▼みなさん、いま、大好きな沖縄に向かう機中です。
ことしの春の烈しい嵐が東上する、そのちょうど逆に西へ向かっています。
機はずいぶんと揺れています。フライトの揺れには自然に慣れています。成田からロンドンまで十数時間、ずっと揺れっ放しということもありましたね。船とか飛行機に酔うことはないので、機内でふつうに仕事しています。
さきほどの機長のアナウンスメントによると、たった今の那覇は大雨だけど、このフライトが着陸するとき、ちょうど晴れてくる見込みだそうです。
みなさん、嵐にどうぞ、お気をつけください。
▼那覇空港には、世界でもっともモラルの高い海空の防衛力である、海上自衛隊の哨戒機や航空自衛隊の戦闘機もいます。
ぼくは那覇に降り立ち、まだ飛び立つときいつも、こころのうちの深い感謝と敬意を込めて、これらの部隊にちいさく、ちっちゃく敬礼しています。
もちろん民間機の窓の内側で、そんなことがあるとは、自衛官のかたがたは想像されていないと思いますが。
こないだ「有吉のバカだけどニュースはじめました」というテレビ番組(ただし実験的な特番だそうです…)の最後に、思わず、小峠さんというタレントのかたとハイタッチし、固くハグしました。
そして、思わずちいさく敬礼したのも、この那覇でのひそかな習慣がいくらか影響していたんだろうな、と思います。
那覇から、現実に海上自衛隊の哨戒機P3Cに、独研(独立総合研究所)の研究員たちと乗り組み、尖閣諸島、それから日本の海底ガス田や海底油田を中国が侵食して開発している現場に低空飛行で向かったこともあります。
中国がいま狙い、今後も水面下で工作してくるのが、「琉球の独立」です。
中国は分かりやすく軍事占領など、なかなか致しませぬ。
もともと戦争に弱い国は、外交工作がしたたかです。フランスや朝鮮がそうであるように、中国も巧妙です。
日本国沖縄県の世論と心理、そして、たとえば県条例のあり方にも工作を続け、まずは琉球の独立という名目で、わたしたちの沖縄県を祖国から切り離そうとするでしょう。
中国による沖縄支配が万一、始まるのならば、そこからです。
ぼくは命ある限り、沖縄とともにあり、僭越ながら護り続けます。
それが、沖縄戦のむごい犠牲のおかげで生きている、敗戦後の日本国民のたいせつな志のひとつではないかと考えます。
独研もその組織ある限り、沖縄への貢献を目指します。
▼沖縄では、まず「白梅(しらうめ)の塔」にお参りします。
それは、ぼくなりに30年を超えて続けてきたことですが、今回だけはまったく違います。
実に50人のかたがたと一緒に、花を捧げ、石碑のうえに彫られた、白梅学徒看護隊の少女たちのお名前、それから沖縄第二高等女学校の先生方のお名前を、ひとりひとり清い水で洗わせていただき、さらに、68年前の凄惨な春から初夏の気配を、そのまま残している自決壕に入ります。
▼わたしたちの独研には、インディペンデント・クラブ(IDC)という会員制のクラブがあります。
いまの会員数(定数)は500人です。
入会を希望されるかたは、この倍を超えていらっしゃいます。
だけども、なにせ苦闘千里とも言うべき経営状況の独研ですから、IDCの事務局スタッフは、ごく限られた人員です。
IDCも謙虚に運営したいので、そのスタッフできちんと対応できる範囲内の会員数に限っています。
(ただ、いずれは定数も増やせるでしょう)
このIDC会員とは、国会をぼくが解説しつつ一緒に歩き、いま内閣官房副長官になっている世耕弘成・参院議員と議論する会をおこなったのに始まって、さまざまなイベントを遂行しています。
すべて例外なく、ぼく自身がフルタイムで参加します。
なかには、ぼくのドライブするレーシングカー(ロータスCUP260)の横に、ひとりひとり乗っていただき、モーター・レースの世界をすこしだけ味わっていただく会も、ありました。
ぼくは走りに走り続け、最後のひとりまで無事に味わい終わられたときには、新品近かったSタイヤ(レース用のセミ・スリックタイヤ)が4本すべて、寿命となっていました。ふひ。
今回は、そうした会のひとつとして、白梅の塔のお参りを募集したのです。
多くの会員にとって近くはない沖縄ですから、どれぐらいのかたが参加なさるかと思っていたら、実に42人が参加されます。
そこに、白梅学徒看護隊の生き残りである中山きくさん(白梅同窓会・会長)ら4人の、かつての少女たちも加わってくださいます。
お参りのあとは、この白梅同窓会のみなさんと、IDC会員、ぼくの御一行様で沖縄料理のお昼ご飯をともにしつつ懇談です。
沖縄と祖国を護ってくださった少女たちと、少女と共にあった英霊のかたがたに、どんなにちいさくとも、かすかでも、報いるために、この会も計画しました。
▼それがあすの日曜日、明けて月曜には、沖縄県の仲井眞知事とお会いします。
ひとつには、先に天皇皇后両陛下がついに、中山きくさんをはじめ白梅同窓会のみなさんと沖縄で会ってくださり、お花も下賜いただいた、そのことに知事がずっと協力してくださったことへの、魂からのお礼です。
そして今回は、中国や普天間を含めた安全保障のナマの課題についても、知事とざっくばらんに議論することになると思います。
