鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

富士講の富士登山道を歩く その1

2011-08-09 06:55:35 | Weblog
かつての富士山の登山道で、現在歩いて登ることができるコースは4つあります。一つは「村山口登山道」、二つ目は「御殿場口登山道」、三つ目は「須走口登山道」、そして四つ目が「吉田口登山道」。このうち「村山口登山道」は、東海道を歩いた時に興味を持ったオールコックの富士登山の関係からそのコースを歩いてみようと思い立ち、『富士山 村山古道を歩く』の著者畠堀操八さんの案内で2008年10月に旧6合目まで歩いて登ることができました。「御殿場口登山道」については、ウォーキングを継続してきてある程度筋力と持久力がついてきたことを確認した上で、それを実地に確かめるべく、2007年8月に5合目から歩いて登り、初めて富士山頂に立ちました。期せずして宝永爆発から300年目であることを知り、下山途中に宝永山と噴火口に立ち寄ったことを覚えています。「須走口登山道」は、須走浅間神社の左側裏手から始まりますが、ここを7合目の「大陽館」のところまで歩いて登ったのは昨年(2010年)の8月でした。この時は、竹久夢二と岸たまき両名の富士登山と富士講の人々の下山道のことが頭にありました。最後の「吉田口登山道」については、江戸時代後期以来、毎年おびただしい数の富士講の人々が、吉田口の御師(おし)の宿を出発して登頂を目指したルートとして、是非いつか歩いて登ってみたい道でした。今年の8月初め、ようやくそのルートを歩いて登り、「御殿場口」から登頂した時には出来なかった「お鉢巡り」をし、多くの富士講の人々の下山ルートであった「須走口」へと続く道を5合目まで下ることができました。途中、吉田口登山道7合目の山小屋へ一泊し、9合目のやや上辺りで「御来光」を拝むことも出来ました。以下、その報告です。 . . . 本文を読む