驚きました

2011年01月10日 | Weblog
▼おととい1月8日の土曜日、テレビ朝日「TVタックル」の収録に出向いた。
 ところが…これまで一度も経験しなかったことが起きて、驚いた。

 この番組に、ほんのすこし関わるようになって、もう何年にもなる。最近の2年間ほど全く出ない期間もあったから、参加(出演)回数はそう多くないと思うが、まぁ長いだけは長い。それでも、こんなことは一度も経験がないし、想像したこともない。


▼今回は、特別版ということでいつもより放送時間が長い。放送は、きょう1月10日の祝日だから、それに合わせたのかもしれない。
 前半と後半に分けられていて、前半は一般のかたがたが集まり景気について話すということだった。95歳?の空手家も、いらしたそうで、なかなか面白そうな試みだなぁと思った。

 したがってぼくは後半に参加したのだが、その後半部分も、ふたつに分かれていた。
 まず、古賀茂明さんという経産官僚(民主党政権が始めた、官僚の「現役出向」制度を批判して仙谷官房長官らに干されている、勇気あるひと)が加わって、内政を考える。
 次に、その古賀さんと交代で元航空幕僚長の田母神俊雄さんが加わり、外交・安全保障と考える、ということだった。

 収録まえに控え室にひとりでいると、その田母神さんがわざわざ挨拶にいらっしゃった。
 お正月に、ぼくの携帯に電話してこられたときのことを、ちょこっと話された。田母神さんはふるさとの福島県に帰られ、そこで妹さんや義弟(つまり妹さんのだんなさま)から「青山繁晴と話してみたい」と言われたそうで、携帯電話がつながったあと、田母神閣下のご兄弟と楽しく会話いたした。

 スタジオに入ると、田母神さんはひとまずカメラの後ろの椅子で待機され、古賀さんを交えて収録が始まった。ぼくの席の両隣は、TVコメンテーターの勝谷誠彦さん、小沢さんのブレーンで元参院議員の平野貞夫さんだった。
 政治評論家の福岡政行さんが、北野たけしさんと一緒に立ち、「暴論」とみずから言い切る超大連立内閣、という想定で組閣名簿を発表(放送前にネタバレになるのは失礼だと思うから、中身には触れない)するなどして、収録が進むうちに、フロア・ディレクターがしきりに「時間がなくなりました」という手書きボードを、カメラの脇から出す。

 ぼくはふだんから、こうしたボードは見るほうなので、もう発言は控えていたが、どういうわけか他のひとのなかで、テレビに習熟しているひとたちほど、変化がない。どんどん時間が経つ。
 それでも、やっと田母神さんの出番がやってきて、古賀さんと交代で席に着かれ、国軍を創設し、核を搭載したイージス艦や、潜水艦発射型核ミサイルを搭載した原子力潜水艦、空母、戦略爆撃機などを保有するという、かねて持論の構想を話された。
 そして、田母神さんは外交上の必要性からも、国軍が必要であり、核が外交でいちばんのカードになるという趣旨の主張も、明快に話された。

 ただ、阿川佐和子さんが持つ「田母神国軍」のフリップには、先ほどの組閣名簿と同じく「暴論」とあったから、ぼくはまず、「田母神さんのこの構想は、暴論でも何でもなくて、国際社会ではごくまっとうな話です」と述べ、「ぼくも国軍というか、国民軍の創設を20数年前から主張してきましたから、創設に賛成です」と述べた。

(※記録に残る客観的事実としては、共同通信政治部の記者だった西暦1994年・平成6年・皇紀2654年の10月に、当時・防衛庁の上級幹部研修で初講義をしたなかで「自衛隊ではなく日本国民軍を創設すべき」と述べたから、17年前)

