「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

亡国の結末、日本は中国外交に惨敗、政治家は役人に判断責任押し付け

2010-09-24 21:17:00 | ノンジャンル
結局、罪状を否認している中国人船長を処分保留で釈放(事実上の不起訴判断)。
名を捨てて実を取るの敗北もあるが、今回の敗北は何一つ理も利もなき惨敗だ。

情けないが、これが現実、これが今の日本政府の能力、そう考えれば死屍累々の惨状となる前に白旗を上げたことは畢竟自己の能力を良く知った賢明な判断というべきかもしれない。

だが、釈放という結果はともかく、そこに至る我が国政府対応の経過・経緯は許しがたい。

まず、戦略も戦術もないまま政府が拘留期限延長を迎えたこと。

対外的に、延長すれば起訴に向けた動きと見られるのは当然であって、中国の抗議が強硬になるのは明白であったにもかかわらず、それに対抗する準備(戦略・戦術)もなく拘留期限の延長を許容したことは、政府の無策を証明するものである。
結果として、時機を逸し、4人の邦人が中国で捕まったことで日本が軟化したと見られることとなって、今後の国際的駆け引きに邦人の身柄が利用されかねず、かくがごとき誤ったメッセージを国際社会に与えたことは最大の国益たる国民の生命を危機に貶めた愚行以外の何物でもない。

次に、那覇地検が釈放判断の酌量理由に政治的判断を加えて発表したこと。

法に従い粛々と判断した上での釈放(不起訴)ならそれは検察官の判断として是とすべきであろう。(もちろんそれを非として検察審査会にという法的手続きも是であろう。)
しかし検察は、捜査継続による我が国国民への影響や今後の日中関係を考慮して釈放(不起訴)としたと公言したのである。
検察官に起訴・不起訴裁量を認めた刑事訴訟法第248条は、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。」としているのであって、まったくの自由裁量ではない。
行政府とはいえ、司法の一端を担う検察が、外交という政策的判断をその裁量に加えて良いはずがない。
今後、在日外国人の犯罪に対して検察官が勝手気ままに外交上の配慮を加えていったらどうなるのか。
そこに司法における平等と公平の正義が、秋霜烈日の検察官の厳格さがあるだろうか。
政策に関しての判断、それはあくまで政治家が責任をもって行うべき判断であり、そのことを理由とするなら政治家であって内閣を構成する法務大臣が法に基づく指揮権を発すべきであろう。
仙石官房長官が検察官による政策上の裁量を「これを了としたい」などとして、事実上政治家としての判断責任を検察官判断になすりつけた姿勢は責任放棄以外の何者でもない。まさに唾棄すべき見解だ。
野党は国民の自尊回復のためにも仙石の首を取らねばならない。
命がけで使命を果たした海保職員も報われない。

脆弱な国家に国民は希望を持てないし、未来もない。
高い授業料を払ったと思って危機管理と外交能力の立て直しを急がなければ、この国は本当に終わる。