映画『イエスのショッピング~買い物やめろ教会の伝道』を観る。
消費大国アメリカを憂うビリー牧師という人物が(ただし本物の牧師ではない)、スターバックスやウォルマート、ディズニーストアといった大手ショップにあらわれて、
「クリスマスに買い物をするのん、やめんかい!」
そんなシュプレヒコールをあげる姿を追ったドキュメンタリーだ。
ビリー牧師にいわせれば、
「クリスマスに高いモノを贈れなんか、聖書には書いてへん!」
とのことで、過度な買い物をいましめるパフォーマンスを各地で行っているわけである。
その様子だけ見ると、まあはっきりいって変人なんだけど、ビリー牧師の主張にも大いに聞くべきところはある。
なんでもアメリカのクリスマス商戦では、人は5000億ドルもの買い物をし、そのせいで500万トンのゴミが出る。財布にも環境にも優しくない。
というと、ゴミはともかく、お金が動くのは経済が活性化していいのではという意見も出そうであるが、カード社会のアメリカでは「借金」でモノを買っているのがポイントだ。
これがアメリカでは社会問題となっており、むこうでは低所得者でもガンガンにカードが作れるため、その支払いに苦しんだり、中には人生が壊れてしまう人もあとを絶たない。
なぜ支払い能力のない人にカードを作らせるのかといえば、もし引き落としができなくても、その取り立てでもうけが出るシステムを作ったから。
しかも自己破産も事実上禁じられているため、一度泥沼にハマると死ぬまで抜け出せない。
いわば、国ぐるみで悪徳サラ金業をやっているようなものである。
それはおかしいだろと、ビリー牧師は呼びかけるのだ。
なるほどという話であり、しごくまっとうな主張のようにも思えるが、ことはクリスマスである。
お祭りだ。そう簡単に「そうですか、じゃあ買い物をやめましょう」ともならないのが難しところ。
世の中は、理屈だけで動くわけではないのだ。
そう訴えるのは、オセロの松嶋尚美女史である。
私がこの映画を観たのは、『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』というドキュメンタリー映画を紹介する番組だが、ビリー側につく映画評論家の町山智浩さんに対して、松嶋さんは
「いいたいことはわからんでもないけど」
としながらも、ビリー牧師に肩入れはできないという。
そもそも、おふたりのやりとりの最初からして、
町山「この映画の原題は【もし、今のアメリカにイエス・キリストがいたら買い物なんかすると思う?】という意味です」
松嶋「するやろうなあ」
町山「すると思う? キリスト、何を買うと思う?」
松嶋「そら1年に1回、自分へのご褒美とかで高級時計とか」
町山「……時計はいらないでしょ」
松嶋「あと睡眠大事やから、テンピュール(枕)とか」
松嶋「するやろうなあ」
町山「すると思う? キリスト、何を買うと思う?」
松嶋「そら1年に1回、自分へのご褒美とかで高級時計とか」
町山「……時計はいらないでしょ」
松嶋「あと睡眠大事やから、テンピュール(枕)とか」
すでにかみ合っていない。松嶋さん、買う気満々です。
まあ、もし今生まれてたら、ジーザスも布教のために、拡声器とかスマホとか、ほしがるかもしれないけど。
そこからもふたりは、
町山「クリスマスにものを買うのは、デパートの戦略なんだよ」
松嶋「でも、みんなわかって乗っかってるやん。のせられる楽しみもある」
町山「クリスマスに買ったもので、後生大事にしてるモノなんてないでしょ」
松嶋「かもしれんけど、やっぱそれは気持ちやし、イベントを盛り上げる手段でもあるやん」
松嶋「でも、みんなわかって乗っかってるやん。のせられる楽しみもある」
町山「クリスマスに買ったもので、後生大事にしてるモノなんてないでしょ」
松嶋「かもしれんけど、やっぱそれは気持ちやし、イベントを盛り上げる手段でもあるやん」
おそらくは日本中の男女間で、何百回何千回と交わされたであろう水掛け論を展開。
私も一応男なんで、ここはまあウェイン町山側につくわけだけど、
松嶋「それでもクリスマスと誕生日はプレゼント買うべきだと思うの。店は在庫を処分できる、私らは欲しかったものがセールで安くてに入る。みーんな幸せちゃうの?」
とかいわれると、「うーん、そうかもなあ」と思わず納得しかけて、
「は! いやいやイカン! 女にいいくるめられてはいかんぞ! 町山さん、ふんばれ!」
あわてて首を振ることになる。
こうなると、松嶋町山のではなく、ほとんど男と女の代理戦争であるなあ。
あまつさえ、
町山「なんでクリスマスに彼女にプレゼント買わなくちゃいけないんですか?」
というミもフタもないけど、実は事の本質はその一言だよなあ、という問いに、
松嶋「あー、そういうことねー、そうきたかー」
「やっぱりね」みたいな返しをされると、なんだか自分が、ものすごく情けない発言をしてしまったかのような錯覚を覚えるのが困りものだ。
女子からしたら、「またその話?」てなもんであろうか。
うーむ、ビリー牧師もウェイン町山も、いってることはまっとうなんだけど、なんだろうなあ、この主張していることの「非モテ」感は。
色々意見はあるけど、ことこの問題に関してはどのように語ったところで、女性側の、
「小さいわね、この男は」
という視線がある限り、男側はついゴニョゴニョとなってしまう。
まあ、はっきりいって松嶋さんの声は論理のすり替えなんだけど、やっぱりこの問題に関しては正しいか間違っているか以前に、「買いたい人」の方が「気合い」がちがうようだ。
町山さんは、まだふんばった方だよ。
そんなどこまでも孤独な戦いを続けるビリー牧師と我々ですが、買い物賛成な人も反対な人も、とりあえずは破産しない程度にメリークリスマス。