防衛大臣の小野寺さんが、まさしく今日、知事を訪ねて普天間などについて話しているそうですが、ぼくの訪問は関係ありません。
ぼくはあくまで完全に自由な立場で、そして立場の違いを常に踏まえつつ築いてきた個人的な信頼関係に基づいて、知事とお話ししてきます。
▼かつてアメリカ軍は、東京都の一部である硫黄島(いおうとう)を占領した翌朝に、沖縄の慶良間諸島に侵入しました。それが沖縄戦の始まりでした。
沖縄戦と繋がっているのが、硫黄島の戦いです。
いまだ故郷に帰れずにいる、およそ1万2千人の硫黄島の英霊のかたがたと、白梅の少女たちにささやかに報いることが、ぼくの、ちいさなライフワークの数々のひとつです。
その硫黄島に、まもなく安倍晋三総理が初めて、入られます。
そこで先日、総理官邸に安倍総理を訪ねて、硫黄島の英霊を故郷に取り返すために何が必要か、何が根本かを、話し合ってまいりました。
第一次安倍政権で、松岡農水大臣が現職閣僚のまま突然、自決なさったその翌日に、ぼくは官邸で当時の若き総理だった安倍さんと昼食の約束がありました。
閣僚の自害という事態が突発しましたから、当然に中止になると思っていたら、「予定通りに来てください」という連絡がありました。
『こういう時にこそ、外交・安全保障は変わらず冷静にやりたい。だから専門家としての、あなたの話を聴きたい』という総理の、深い決意によって、予定通りに行われるのでした。
ところがぼくは、日米の話も日中の話も日露の話もせず、貴重な時間の大半を使って、「硫黄島の英霊を取り返しましょう。自衛隊が使い続けている滑走路の下の英霊も取り返しましょう」という話をしました。
いずれ安倍政権が、野党によってではなく、自民党内の親中派、親韓派、親北派によってこそ潰されることを、ありありと予期していたからです。
先日にお会いすると、安倍さんは、その時のことを昨日のことのように覚えておられました。
いくぶんお疲れにも見えました。何もかも総理のリーダーシップで遂行しているのが、第二次安倍政権の現実だからです。「仕事を分担すべきです」と言うぼくに、総理は「大丈夫!」と非常に強い言葉で応えられました。
その凄まじい激務のなかで、わざわざ今、硫黄島に行かれるのです。
参院選の票にはほとんどならない、アベノミクスとも関係ない、その硫黄島訪問を今、なさる。
安倍総理への信任や不信、期待や失望、好きや嫌い、保守やリベラル、改憲に護憲、たくさんの意見と立場と感情の違いが、日本国民に広くあります。
その違いを、われらのオリジナルな日本型民主主義のためにこそ、あくまで護りつつ、まっ直ぐ真ん中から連帯できるところは、連帯しませんか。
▼ぼくは、扶桑社という出版社が世に送り出してくれた「ぼくらの祖国」という書を、総理官邸でカバンから取り出し、安倍総理のまえで、下手なサインを致して、お渡ししました。
その書にこそ、硫黄島をめぐる真実のほとんどすべてを初めて、書き込んでいるからです。
安倍さんは、にっこりと笑って、「確かに受け取ります」と、通称「ぼくそこ」、あるいは通称「赤本」を、受け取られました。
(↑ 再掲の写真ですが、まさしくIDC会員が撮って、送ってくださった「沖縄の青空の下の、ぼくそこ」です。この場所は、沖縄戦の激戦の跡です。そして、この撮影された女性会員もまた、日曜日の白梅へのお参りに参加されます)
*そして冒頭のちいさい写真は、那覇に着いた直後です。
確かに雨はあがっていました。
白梅の少女たちにお参りをする日曜には、きっと明るい陽の光も差すでしょう。天よ、ありがとうございます。
指さす先には、沖縄の県花、デイゴの花が咲いています。携帯電話の写真ですから、見にくいでしょうが、1年に1度だけ咲く、豊かな深みのあるオレンジ色の、花です。
今日は土曜日、知事にお会いしたりするのは月曜なのにスーツを着ているのは、羽田空港に向かう前の早朝、コメント収録があったからです。日曜の朝に放送される「新報道2001」(フジテレビ)です。
中国経済について考えるまま、知るままに話しました。編集で、もちろんたいへん短くなると思いますが、放送はされるでしょう。
さっき那覇空港で車を待っていたら、なんと、関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」のコメンテーターのおひとりに声を掛けられました。「普天間問題でロケに来ました」とのこと。関テレのクルー数人もご一緒です。
あれ? このごろアンカーは予算がないということで、どんな現地取材の提案をしてもロケをぼくは断られているのにナァ。
近くでもまったく駄目、ということだったのに、ここは沖縄です。
どんなに志ある企画でもまったく駄目、ということでもあったのにな。
テレビの世界はどちらを向いても、不可思議なことだらけ。
同行している青山千春博士は、さっさと敏腕プロデューサーに電話して「事情が変わったんですね」と聞いていたけど、それへの答えは彼女も、伝え聞いたぼくも、さっぱり分からなかった。皮肉とかじゃなく、ホントに分かりませんでした。
テレビはやっぱり、そのインナーサークルの人たちだけでやる世界、かな。
とにかくロケ、頑張ってください。頑張れ、アンカー。
天は晴れ間もくださるし、こんなオモシロイ、しかし逃れられない偶然もくださいます。