 そして「日本は2千年を超える永い歴史のなかで、国民軍を一度も持ったことがない。国民軍は徴兵制ではなく志願制になるでしょう」という趣旨をすこし話した。
 また田母神さんが、核を含めて他国を攻撃するより抑止力に重点を置くという趣旨の正当な発言をされ、スタジオ内にその真意がやや伝わらない感もあったから、「田母神さんが軍事力なくして外交できないと、おっしゃったのは、戦争をするためではなくて戦争を起こさせないためにこそ外交に軍事力の裏打ちが必要だということです」と話した。
 核については「ぼくは反対です」と、ふだんの持論をひとこと述べ、「まずは、自衛隊のままでいいのか、自衛隊を国民軍にすべきなのか、そこを決着させてから、国軍・国民軍には核の保有が必要かどうかを決めるべきではないでしょうか」と話した。
 さぁ、ここから、根っこの志を同じくする田母神さんとも、それから根本的に考え方が違うだろう方々とも、どしどし議論をしようと思ったら、いきなり、収録が終わりになった。


▼ぼくはしばらくの間、何がどうなったのか、分からなかった。
 ぽかんとしながら、あたりを見ると、ディレクターたちが「終わりです」と何度も言い、阿川佐和子さんたちレギュラー陣が「終わっちゃった」と言っているので、田母神国軍を紹介するコーナーだけが、時間が足りなくなって、早く終わったのかと思った。

 なぜか。田母神さんの国軍構想についての議論が終わると、「ことし尖閣諸島に中国が上陸を図るのではないか」や、「北朝鮮が再びテロに走るのではないか」といった次のたいせつなアジェンダ(議論の予定)が控えていたからだ。
 局に入って、控え室で、ディレクターから丁寧にそうした説明を受けていたから、次に移るんだと考えた。その議論でも、もちろん田母神さんが大きな役割を果たされると理解していた。

 ところが番組の収録自体が終わってしまった。
 田母神国軍のコーナーが短く終わっただけではなく、安全保障・外交のアジェンダは丸ごとなくなってしまった。
 席を立ちながらぼくは『これは視聴者は、誤解するのじゃないか』と思った。

 どんな編集になるのかは分からない。
 いつも言っているように、TVタックルは長時間、収録して、放送はそのごく一部だけだから大幅に編集される。これも以前、明らかにしたように、ぼくの発言がほとんど全部、95%ぐらいカットされて、視聴者から「今回、青山さんは笑っている顔が映っただけでした。何のために出演したんですか」というEメールが来たりした。
 ただし、ぼくが2年間ほど、この番組に全く顔を出さなかったのは、これとはまるで関係がない。
 テレビ番組の編集権はテレビ局の側にある。編集方針が不満であれば、出るのを断ればいいだけの話だ。テレビでごはんを食べているのではないのだから。
 したがって今回も、どんな編集になるかにもよるが、ふつうに田母神国軍のコーナーが放送されれば、少なからぬ視聴者はきっと、『核武装の話がタブーだから、切ってしまった』と考えるだろう。

 しかし現場でみた実際は、「超大連立内閣の組閣名簿」のあたりで時間を使いすぎて、そのあとディレクターたちから「時間が足りない」と手書きで書いた紙(業界用語ではカンペというらしい。ぼくは業界人じゃないので、こうした言葉は使いません)が何度も繰り返し、示されたけれども、番組を仕切るレギュラー陣や、あるいはテレビに頻繁に出ている人たちが、これに気づかなかったのか何なのか、それはご本人にしか分からないが、さぁ先へ進めようというふうにはならず、長い発言も続いた。

 テレビ番組は、生放送でなくても、収録時間には限りがある。最初は、ぼくもそれが意外だった。ナマでないのなら、もっと融通がきくと思っていた。
 あまり詳しく聞いたことはないが、スタジオの使用時間が予定より延びてしまうと、次に予定されている別番組の収録に支障が出たりめちゃめちゃになってしまうこともあり、予定時間は、多少は延びることがあっても、大幅には変えられないようだ。

