「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

キーマン 舛添要一

2007-08-27 23:12:04 | 日記
大敗北の後の内閣改造。
今後の政局を左右する一大事である。
派閥に配慮したとかお友達が残っているとかサプライズがないとか手厳しい批判もあり、世論の評価も今一だ。
しかし、その出だしの評価の低さも含めて、良く考えられた布陣で、選挙直後にも書いたが安部の大化けを強く感じる。

アクセントは一つか二つでよい。多すぎるとダメだ。
今回のアクセントは厚生労働大臣と総務大臣。
今回の選挙で批判を受け、従来の手法ではダメと国民から評価されたところといってよい。
この両人がおとなしく官僚の手のひらで踊ることはあるまい。
何かと注目を集める。いや、集めなければならない。
世論を背景に改革を断行すれば、それはすなわち安部の再評価に結びつく。
スキャンダルは問題外として、他の大臣は可もなく不可もなく無難にまとめてくれさえすれば、この二人が利いてくる構図だ。

とりわけ国民生活に直結する厚生労働行政は国民の評価にも直結する。
と、いうことで、舛添大臣には、現場国民の目線に立った、徹底した厚労省改革を期待したい。

(無題)

2007-08-26 20:33:47 | 日記
厚生労働省は保育料滞納ワーストワンは静岡県の8.8%と発表した。
しかし、この数字の根拠に誤りがあることが判明、静岡県が再調査をするという。
これほど大きな数字となった主な原因は、滞納者の欄に三島市が実際は60人のところ1,836人という園児数を記入して報告したことにあるが、市町から報告を受け取りまとめ国に報告した県も気づくことがなかったという。
この集計報告を所管した県厚生部子育て支援室は「8.8%という数字は異常で、報告の集計段階で気づくべきだった」と話しているというが、全くそのとおりだ。
ただし、三島市の間違い、県の見過ごしだけが原因ではない。
その根底には、日ごろの厚生労働省の調査姿勢にも原因がある。
今回の調査は今年の6~7月に全国1,827の市区町村を対象に実施されたというが、県が国に報告したのは7月13日というから実質1月ほどの間に国から県へ、県から出先へ、出先から市町へと調査依頼が行われ、その逆のルートでの報告となったと思われる。
この場合、市町への依頼から県出先への提出期限までの実質の作業期間というのは半月程度になるケースが多い。このケースはまだ良いほうであるが、今日来て明後日までという調査物もある。担当が不在だったらどうするつもりだろう。しかも、簡単な表のみが送られ、調査の趣獅竅A記載に当たっての説明もないことが多いのが厚生労働省調査の特徴だ。
必死に生きている人たちを前に、また厚生労働省の調べか、適当に・・・という思いも現場では起きやすい。
昨年、初めてこの実態に触れ、県の担当に「期限が短すぎる。現場は他に優先すべき対人業務を持っている中で対応している。今後こういうことがあれば、せめて、どういう趣獅ナの調査か厚生労働省に確認するように。県が確認しないならこちらで直接確認する。」と苦言を呈したが、県厚生部というところは厚生労働省の出先意識が強すぎるのが難点だ。
昨年度までいた厚生労働省出向官僚も本県から去った今、県厚生部には現場の声・実情を国に伝える使命を自覚してもらいたいものだ。
年金制度の事実上の破綻に加え、今、介護保険制度の破綻の現状も様々なメディアで取り上げられるようになってきている。
しかしこういった問題はいち早く行政の現場が把握し厚生労働省に改善を求めていくのが健全な行政システムだ。
われわれは厚生労働省やその官僚のために存在しているのではない。
過ちは如何なるところからでも正すべきときに正すことが肝要だ。

伝染

2007-08-23 00:08:41 | 日記
公私共に多忙な日が続いている。
今日も先ほど静岡から帰宅したところだが、明日は残業で深夜帰宅となりそうだ。
公費を使いブラジルでサンバを楽しむ石川知事殿には現場の苦労も不安を抱える県民の声も届かないのだろう。
一方で、効率性であるとか、無駄をなくすとか言いながら、自身は聖域とするところが将軍様と呼ばれる所以であるが、このアンモラルが県の幹部にも伝染しているところが害悪である。

最近の例でも、
ストーカー規制法違反容疑で逮捕の県中部農林事務所生産振興課長松永保夫、
それ以前では、
収賄事件の静岡県沼津土木事務所長矢島信孝、

裏金事件では管理監督的地位の県職員が逮捕・処分された。
http://www2.ocn.ne.jp/~sizuoka1/uragane.html

法律には違反していないとはいえ、
都合の悪い質問には無視の管理局企画監(企画・広報担当)外山敬三、
http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/64.html#readmore
も感染者の一人といえるだろう。

