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沖縄 ~辺野古の海~

2005年07月22日 | Weblog



▼写真は、沖縄本島・北部の辺野古(へのこ)の海を望む浜辺です。
 南部の普天間にあるアメリカ海兵隊の基地を、移転するために、この海に巨大な埋め立て基地を造るという日米合意があります。

 ぼくは、利害関係のない専門家として、この合意に正面から反対です。
 と言うより、もはや実現の可能性はありません。

 海兵隊のヘリコプター基地を、海の真ん中に造ったりしたら、そのヘリをずっと真水で洗わないと怖くてヘリ・パイロットは飛べません。兵も乗れません。
 どんどん錆びていきますからね。

 その真水をどっから持ってくるのですか。
 洗った後の水を、この海へ、じゃあじゃあ流し続けるのですか。

 いったい、こんなバカな案を誰がひねり出したのか。
 賛成、反対を言うまでもなく、不可能な話です。
 これを画期的な合意と称した橋本龍太郎首相(当時)の責任は重いと思います。


▼辺野古を訪れて、携帯電話でこの写真を撮ったのは、7月17日・日曜でした。
 台風が迫ってきていたので、浜辺で座り込みを続けている反対派のひとびとは、テントをたたむ作業をしている最中でした。

 アメリカ軍も実は、こんな計画はもはや「たたみたい」と思っているのです。
 日本政府は、形だけの調査を強行することなどさっさとやめて、ほんとうは普天間基地をどうするのか、どこへ移転ないし統合するのか、正直な議論を始めるべきでしょう。
 嘘は、やめなさい。
 こんな嘘はむしろ、日米同盟を危うくもします。



沖縄、東京、そしてロンドン

2005年07月22日 | Weblog



▼7月15日の金曜に、巨大台風の近づく沖縄で、青年会議所(JC)主催の『島から安全保障を考える』という新しい視点のフォーラムに、JC沖縄地区会長や沖縄県の副知事と出席し、17日の日曜深夜に帰京。
 数時間後の18日・月曜朝には大阪へ向かい、火曜にふたたび帰京。

 帰京すると、エネルギー・インフラをテロリズムから護る独立総研の研究プロジェクトのために、研究員たちと、実力部隊をもつ政府機関(複数)や、公共事業体をたくさん、ぐるぐると回って、ずいぶんな数の当局者や事業体幹部と、内心で気力をふりしぼって議論し、突っ込んで打ち合わせを重ねた。
 政府機関や公共事業体は、それぞれが複雑に異なる主張と利害を持っているから、それを調整しつつ物事を前へ進めるのは、つまりは神経戦の一種だ。
 心身を集中させて臨まないと、なにも進まない。

 ましてや独立総研は、徒手空拳の純然たる民間シンクタンクで、特権も権限も一切ないなかで国民の立場からテロ対策と取り組んでいるのだから。

 それをしながら同時進行で、タクシーのなかや、役所のロビーやらで締め切りのきた原稿を書き、モバイルで送稿し、さらにはPHP発行の論壇誌『VOICE』の連載コラムのゲラを直し、21日の木曜夕刻には、もう正直、ほんとうにグッタリになっていた。
 こころのなかは「はい、とりあえず任務完了、さよーならー」という感じだった。
 ふひ。

 それでも、独立総研・本社で全体ミーティングをやり、みんなの志気、戦意を一つにすること、高めることに努めた。
 シンクタンクである独立総研は、株式会社だ。それは自立を保つためであって、目指すものは、わたしたちの社会、祖国、世界の改革への貢献だから、志気と戦意がなによりも大切になる。


▼ミーティングのあと、もうこの疲れからすると帰宅しなきゃ、帰宅しなきゃと思いつつ仕事を整理していると、ロンドンでテロが再び起きたらしいという第一報。

 研究員は全員、帰宅させたけど、イギリスやアメリカとの時差もあって、ぼくはそのまま社長室で徹夜で情報収集となった。

 そして今朝、22日の朝は、まずまず元気。
 これからロンドンの真実を探りつつ、独立総研が会員へ配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」を執筆する。



☆写真は、やんばる(沖縄本島の北部のこと)で撮った、台風の風に揺れるハイビスカスです。
 琉球芭蕉の葉のなかで、光をうけとめて毅然と美しく咲いています。

 沖縄で撮った携帯電話の画像を、このあと何枚かアップします。