 視聴者がそんなことまで考える義務も必要もないから、ふつうにご覧になっていれば、「核論議がタブーだからカットしたのでは」と考えるのが当たり前だろう。
 もうひとつ気になったのは、田母神さんは、諸国で言えば空軍の長を務めた退役将軍だ。そのひとをお呼びしておいて、これでは礼を失する。

 スタジオを出て、控え室のほうに戻るとき、廊下で田母神さんが後ろにいらっしゃったので、お待ちして、一緒に歩いた。
「時間が無くなってしまったということでしたが、驚きましたね。とても残念です。せっかく幕長(ばくちょう)がお出でになっていたのに」と申した。
 ぼくが謝ることではないが、同席者としてせめても、遺憾の気持ちはお伝えしたいと思った。
(ぼくは防衛庁担当記者だったときの習慣で、幕僚長の経験者は、田母神さんに限らず幕長とお呼びすることがある)

 田母神さんは柔和に苦笑しつつ、「ねぇ、話はこれから、というときに」と答えられた。
 一軍を率いたひとだけあって、ごく穏やかにされていた。
 そして「青山さん、○○の(この部分は聞き取れなかった)世論調査では、85%の人が日本の核武装に賛成だったのですよ」おっしゃった。
 ぼくは「そうでしょうね。ぼくは反対なので、保守の人からも批判されています」と答えた。田母神さんは、微苦笑された。
 その通り、ぼくは反対だが、賛成論が増えるのは、胸のうちでは飛び上がりたいぐらい歓迎する。日本は主権国家であり、国際社会の他の主権国家と一分の隙もなく完全に同等の防衛の権利、軍事的オプションを持つのだ、というフェアな国民意識の高まりに、直結しているからだ。
 田母神さんのおっしゃった世論調査は、おそらくは、昨年の12月に産経新聞がおこなった調査(ネット・アンケート)だろう。
「日本は核武装すべきか」の問いに「賛成」が実に85%。「公の場で議論だけでも行うべきか」については96%がそう思う」と答えたという世論調査だ。

 他の新聞が同じ世論調査をすると、まるで違う結果になってしまうのかもしれないが、産経はあくまでもフェアな調査をしていると考える。産経新聞の問いかけに答えてくれる層では、こういう結果が出ているということであり、前述したように、背景にある、少なからぬ数だろう国民の意識変化は、大いなる前進だと思う。
 そのうえで、ぼくが国民軍の創設を長年、主張し、その主張のなかで「わたしたち日本国民が一度も、国民軍を持ったことがないということは、主権者の意思で、日本にはどんな戦力が必要かということを決定したことがないということであり、それでは日本は本物の国民主権国家とは言えない」と防衛庁・防衛省の講義などで述べ、その具体的な戦力の案のひとつとして、動力としての原子力潜水艦の保有と、通常弾頭の潜水艦発射型弾道ミサイルを搭載しての外洋を含めた積極配備、軽空母の複数保有などを主張することによって、孤立するのなら、それでよい。
 孤立して、死ぬだけである。
 にんげんが、もしも永遠に生きるのなら、いつまでも生きねばならないのなら、ぼくも孤立を怖れるだろう。
 しかし、ひとは死ぬ。天命をささやかに生き、天の定めるところによって死して、地に埋(うず)もれればよい。
 人間の生きざまは、死生観が決する。

 話がそれたと思う人もいるだろうが、ここはぼくの個人ブログ、意の赴くままに、自在に書かせていただく。
 ついでの余談で申せば、ぼくは明日、都内の病院で、癌かどうかの最終診断を聴く。
 年末の手術で切除した大腸ポリープは、腸管をほとんど塞ぐほどに巨大で、執刀した医師からは「癌の可能性が極めて高い」と告げられている。
 術前の検査では、ポリープから癌は一切、発見されなかった。しかし切除してみると、ポリープがあまりに大きすぎるので、そのすべてをスライスして調べるということだった。
 ぼくは、客観的におのれを見て、しごく平静であった。
 おのれの死生観が嘘ではなかったことが、自分にも分かって、この嫌なことばかりの年始に、それだけが嬉しい。
 明日の最終診断が「やはり癌でした」、「いや癌ではありませんでした」、いずれであっても、ぼくは不変である。


