があり、東海道はその橋から右側画面下へと延びているようです。その向こうは山の麓まで田園が広がり、その広がりの向こうに本宮山がそびえています。赤坂宿、御油宿を出て豊川に架かる吉田大橋に至るまでの沿道風景であることは確かです。本宮山全体が北方向に大きく見えてくるのは、現在の「白鳥跨線橋」(名鉄名古屋本線を国道1号が越える橋)のあたりから。「白鳥5西」交差点から国道1号から県道496号が分岐しますが、これが旧東海道。そこから豊川に至る前にある川は佐奈川、善光寺川、豊川放水路。豊川放水路は新しく造られた川であるから、佐奈川か善光寺川が、この風景スケッチに描かれた橋の下を流れる川であるかもしれない。「小吉田」というのは、どこかわからない。御油宿と吉田宿の中間には「伊奈村立場茶屋」(加藤家・俗称「茶屋本陣」)があり、そこは現在「伊奈町茶屋」という地名になっています。またもう少し豊川寄りに「宿」という地名もあります。おおよその推測としては、佐奈川から善光寺川あたりまでの東海道から、広々とした水田の向こう側に見える本宮山を描いたもの、と言うことができると思います。 . . . 本文を読む