滑走路短縮に伴う追加工事に要する費用1億1千万円。
そのほかに印刷物の差し替えやら、場合によっては空港関係企業からの損害賠償で県の出費はさらに増えるかもしれない。
もちろん、不可抗力であれば、すなわち誰にも過失がなのであれば、税金で負担することに問題はないだろう。
しかし、誰かの過失によって生じたものであるならば、最終的には税金ではなくその者に負担させるべきは当然の理である。
では、誰にどのような過失があってこれら追加負担が生じたのか、以下子細が未だ明らかでない部分も多いため概括的ではあるが考えてみたい。
最初に地権者であるが、これはもちろん何ら過失はない。
推進する側の感情論としての非難はあっても、単に自己の土地等を平穏公然と所有しているに過ぎないものに法的責任などありえないからだ。
次に、知事が、訴訟の被告となっている国の判断が出なかったから1年以上も議会・県民・関係企業に公表していなかったという形で矢面に立らされた国(国土交通省)であるが、そもそも県が1年以上前に事実を明らかにし、その時点でリスクコントロールをし、3月開港と2200m滑走路をリスク最小限で決断するタイミングを計っていれば余計な追加工事や開港日遅延による出費を負うことはなかったことは明白である。むしろ、使わないILSを整備しなくてすんだかもしれない。
また、県がこの判断を早期に行う必要を認識し、国に早期の判断を求めたかといえば、29日の知事会見では「促進するような行動を我々は取れない」などと国にプッシュしていないことを認めている。すなわち、国見解が固まるまで漫然と待っていたのである。
そうであるなら、国にどのような過失があるか全く不明であって、とても過失責任を問えるものではない。
さらに、収用漏れというミスの責任の一端を指摘された委託業者であるが、現在のところ知事も原因について「推定」という言葉を使っていることから事実関係がはっきりしているわけではないこともあるが、仮に成果品に瑕疵があったとしても、その責任はあくまで成果物の瑕疵と因果関係がある範囲に限られ、前述の国の場合同様、県の公表の遅れによって生じた損害までをも賠償する過失責任はないと考えられる。
すなわち、県の公表の遅れがだれの責任によって生じたのかが最大のャCントである。
これについて、知事は29日に記者の「確認なのですが、ぎりぎりまで公表しなかったことについて、事業認定取り消しという影響と、3月開港を目指して準備を進めている多方面の方々へ説明するということを秤にかけた時に、事業認定の取り消しの影響の方が大きいと判断されたということでよろしいでしょうか。」との問いに対し、
「それと、まだ撤去できる可能性も、今もそうですが、我々は諦めていなかった訳で、そういう色んな諸々の要因を考えて、しかし、今あなたのおっしゃったような色んな所へ、もし開港延期になった場合に色んな被害とか悪影響、迷惑を、最小限に留めるギリギリのところの選択が今日だったということです。これは私の判断です。それの是非は、私自身が言い張っても、ダメだということになればダメな話でしょうし、皆さんの御判断にお任せします。」と最高責任者である知事自らの判断であることを認めているのである。
知事と同じ元自治相官僚であった上村章文氏による「自治体の危機管理マニュアル」(学陽書房)という本があり、この中に「(2)政策決定の誤りによる危機¢ホ処の遅れによる危機」という1段落がある。
ここでは、「危機として問題となるのは、早期に対処していれば、事態が深刻にならなかったのに、対処が遅れたことにより、深刻な危機事態となるタイプの事案である」とした上で、香川県の豊島における産廃不法投棄事件での対応の遅れによる甚大な被害が例示されている。
そして「『対策の遅れ』の原因として、管理職が自らの担当している間に不祥事が発覚して、過去からの責任を一身に負うことになりたくないという保身意識や、処理が困難なことが予想される問題事案処理の苦労を回避したいという意識が背景にある」とした上で「このような意識をもったトップや上司は、処理が困難な問題事案の情報が入っても、回避行動や忌避行動をとり、なかには部下を叱責することもある」と看破している。さらに「行政において把握していても、問題を回避するため、議会や住民には公開しない隠蔽体質が、問題の解決をさらに遅らせる原因となる。」と、まさに今般の本県で生じた不祥事そのものである。
すなわち、今般の様々な損害の発生は、まさに「政策決定の誤り」そのものであり、その過失責任はその決定をした知事個人にあると考えるべきである。
ちなみに、「組織の文化・風土における『隠す体質』を改め、透明性の高い組織文化に変えるという決断が必要である」(同書)と処方は示されても本県の闇は既に奥深く浸透しすぎている。手遅れに近い。ゆえに、私は道州制を望むのである。