こういったアンモラルな管理監督達に、支払能力がありながら給食費を収めない親や、保育料を納めない親、診療費を納めない人、にモラルに訴えて収めさせることは無理であるだけでなく、社保庁同様その部下も同じように見られ、説得力がなくなるのである。
実際、私も彼らのモラルに疑心暗鬼で対応している。先に健康増進室に請求した現場への情報還元についても暫く回答がなかったので直接提出元の外部団体に県内部の恥を承知で請求しようとしていた矢先にメールで還元されたが、一度信用できない室・課(長)と思うとモラルに訴えても無駄だろうと判断し、催促なしに次の法令等に基づく手段に出たくなるのも今や仕方のないところだ。

もったいないを活かす県政実現を語りかけ実践する嘉田滋賀県知事と富国有徳を掲げながら税金で外遊を繰り返し放蕩する石川静岡県知事。
対照的な両手本の下、どのような県民性が育成されていくのか、どのような子どもが育っていくのか、暗澹たる思いがぬぐえない。
やはり、静岡県は解体し道州制に期待するしかないのだろうか。

日本国

2007-08-19 23:22:33 | 日記
終戦から62年、戦争を経験した人の多くは社会の第一線を去り、今や総理大臣も戦後世代だ。
その戦後世代の総理が就任当初掲げたのが「戦後レジーム(体制)からの脱却」であった。
古い体制を壊して新しいものを、ということだが、
現状に行き詰った時に「今のままではいけない」と言ってるのと何も変わらない。

それが憲法改正だといっても、改正でどのような国にしたいのかさっぱりわからない。

全国みやげ物の売り上げ2位?とかいわれていた「白い恋人」の偽装は単に一企業の不正という問題ではない。その前の雪印、ミートホープなどの食品関係企業だけでなく、住宅耐震偽装や電器産業の大手製造工場での偽装請負など、これまで一流と思われていた企業による嘘偽りを鑑みるに、個々の企業の問題というよりは、わが国の経済界の体質を象徴する問題と見るべきである。

本県企業はどうか。偽装といった表面化した事件はないのかもしれないが、体質は偽装企業と同じである。このことは、県民に負担を押し付け、その上で自社の利益を上げようとしている鈴与やスズキや静銀といった静岡空港運営会社出資企業を見れば多言を要しまい。

私が大きく影響を受けた日本人は二人いるが、その一人が澁澤榮一である。
学生時代に澁澤翁の「論語講義」を幾度も読み、成すべきことを知るとともに資本主義の未来に希望を持った。
企業の自由な経済活動をもってしても、国家のみならず国民を豊かにするということを希望を持って信じた。経世済民。
にもかかわらず、この国は変わってしまった。

必要なのは戦後体制からの脱却ではない。日本国の再生、その着手は企業・企業人の再生でなければならない。親も子も、国民はそこから学び再生していく。
手遅れ、既にそうかもしれないが・・、日本人が日本人でなくなる前に、なすべきが政治の務めである。

誰のための激変緩和措置か

2007-08-14 23:26:03 | 日記
来年4月から、これまで被扶養家族として保険料の負担がなかった75歳以上の高齢者に保険料の負担が生じる。
その人数は全国で200万人といわれている。
そしてその平均保険料は年額で約7万5千円。
ただし、「激変緩和措置」なる名目で、2年間だけ半額以下に軽減される。
厚生労働省は13日、この軽減措置の手続きを自動的に行う仕組みを導入すると決めたが、裏を返せば、制度設計時は申請しなければ軽減さえ受けられない仕組みだったということである。
「年金?申請しなかったあなたが悪い」という抗弁をここでもやろうとしていたという事だ。
健康な若年層でも煩雑な行政手続を高齢者に強いるという考え方自体が厚生労働省の現場不知を象徴している。
年金問題がここでよい方向に影響したと考えれば幸いというものだが、そもそもがこの激変緩和措置、負担者のことを考えてのものか疑問である。
一気に高負担を強いれば受け入れられにくいが、徐々に上げれば不満も分散するし少ない、しかも申請すれば今ならこんなに安くなりますよと言えば「仕方ないか」と目先の軽減で怒りを抑えられる。そう考えてのことではないのか。
実際、所得が年々増えていく従業者ならともかく、所得の増える見込みの少ない75歳以上の高齢者に徐々に負担増を強いて、それが負担者のための措置と言えるだろうか。
まやかしである。

来年4月の負担増はこればかりではない。
70~74歳の医療費の自己負担額も原則1割から2割となる。
無駄づかいのつけはこうして広く国民が払うことになる時代になってきた。
本当に不幸な時代である。