鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

渡辺崋山『参海雑志』の旅-佐久島~藤川宿~吉田宿-その5

2015-06-08 05:24:17 | Weblog
幡豆海岸の矢崎川河口を少し入った吉田湊と佐久島との、船による人や物の往来は活発であったと思われますが、それについての具体的なことが記された資料は見つかりませんでした。幡豆海岸から佐久島は目と鼻の先であり、幡豆海岸から見れば、三河湾の中央に横長に浮かんでいる島です。矢作(やはぎ)川河口部の平坂湊や大浜湊、また渥美半島の古田湊(崋山一行はそこから船で佐久島へと向かいました)とも船の往来が活発にあったはずですが、それに関する資料も見つけることはできませんでした。「十八世紀の平坂湊・大浜湊と三河の廻船」曲田浩和(『愛知県史研究 第9号』所収)には、「田原藩の廻米は、高浜船・平坂船が請け負う以前は、篠島・佐久島の船が行っていることがわかって」いる、という記述がありました。ということは、佐久島の弁財船は田原藩の年貢米を江戸に運んでいたことがあったということであり、田原藩と佐久島とは全く無縁ではなかったことになります。田原藩の年貢米はどのように運ばれたのか。先ほどの記述によれば、高浜船や平坂船が請け負っていたということになりますが、その実態については今のところ、私にはよくわかっていません。 . . . 本文を読む