沼津駅付近の鉄道高架化事業、前知事時代には強制収用が確実視されていたが、川勝平太のゼロベース見直し公約もあって待ったが鰍ッられた。
これは、2010年1月に知事と住民らとの意見交換会で用地買収が難航しているJRの貨物駅は事業に必要ないとの考えを示したためだ。
知事のこの考えを受けてあわてたのがJRと役人たち。
普通なら高架化ができれば貨物駅など作らなくてもと思うところだが、大型事業は大抵関係者の利権のバランスで落ち着いているのに貨物駅のための用地買収だけできないとなればそのバランスは崩れる。
しかし、さすが役人、学者上がりの知事の弱い点を突くかのように間もなく逆転への絵図を書き上げた。
それが、空港でも活躍した役人お得意の有識者(専門家)の利用(
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/628.html)だ。
それが今、「沼津駅の高架化問題ですが、先週の有識者会議で、知事が「必要ない」と言われた貨物駅について、地域振興の観点からも必要だという意見をまとめられたのですけれども、どのように受け止められていますでしょうか」との一昨日の知事定例会見での記者質問につながる。
今月の市長選で落選した話題の市長、柱エ信一前阿久根市長は、在京のテレビ番組のインタビューや都内での講演などで役人と政治家の本質を的確に言い当てている。
現行の役人(公務員)制度を「市民を裏切ることで肥え太る大蛇のような身分制度」といい、「政治家は大蛇のうろこにすぎない」と。
もちろん政治家とは議員だけでなく、組織トップの市長や知事なども含まれる。
役人組織は人が入れ替わっていくが脈々と組織論理は引き継がれていく。
その一方で政治家は選挙の洗礼で一個性から次の個性に変わっていく。
本体はぬくぬく生き続け、うろこははがれてもまた別のうろこが付く様は役人組織と政治家の関係をうまくイメージしている。
さて、前段の記者質問に戻って、知事の答えであるが、
「各社の新聞記事を拝読しますと、貨物の方がトラックよりも長距離輸送、また環境に優しい、理想としていいと。そんなことは中学生でも知っていますね。ですからそれはいいんです。問題は、それを沼津にどう落としこむかということですね。一般論として、鉄道輸送の方が、環境に、また重量ベースで見てもたくさん遠いところに運べるということがあります。しかし、ドアツードアではトラックの方がいいという面もありますよね。だから、今、JR貨物の長距離輸送について、そのメリットを言われたというのは、それはもう議論の前提だと思っています。わざわざそれを聞くほどのことではないということであります。それを、賛成に取るのは、まだ早とちりではないかと思っていますね。」と評価先送りの逃避姿勢。
しかし、「どう落としこむか」という貨物駅肯定論の布石とも思える「やはり最先端の学者さんが来られると、物流というものが、実は生産から流通、消費に至るまで、そういうことの重要性というものを捉えるという視点を、正面に出されたのではないかと思っていまして、この点は、それはそれとして、一般論としても、これからの時代の経済を捉える観点としても大事な見解であるというふうに見ております。」との発言が飛び出した。
すなわち、知事の態度の行方もほぼ決まった感じだ。
というのも、役人は既に自ら都合のよい人選で沼津駅付近鉄道高架化事業について客観的かつ科学的見地から検証するための有識者会議のメンバーを掌握しており、現状の世論の認識としては推進側だけでなく反対派もこの会議で議論すること自体は是認していることと受け取られている。
役人からしたら、粛々と決まった結論に向けて会議をこなせば、知事も反対できず、かつ、決まってから結論が気に入らないと言い出しても世論から受け入れられないということは知っており、知事が引き戻した時計の針は戻せると確信している。
さらに、知事が「今考え得るトップレベルの専門家」の結論を受け、いつもの調子で自身が1軒1軒出向いて説得すると息巻いてくれれば遅れを取り戻すに十分な世論形成もできる。
知事が強硬に反対しているわけでないと見えたことで盤石と見えるレールがより一層盤石となるはずだったが、これに水を差すこととなったのが26日の地元団体の動きだ。
地元団体が、「客観的かつ科学的見地から検証」どころか、「高架化事業ありきで議論」している有識者会議に業を煮やし委員に4問の公開質問状を送ったのである。
専門家には空港の時のように会議自体に反対するものはなく、有識者会議自体はみんな受け入れているとでもレクチャーしていたのだろう、この質問に大慌てのようで異例ともいえる(知事コメントではない)交通基盤部長コメントを記者提供した。
「本日、「沼津駅付近鉄道高架事業に関する有識者会議」の委員に対して、事業に反対する市民グループから公開質問状が出されました。有識者会議では、客観的・科学的見地から現行計画について検証をお願いしているものであり、幅広く自由な観点から議論を行って頂いているところであります。今回のように、外部の方の主張を各委員に直接申し入れることは、今後の自由な議論に影響を及ぼす恐れがあり、誠に遺憾であります。」
一方の役人は人選ばかりかいつでもレクチャーできるのにそれに対する異論は寄せ付けないでガードというのでは自由も何もあったものではないのだが、彼ら役人は自身の意見が中立・公正と思い込んでいるからたちが悪い。
国の役人が県に、県の役人が沼津市(副市長)にという持ちつ持たれつの役人トライアングルのうろこである知事や市長も、役人に有識者という別のうろこを出されてコメントも出せない立場で、今や蚊帳の外だ。
知事は「最終報告を聞いてからですね。今の段階でどうこう言うのではなく、むしろ自由に議論をしていただいて、その議論の結果を見てから御判断を申し上げたいと思います。」と記者の質問を閉めたが、自由な議論で「客観的かつ科学的見地から検証」が出されたと断じられた時点では100%手遅れである。
質問状だけでなくしっかりと具体的疑問点について会見を行い、どこかで、ゆがんだ会議自体を否認していかないと役人の思うつぼである。
とりわけ、費用対効果(費用便益分析)の検証の有無は不可欠。
これについては数年前に友人からこの高架化事業についての開示請求で得た数枚の文書で検証を依頼された経緯があるが、その元のデータの公文書が現存していないそうである。
空港需要予測でも元のデータ(特に北海道便)が補正と称して改ざんされていたのが大きな誤りの原因であることは私のホームページでも書いてきたところであるが、検証するには元データの存在・開示が不可欠である。
まして、費用対効果は最新の情勢を加味した再評価の必要がある。
同じく空港の需要予測でも当初の需要予測534万人が178万人に引き下げられ、さらに(それでも過大だった)106万人となっていった事実を忘れてはならない。
「客観的かつ科学的見地から検証」か否かが感情論ではない主たる争点とならなければ役人よりの有識者・専門家の印籠の前に押し切られる。
前出柱エ元阿久根市長はこうも述べている。
「犯人は上を向いている私たち自身。社会の中で悲しみや苦しみを抱えている人に目が行くようになるべきだ」と。
将来に大きな負債を背負わせる大事業だけにそれを上回るメリットが納得されなければならない。
自律した市民による健闘を期待したい。