ちいさな冬富士をみた

2007年02月19日 | Weblog



 いま二千七年、平成十九年の如月(きさらぎ)十九日の午前十時半ちょうど。
 お正月に書き込んでから、一度も、書き込むことができずにきた。

 年が明けて、ぼくの一身のまえの権威主義の高い壁、反権力と権力との巧妙な癒着は、いっそう分厚くなっている。

 このブログに、ひとことを書き込むための数分の時間もなく、この二月下旬ちかくまで来た。
 多忙には耐える。
 いつか死がぼくを休ませるから。
 ただ多忙のなかで強まっていくばかりの徒労の感覚と疎外感は、ほとんど誰にも話せず、正直、ここ七、八年ではもっとも苦しい時を、かろうじて生きている。



 慌ただしく乗り降りする狭い機中から、よく富士をみる。
 先日、いつもよりずっと南のルートを飛行機が飛び、そこから、富士をみた。
 わたしたちの列島の色と姿をよく伝える半島に、ぽつぽつと雲が湧き、その向こうに小さな富士をみた。

 富士を、間近な空からみることが多い。
 その大沢崩れの傷の深さ、ことしの雪の薄さをありありと何度も眼にして、富士の苦しみを感じるように思うときが増えた。

 それでも、小さくなった富士をみて、胸のなかの灯火が揺れた。かすかに明かりを強くした。
 太宰治の「富嶽百景」を、高校生のとき感嘆しつつ読んだ記憶も、ふと思い起こす。太宰のあがることのなかった天空から、富士が、しんと清冽に鎮まっているのをみている。

 富士を造った、わたしたちの列島のエネルギーは、南の硫黄島に、運命の火山をも造った。擂鉢山、すりばちやまだ。
 日本国民の島に星条旗が打ち立てられた擂鉢山は、富士火山帯につながり、ぼくが訪れたときも水蒸気を、白い末期(まつご)の息のように吐いていた。

 ああ天よ、ぼくのあまりに小さな命が死して地の奥に埋(うず)もれる、そのまえに、せめてひとつなりとも、われらの祖国と、それからできれば広く国境を越えた人の世に、寄与せしめよ。




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4 Comments

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ちいさな冬富士を見た (さくら)
2007-02-19 14:47:36
元旦以来のブログを楽しみに読ませていただいたのですが、文章から青山さんの疲労が伝わってきて、胸が痛くなりました。ここ7,8年で最も辛いと青山さんが言われるということは、私では想像することができない辛さだと思います。
でも私のような普通の主婦でも理解できるようなコメントを発信されるのは青山さんしかいらっしゃいません。どうか心と体を大切になさってください。
今週のアンカーも楽しみにしたいます。
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富士山 (TT)
2007-02-19 19:12:49
ご多忙中にもかかわらず、更新していただきありがとうございます。
冬の晴れた空に富士山を見かける時、清々しい気持ちになります。
空からの富士は、小さく見えても存在感がありますね。
私は、青山さんが富士のように何事にも動じず、世の中のために尽くされていらっしゃることに感銘をおぼえます。
どうぞお身体をお厭いくださいますように、それだけはこころからお願いいたします。

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本当にお疲れ様です。 (kazuhito)
2007-02-19 20:04:35
青山さん遅ればせながら本年もどうぞよろしくおねがいします。 
 最近はアンカーを録画し忘れることも無くなって、事象の見方、それもど真ん中の見方を勉強することができて本当に感謝しております。周りの知人にも薦めております。
 孤軍奮闘されていることへどう申し上げて良いのかわかりませんが、友人知人に話をする機会に事象の真意をちゃんと説明できるよう、また青山さんの汗を無駄にしない為にも僕自身精進します。いつもいつもありがとうございます! 
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孤高の富士 (白百合)
2007-02-19 22:50:10
私は静岡県清水の生まれ(今は静岡市清水区なんだそうで)です。青山さんの「大沢崩れの傷の深さ・・・富士の苦しみを感じるように思うときが増えた。」の一文でハッと富士が足を踏ん張って故郷を守ってくれているような気がして涙が溢れてきました。私が故郷を出た数十年前からずっと大地震が来るぞと言われ続けつつ今なお平穏で居られるのは、もしかしたら地下のマグマを歯を食い縛って抑え続けてくれている富士山のお陰なのかもしれません。と本気で思える程、富士の懐は人間的で温かい何かがありますよね。青山さんの前にいつも立ちはだかる権威主義の高い壁、どうぞお一人だけで真正面から体当たりすることだけはお止め下さい。ポールさんが来日され歌を披露して下さいましたね。北の国へも届いてくれることを願います。めぐみさんも恵子さんも京子さんも耳にしてくれることを切に切に祈ります。
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