海外で会うゲイの人は、オランダのイメージが強い。
前回(→こちら)はディズニーランド・パリで出会った、ごくごくナチュラルなゲイカップルを紹介したが、オランダ(特に首都アムステルダム)はもともとゲイに寛容なことで有名ではある。
まあ、そもそもアムスはマリファナや売春が全然OKな、おもしろいところなので、べつにゲイだってとやかくいわれる義理もないわけだ。
実際、街にはゲイカップルやゲイショップもよく見られる。世界で最初に、同性婚が認められた国でもある。
私はノンケだけど、愛する人の性別が一般(とされるもの)と違う、という以外はまっとうに生きている人の権利が、ちゃんと認められることはいいことだと思う。
そんなアムステルダムのゲイカルチャーを思いっきり体感できたのは、2013年9月にヨーロッパを旅行したときのこと。
大阪からヨーロッパはKLMオランダ航空が便利ということで、東欧と一緒にアムステルダムにも立ち寄った。
アムス好きの私はもう3度目の訪問だったが、それでもなお新鮮さは失われることはない。
健全な旅行者である私には吸うも買うも無縁だが、運河沿いの道をぶらぶら歩くだけでも、いくらでも楽しく過ごせるのだから、「あやしそう」と二の足を踏む人にもおススメだ。チョコレートもおいしいしね。
ただそのとき、ひとつ気になっていたのが、街に妙に男同士のカップルが多かったこと。
いかに寛容の街アムステルダムとはいえ、明らかにいつもより増し増しなのだ。
白のタンクトップを着るか、逆に奇抜なファッションの人もいたりしたけど、たいていは見ただけで素人でもわかるゲイカップル。
人目もはばからずにイチャイチャしたりキスしたり、まあお盛んなことで。
前回も言ったが、それは世間の男女カップルと、なんら変わるところはない。
こりゃ、なにかそれ系のイベントでもやってるんちゃうかとあれこれ見てみたら、果たしていろんなことろで、ゲイのイベントを開催していたのであった。
今ネットで検索してみても出てこないので、もしかしたらかなり小規模でマイナーな催しかもしれないけど、『地球の歩き方』には小さく紹介されていた。
街の教会やイベントスペースのようなところを借り切って、主にアートな展示をやっていたのだが、そのモチーフに同性愛のものが多かったのだ。
男同士が抱き合ったり、じっと股間をのぞきこんでる写真とか、なかなかにモチーフがきわどい。
まあアムスは、それこそ絵葉書に男子の股間の「ゴールデンボーイ」が印刷されてたりする開放的なところだが、他の場所はともかく、こういうのが教会でオープンにされているというのが意外であった。
もちろんお客はそっちの男性が多かったが、オシャレでインテリっぽい女性も結構いた。もしかしたら、彼女らもそうなのかもしれない。
そういや、昔ゲイ文化に興味を持っていた大阪芸術大生のハビキノ君という友だちがいて(彼自身はノンケ)、こういうイベントとかに誘われたことあったなあなどと、なつかしく思い出したもの。
そこで彼と、
「芸術家とかすぐれた作家って、ゲイとかロリコンとか多いけど、やっぱそういう変わった性癖のある人って、才能が豊かに生れつくんやろか」
なんて話し合ったことがあるけど、ハビキノ君の描くマンガを手伝ったり、自主映画を一緒に撮ったりしてるとわかったもの。
これはたぶんだけど、別にゲイとかロリコンとか、その他なんでもいいけど、世間的に白い目で見られやすい癖(へき)のある人は、それだけで才能があるわけじゃなく、まさにその周囲からの無理解ゆえに
「孤独感」
「反骨心」
「罪悪感」
「わかりやすレールに乗れない諦観」
「むくわれない愛」
などを早い段階から身につけさせられ、その満たされないところが、「ふつうであること」が大きな障壁となる創作という行為においては、アドバンテージに変換しやすいのだろう。
編集家の竹熊健太郎さん曰く、
「作家はモテてないときが一番その才能を発揮できる」
とおっしゃっていたが、理解されない彼ら彼女らは、それを才能を伸ばす「ブースト」に使うことができる。その意味で有利。
いわば、カナダや北欧はウィンタースポーツが得意だけど、カナダ生まれだからといってスキーやスケートの才能があるわけではない。
けど、もしあったら、ノウハウや歴史、気候や土地柄といった条件的には有利な立場になれる。
みたいなことではあるまいか。安定した人生から「ロック」は生まれないものね。
そんなことを考えたりしたアムス滞在だったが、それにしても、日本ではなかなか見かけないせいか、男同士が街中でするディープキスは迫力があった。
オランダ人はでかいから、特にそう感じたのだろう。愛の形は様々であるなあ。
(続く→こちら)