 介護を続けている実母は、いま入院している。
 きょうの祝日、仕事の合間を縫って早朝に病室に訪ねると、「おまえ、手術すると言われたときは、びっくりして大変だったろう」と、昔ながらに澄んだ目で言った。
 母には、もちろん医師の前述の言葉は一切、申していない。あくまで、ふつうのポリープだったという話しか、していない。
 母にとって、ぼくは「病気をしない子」だった。大人になってからも「どんなに忙しくても倒れない男」だった。だからこそ「手術と言われたら、びっくりしたのでは」と聞いたのだが、ぼくは実際、まったく何も驚かなかった。
 母に、「そういうときに平然としていなさい、と教育してくれたのが、お母さんではないですか。ぼくの背骨をつくってくれたのは、学校じゃない、家庭教育だった」と言うと、老いた母は「そんなことはない。わたしなど、何もしていない。おまえが自分で切り開いたんだ」と、いつものように答えた。

 ぼくは、明日の最終診断で癌であれば、即、この個人ブログで公表する。
 ぼくは一民間人に過ぎないが、世にいくらかでも発信している以上は、生死に関わる事柄は、一応、公表すべきだろうと考えるからだ。
 ただし、術前も術後も、まったく元気であり、仕事も何もかも、これまでと寸分、変えるつもりはない。変えないまま、道なかばで、いずれ死ぬ。


▼前述の番組収録での話について、ひとつ付記すれば、田母神さんの話は、田母神国軍のコーナーが短すぎたこともあり、きっとほぼノーカットで放送されると思う。
 それに、放送前にネタバレのようなことをして礼を失することは、しない。
 だから趣旨だけを記した。切れのよい言葉を、放送で楽しんでください。

 靖国神社の崇敬奉賛会に、「平成二十一年度 講演・シンポジウム・勉強会記録集」がある。
 ぼくの下手くそな講演も収録されているので、この年末年始、入院中も含めて、「ぼくらの祖国」(扶桑社から発刊予定)の仕上げのために、それをぱらぱら見ていたら、田母神さんの講演録がまず巻頭に、収録されている。
 読むと、素晴らしかった。共感した。
 お世辞、社交辞令は一切、申さない、それは保身であるから。
 これが、ぼくのまことに小さな信念のひとつだから、内容に失望すれば、個人ブログであっても、こんなことは記さない。
 この地味な個人ブログにアクセスしてくださる人々のなかには、田母神さんのファンもいらっしゃるだろうし、そうでない人もいるだろう。特に後者は、一度、読んでみてください。非売品だから、靖国神社に迷惑がかかるかな? いや靖国は、国民に広く開かれているから、積極的に応じてくださると信じる。
(ただし、ご希望の方は、送ってくれなどと無理な負担を靖国神社におっしゃるのではなく、靖国神社の崇敬奉賛会にいったん入って入手するなどのご努力を、ぼくからお願い申しあげます。崇敬奉賛会は、正会員の年会費が1口、3千円です。靖国神社に反対のかたも、すこし高い本だと思って、参考・勉強のために入会され、この田母神さんの講演録を手にされてはいかがでしょうか。ほかにも、有意義なシンポジウムや勉強会の記録が克明に載っています。あくまでもぼくの個人的な提案です。靖国神社には一切、何も申していません)

 一方、ぼくの発言については、これまでの長い年月の経験例では、大きくカットされるのが常であり、実際に発言した言葉を、あえて記した。
 しかしもちろん、収録で発言した言葉の、ごく一部に過ぎない。


