某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

浜までは海女も蓑着る時雨かな

2012-01-02 01:12:22 | ぼやき
 恩師高島善哉先生のお好きな俳句に「浜までは海女も蓑着る時雨かな」というのもあった。正月になって、先生のお好きだった「去年今年貫く棒の如きもの」を思い出している時、この蓑着る海女の句も出てきた。海に入れば水にぬれるのだから、雨にぬれて行ってもおなじみたいだが、実はそうではない。冷えないように最後まで身をいとうものだ、というのであろう。先生はどういうお気持ちでこの句を好まれたのだろう。
 最初に伺ったのは院生の時で、その時には、石田三成の故事を思い出した。処刑される直前に、柿を食べよと差し出され、柿は腹を冷すので体に良くない、と断ったという話。すぐ処刑されるのに最後まで未練たらしい男よと嘲を受けたが、実は最後の最後まであきらめない不屈さを示すものだった、という話。
 しかし、此の解釈は誤りかもしれない。これだと、海女が海に入る=濡れるのと三成が処刑されるのとが同じになる。海女にとっては海に入ることは仕事であって、処刑つまり終わり、ではない。したがって、この句は「どうせ濡れるのだから蓑を着るまでのことはあるまい、と世間の人は思うだろうが、実は、海でぬれる前までは体を冷やさぬようにするという心がけが良い仕事をするには必要なのだ」というお説教と解するのが正しいのだろう。しかし、目のご不自由な先生は、最後までしっかりやろう、という気持ちを表現してくれているものとして、この句を好まれたように私には思える。
コメント
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