崋山の「塩」に関する記述は、「正念寺、塩神祖コノハタノ故事」と「塩ハ一反にて廿両ほどアガル」の記述だけ。「正念寺」は佐久島(東村)の浄土宗のお寺で、佐久島には古代の塩田遺跡があり、塩の生産が行われていたことがありました。崋山が訪れた天保年間に塩作りが行われていたかどうかはわからない。吉良地方の幡豆海岸では、江戸時代から昭和期(昭和40年代)まで「饗庭塩」と言われる塩が生産されており(矢崎川河口部西側の「本浜塩田跡地碑」に見られるように)、その「饗庭塩」は岡崎の八丁味噌製造や信州の漬物生産に使われていました。崋山が記す「塩ハ一反にて廿両ほどアガル」とは、おそらく吉良地方の「饗庭塩」について触れているものと思われ、吉良あたりにおいて土地の誰かからその情報を得たものと思われます。崋山が「塩」という吉良地方の特産物(「一反にて廿両ほどアガル」)に関心を寄せたことは確かなことであるでしょう。 . . . 本文を読む