▼2年間ほど全く出なかったTVタックルに、再び参加するようになっている理由のひとつは、裏方のスタッフが物凄く、勉強しているという事実だ。
 テレビの世界では、報道番組であると明確にうたっている番組でも、「あまりに不勉強ではありませんか」と落胆してしまうような電話が、スタッフから、かかってきたりする。
 そういうとき、ぼくは「そのお話に迎合して話すからテレビに出たいという人も、いらっしゃるでしょう。それでも、その人の考え方、生き方ですから、ぼくに異論はありません。そのかたにお譲りします」と話している。ぼくは皮肉を言う才覚とセンスがないので、もちろん皮肉ではない。

 しかしTVタックルは、荒れ放題になることもある番組の雰囲気からは意外かもしれないけれど、スタッフが見えないところで、ほんとうに感心するほど勉強してから、取材に来られたり、出演(ぼくの言葉では参加)の交渉をされたりする。

 そのために、ぼくは昨年の後半に、「今後、できるだけ協力します」と約束した。
 約束した以上は、今回のことがあっても、この番組には協力する。ただし、いつもと同じく営業その他、こちらから交渉することは一切ないから、お声がかからなければ、それまでです。


▼ネットでは、ぼくに対する中傷誹謗が相変わらず花盛りのようだ。
 ぼくは積極チェックをしていない。正直、その時間がない。
 捜査当局の捜査対象になっている事案もあり、そのチェックが行われている。

 ただ、読者や視聴者から「こんなひどいことが書いてある」と知らせてくださるメールなどが、かなり届く。
 そのなかに「青山繁晴は、テレビに出たいから、核武装を否定している。嫌な奴だ」というものがあった。
 嫌な奴と言われるのは、まったく構わない。
 しかし「テレビに出たいから核武装を否定」?

 もう嘆息するほかない。
 そもそも、ぼくはテレビに出たくない。
 なぜ、テレビに出たいのですか? 目立ちたいから?
 ぼくは小さいときから、目立つのが嫌いだ。
 テレビで好きなのは、生放送の緊張感だったけど、それももう、かなり味わったから、もはやこだわりはありませぬ。
 関西テレビも、TVタックルも、チャンネル桜も、すべてぼくなりの同胞に対する義務のひとつとして関わっているだけで、いまは、すべての番組出演が、私的(してき)には負担で苦痛であり、義務と思わなければ、即、すべて辞めたい。
 もう義務は果たしたと思えるときがもしも来たら、すべて辞めます。

 どうして、ご自分の感覚に、あるいはご自分の慣れた感覚に、他のひとをすべて引き寄せるのかなぁ。
 いい悪いも関係なく、違う感覚の人間はいます。
 ぼくは目立つのが根っから嫌いだから、テレビに出たくない。だから出演交渉や営業は一切しないし、「出演」という言葉も使わない。
 講演は、目立つと言うより、高い演台から話すのエラソーだから、そこが苦手なこともあり、必ず客席に降りて、みんなと一緒になって考える場にするようにしている。
 講演には、みなさんと直接に触れあえるという、かけがえのない値打ちがあり、これも積極営業をしたり業者に仲介を頼んだりしないが、お申し出があれば、なるべく応えるようにしている。

 テレビに出たいとか出たくないとか、そんな話と、日本国民が核武装を選択するのかしないのかという重大な問題が、どうしてごちゃ混ぜになるのか。
 中傷されて不快だと言うより、落胆し、元気がすこし削がれる。

