鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

富士講の富士登山道を歩く その8

2011-08-18 10:18:33 | Weblog
富士講とそれ以外の講との決定的な違いは、元講から派生する枝講の増殖にあるということについては、先に触れたことがあります。食行身禄の富士山における入定が契機となって、身禄の教えが江戸の人々に伝えられ、江戸において富士講が成立し「八百八講」と言われるほどに隆盛を見ることになりますが、その江戸の富士講は、ほぼ寛政年間頃に江戸の周辺へ拡大発展していきました(沖本博「江戸富士講の房総への進出」〔『富士浅間信仰』平野榮次編所収〕)。この江戸の富士講の江戸周辺への拡大発展は、江戸川・利根川水運や江戸湾海運(漁業を含む)、また陸運との関連性、つまり「江戸地廻り経済圏」との関係性がいと、私は考えています。富士講から派生する「不二道」の小谷三志は、鳩ヶ谷の丸鳩講の大先達でしたが、彼の日記を見てみると、その行動半径の広さに驚かされます。日記には、浅草・深川・取手・関宿・境・野田・宝珠花・成田などの地名がしばしば出てきますが、この移動の手段は利根川や江戸川の水運であったでしょう。歴史小説作家の永井路子さんの出身は古河であり、その先祖は「不二道」と関係があったことを永井さん自らが明らかにしていますが、これも利根川水系における「江戸地廻り経済圏」の発展と、富士講の拡大発展が深い関連性があることを示唆するものと思われます。 . . . 本文を読む