仕事がつまってくると、関係ない本ばかり読みたくなる。学生の頃、試験直前になると小説ばかり読んでいたのが生涯の癖になっているらしい。網野義彦『歴史を考えるヒント』新潮文庫を猛暑の中で読んだのも同じ癖からで、特に何を期待するでもなかったのだが、えらく得をした。私が昔から漠然と気にしていた「日本という国名はいつ制定されたか」ということに関して最も明快な答えが書いてあったのだ。
「浄御原令(きよみはらりょう)」という法令が施行された689年というのが、現在大方の学者の認めるところだという。この法令は天武天皇が編纂を開始し、死後持統天皇が施行したものだという。外国に対しては、702年に日本の遣唐使粟田真人が当時の周の皇帝則天武后に対して「日本の使いである」と述べたのが最初といわれているそうだ(則天武后は勿論国号を唐から周にかえた女帝)。それ以前は「倭王の使い」と言っていたという。つまり702年以前に国名が「倭」から「日本」に変わったわけだ。
日本の正史を『日本書紀』として編纂刊行したのが720年(古事記は712年)だから、それ以前に日本という国名は決まっていたと推測はしていたが、法令できちんと出来ていたとは知らなかった。ちょっと古い日本史の辞典類には「いまだ定説なし」といった解説が多いが、私は網野さんのファンだから、これからは浄御原令689年というのを一つ覚えにしておこう。
勿論、これで全部済み、というわけにはいかない。シェイクスピア風に言えば「日本は何故日本なの?」という問題が残るから。日のでるところだから、というのはあまり説得力がない。ハワイからみたら日本は日の没する国だから。