そのほかに印刷物の差し替えやら、場合によっては空港関係企業からの損害賠償で県の出費はさらに増えるかもしれない。
もちろん、不可抗力であれば、すなわち誰にも過失がなのであれば、税金で負担することに問題はないだろう。
しかし、誰かの過失によって生じたものであるならば、最終的には税金ではなくその者に負担させるべきは当然の理である。
では、誰にどのような過失があってこれら追加負担が生じたのか、以下子細が未だ明らかでない部分も多いため概括的ではあるが考えてみたい。
最初に地権者であるが、これはもちろん何ら過失はない。
推進する側の感情論としての非難はあっても、単に自己の土地等を平穏公然と所有しているに過ぎないものに法的責任などありえないからだ。
次に、知事が、訴訟の被告となっている国の判断が出なかったから1年以上も議会・県民・関係企業に公表していなかったという形で矢面に立らされた国(国土交通省)であるが、そもそも県が1年以上前に事実を明らかにし、その時点でリスクコントロールをし、3月開港と2200m滑走路をリスク最小限で決断するタイミングを計っていれば余計な追加工事や開港日遅延による出費を負うことはなかったことは明白である。むしろ、使わないILSを整備しなくてすんだかもしれない。
また、県がこの判断を早期に行う必要を認識し、国に早期の判断を求めたかといえば、29日の知事会見では「促進するような行動を我々は取れない」などと国にプッシュしていないことを認めている。すなわち、国見解が固まるまで漫然と待っていたのである。
そうであるなら、国にどのような過失があるか全く不明であって、とても過失責任を問えるものではない。
さらに、収用漏れというミスの責任の一端を指摘された委託業者であるが、現在のところ知事も原因について「推定」という言葉を使っていることから事実関係がはっきりしているわけではないこともあるが、仮に成果品に瑕疵があったとしても、その責任はあくまで成果物の瑕疵と因果関係がある範囲に限られ、前述の国の場合同様、県の公表の遅れによって生じた損害までをも賠償する過失責任はないと考えられる。
すなわち、県の公表の遅れがだれの責任によって生じたのかが最大のャCントである。
これについて、知事は29日に記者の「確認なのですが、ぎりぎりまで公表しなかったことについて、事業認定取り消しという影響と、3月開港を目指して準備を進めている多方面の方々へ説明するということを秤にかけた時に、事業認定の取り消しの影響の方が大きいと判断されたということでよろしいでしょうか。」との問いに対し、
「それと、まだ撤去できる可能性も、今もそうですが、我々は諦めていなかった訳で、そういう色んな諸々の要因を考えて、しかし、今あなたのおっしゃったような色んな所へ、もし開港延期になった場合に色んな被害とか悪影響、迷惑を、最小限に留めるギリギリのところの選択が今日だったということです。これは私の判断です。それの是非は、私自身が言い張っても、ダメだということになればダメな話でしょうし、皆さんの御判断にお任せします。」と最高責任者である知事自らの判断であることを認めているのである。
知事と同じ元自治相官僚であった上村章文氏による「自治体の危機管理マニュアル」(学陽書房)という本があり、この中に「(2)政策決定の誤りによる危機¢ホ処の遅れによる危機」という1段落がある。
ここでは、「危機として問題となるのは、早期に対処していれば、事態が深刻にならなかったのに、対処が遅れたことにより、深刻な危機事態となるタイプの事案である」とした上で、香川県の豊島における産廃不法投棄事件での対応の遅れによる甚大な被害が例示されている。
そして「『対策の遅れ』の原因として、管理職が自らの担当している間に不祥事が発覚して、過去からの責任を一身に負うことになりたくないという保身意識や、処理が困難なことが予想される問題事案処理の苦労を回避したいという意識が背景にある」とした上で「このような意識をもったトップや上司は、処理が困難な問題事案の情報が入っても、回避行動や忌避行動をとり、なかには部下を叱責することもある」と看破している。さらに「行政において把握していても、問題を回避するため、議会や住民には公開しない隠蔽体質が、問題の解決をさらに遅らせる原因となる。」と、まさに今般の本県で生じた不祥事そのものである。
すなわち、今般の様々な損害の発生は、まさに「政策決定の誤り」そのものであり、その過失責任はその決定をした知事個人にあると考えるべきである。
ちなみに、「組織の文化・風土における『隠す体質』を改め、透明性の高い組織文化に変えるという決断が必要である」(同書)と処方は示されても本県の闇は既に奥深く浸透しすぎている。手遅れに近い。ゆえに、私は道州制を望むのである。