 ぼくを中傷するのではない人でも、「青山さんが核武装論者だったら、関西テレビのアンカーでコーナーも持てないだろう」ということを書き込んでいらっしゃるひとがいるけれど、そんなことがあるんですか? 関テレさん。
 関テレにそんなことを聞いたことすらないけど、日本のテレビ局が核武装の論議をすでにそんなに真剣に捉えているとは、とても考えにくい。
 たとえば人種差別の支持を信念として発言する人がいれば、その人は確かに、テレビ番組に出られないだろう。
 しかし「中国も北朝鮮も核を保有するなか、日本も核を持つべきだ」という議論が、そんなタブーになっている気配は、少なくともぼくはまったく感じない。
 ネットで、口角泡を飛ばす議論になっているほど、テレビの世界では議論になっていない。
 少なくとも、ぼくが「核武装に反対しているから、他のことで、はっきり物を言おうとしていても関テレのアンカーでコーナーを持つことができている」という事実は、全くない。それは明言できる。
 あのコーナーが潰れることを望むひとは、権力者の中にも、沢山いる。
 それがどうにか続いているのは、ひとえに、視る人、反対・賛成を問わず関心を持って視てくださる視聴者が多いからだ。
 だから関テレは苦労にも耐えてくれているのであって、核の論議がそれと関係している? 放送の現場で、どこをどうみても、それは気配すらありません。


▼「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」、「国の交戦権はこれを認めない」と、明確に国家の主権を否定する憲法が一字一句、変わらないまま、自衛隊が、自衛官の志とは違って、北朝鮮で拉致被害者、特定失踪者を救出する作戦など、まったく立案も許されない情況が、一切変わらないまま、核の論議が、保守を中心に白熱する。
 前述したように、国民の意識の変化としては、あるいは意識変化のきっかけとしては、たいへんに前進する意義はあると思う。
 ただし、いつまでもこれでは、核の論議は机上の論議だけになり、賛成の人も反対の人も、ただ言い合っただけの空しい結果になるだろうと考える。

 そして、ぼくがかねてから予言していることを、できれば思い出して欲しい。
 やがて、それまでは核廃絶を叫んでいた有識者、評論家、TVコメンテーターの多くが一斉に「日本は核武装をすべきだ」と一転、そろって叫ぶ日がやってくる。
 ぼくの孤立は、その意味からも、あらかじめ予感している。

 現在の核武装賛成論者は、こういう迎合者とは違う。それはぼくは断固、信頼している。
 しかし、やがてあなた方に、このような人々が加わるだろう。
 それは日本の夜明けか?

「どうせみんな実は自分だけが可愛いはず。自分のことだけを考えているはず。さまざまな主張も、それが根にあるはず」、そういう世界観を超克しつつ、核を含む安全保障・外交の論議をも、まっすぐ真ん中から賛成、反対が気持ちよく激突して、進めていくべきではないだろうか。


▼この書き込みは、TVタックルの収録があった土曜日から書き始めて、今までかかってしまった。予定の仕事(執筆)がすべて犠牲にもなってしまった。
 もうテレビでは、タックルの前半が始まっていますね。
 書き込みアップがこの時間になったのも、その事情だけであり、まったく他意はありません。
 他意はないことをいちいち説明しなければいけない社会のありかた、息が詰まるような社会は、できれば日本は卒業したい。

 今回の収録の途中打ち切りで、一番がっかりしたひとびとは、TVタックルのスタッフだと思う。あれだけ勉強したことが、少なくとも今回は生かせなかったのだから。
 核論議がタブーだからとか、そんな大それた話じゃなくて、組閣名簿の話などに(正確に言えば、これだけではなくて、他の話も含めて)予定以上に時間を費やしてしまった、そのアクシデントに過ぎない。
 これがむしろ、テレビ番組なるものの実態です。いまだにそれなりの関心を集めるわりには、信じがたいほどアバウトなところがある。
 わたしたちは、もうすこし肩の力を抜いて、くだらない事実はくだらない事実として(※追記 価値のない事実という意味ではなくて、さしたることもない事実・経緯は、そのまま大したことでもない事実・経緯として、という意味です)ありのままに受け止めることも、大切ではないかと思います。

 そうでないと、ぼく自身も含めて、みんな余計なことで疲れてしまって、それこそテロ国家や独裁国家が喜ぶことになる。

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