木村一基がタイトルホルダーになる日 vs深浦康市 2009年 第50期王位戦

2019年07月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 棋聖戦王位戦で挑戦者になり、一気に二冠も視野に入ってきた2009年度の木村一基八段

 しかも、棋聖戦では羽生善治棋聖2勝1敗、王位戦では深浦康市王位3連勝と、どちらもカド番に追いこみ

 「6番連続タイトル獲得の一番」

 という状況になる。

 まず、棋聖戦では第4局で、木村がいい調子で指していたように見えたが、羽生もしぶとい将棋で土俵を割らず混戦に。

 

 


 図で▲57香と、羽生が受けたのが危険な手で、ここで△19角成と香を取っておけば、後手玉の上部脱出が防げず、木村が勝ちだった。

 チャンスを逃した木村が、最後はらしくない受けのミスというか「一手バッタリ」のような手で、あっさりと持っていかれてしまった。

 これで棋聖戦はフルセットへ。

 むかえた最終局

 先手になった木村は、羽生の横歩取りを迎え撃つ。

 


 を作り、じっと▲85歩と突いて後手陣にプレッシャーをかけるが、ここからの羽生の構想が見事だった。

 

 

 

 

 

 あわてず△31玉と、ここで自陣の整備にかかるのが絶妙の呼吸。

 ▲84歩△82歩▲66馬にも、じっと△21玉(!)

 

 

 

 ねじり合いのさなか、こうやって静かにを固めるのが、実戦的な好着想だった。

 2筋3筋に、が立たないことも大きく、後手陣は盤石。

 以下△51△31にくっつけて、金銀3枚のプチ穴熊を結成し勝ち切った。

 

 あの全駒状態だった第3局ダメージをものともせずに防衛と、本当に羽生の勝負強さにはあきれるしかない。

 まずこれで、「木村二冠」はなくなった。

 負けたのは残念だったが、幸いなことにチャンスはもうひとつ残っている。そしてこちらは、3連勝と圧倒している。

 二冠の夢は絶たれたが、ここに大きな保険が残っていた。まあ、とりあえずひとつ取って、次のことはまたゆっくりと……。

 なんて考えていたら、こちらのほうでも、とんでもないことになっていた。

 なんとそこから1勝がなかなかできず、ついにはこちらもまた3勝3敗で、最終局にもつれこんでしまったからだ。

 流れが変わったのは第4局だった。

 佐世保で開催されたこの一局は、深浦の地元ということもあって、

 

 「ここでストレート負けだけはしてくれるなよ」

 

 相当に悲壮感があったらしいのだ。

 だがこの一番を木村は、らしくない拙戦で落としてしまい、そこから深浦の逆襲をゆるし、一気にわからなくなった。

 もっとも大きかったのは第6局だろう。

 相矢倉からの、両雄の汗がしたたり落ちるのが見えるかというねじり合い。

 終盤は難解すぎてわけがわからないので、局面だけ見ていただこう。

 

 

 形勢判断などはまったくの不可能だが、双方が「命がけで戦っている」ことだけは伝わってくる。

 木村勝ちの場面もあったようだが、最後は深浦が押し切った。

 大熱戦だったが、ここで追いつかれては流れは苦しい。

 第7局も、横歩取りから難解な戦いだったが、木村はついに勝ち切れなかった。

 まさかの、将棋界2度目の3連勝4連敗(ちなみに1度目は2008年竜王戦、羽生と渡辺明の「永世竜王シリーズこちら)。

 なんと木村は、9分9厘手中に収めていたはずの初タイトルを、ここで逃してしまった。

 本人も悪夢だったろうが、見ているこっちも呆然である。こんなことがあるのだろうか。

 その後、木村は2014年2016年とまたも王位戦の舞台に登場するが、ともに羽生王位に敗れた。

 特に2016年3勝2敗と、またも羽生をカド番に追い詰めただけに「ついに」と身を乗り出すも、そこから2連敗で悲願はならず。

 最終局が終わった後、敗者インタビューの痛ましさは、ご存じの方も多いであろう。

 またもしても、木村は敗れた。

 これほどの男が、勝てばタイトル獲得という一番を8度も落とすことなどあるのだろうか。

 なんだか釈然としないものはあったが、事実は事実だからしょうがない。さすがに終わったか。年齢的に2016年が最後のチャンスだったろうな……。

 というのは、私のみならず多くのファンが、同じように感じていたのではなかろうか。

 そこから木村は、またもよみがえった。

 A級に返り咲き、挑決でも因縁羽生を叩きのめしての復活劇。

 まるで詰みそうで詰まない、木村の玉のようである。しぶといぞ。

 今回、こうして木村一基の戦歴を振り返って連想したのが、テニスフレンチ・オープンだ。

 今年のローラン・ギャロス4回戦で、20歳のステファノス・チチパス2015年チャンピオンスタン・ワウリンカと対戦。

 これが5時間9分にもおよぶマラソンマッチとなり、最後はチチパスが敗れた。スコアは6-7・7-5・4-6・6-3・6-8

 トータルポイントは勝者のスタンが194に対し、敗れたチチパスは195と上回っていた。
 
 1時間後の会見で、チチパスは憔悴しきり、言葉を発することも苦しそうだった。

 それでも涙をぬぐって、勝敗を分けたのは、わずか1センチだったと語った。マッチポイントが、ギリギリのオン・ザ・ラインだったからだ。

 次の日、チチパスはツイッターで、こんなつぶやきをした。

 

 「挑戦し、失敗してきた、それがどうした、再び挑戦せよ、再び失敗せよ、よりうまく失敗せよ」

 

 アイルランドの詩人、サミュエル・ベケットの詩だという。これは、対戦相手だったスタン・ワウリンカの腕に彫られていたものだそうだ。

 ステファノス・チチパスは大舞台で敗れて涙した。

 スタン・ワウリンカもまた、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディー・マレーの「ビッグ4」に阻まれ、長くグランドスラムのタイトルが取れない日々に苦しんだ。

 スタンはその後、グランドスラム三冠に輝いた。若いステファノスも、すぐに走り出すだろう。

 木村一基もまた挑戦し、失敗し、また挑戦してきた。そういえば王位として待つ豊島将之だって、少し前まではそうだったのだ。

 なおも立ち上がった彼らの、その先にあるものは……。

 

 
 (佐藤康光と谷川浩司の名人戦編に続く→こちら

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