前回の続き。
歯医者で歯石を取ってもらってると、過去にあったある歯医者の都市伝説が思い出された。
それが、漫画家の桜玉吉さんも遭遇した
「おっぱい ぽよん歯科」
これを体験したことがあると言うと、友人ヒゴバシ君から、
「それって胸やなくて、お腹なんとちゃうの?」
まさに「死の宣告」ともいえるこの言葉にうろたえた私は、そのような悲劇があってはならないと真剣に検証してみることにした。
というと女性読者からは『古事記』におけるイザナミのような
「あなにやし、えをとこを」(現代語訳「ああ、なんと素晴らしい男性だろう」)
のごとく、
「あなにやし、えろをとこを」(現代語訳略)
とでも驚嘆されそうだが、カン違いされては困る。
私にそんなセクハラのような意図はなく、純粋な学術的調査であり、その証拠に歯石取りのときも、
「私はなにも期待するところはないので、当てないでくださいね、絶対におっぱいを当てないでくださいね」
そう主張する気は満々なのだが、こうなるとなぜか『十二人の怒れる男』たちに熱くディスカッションされそうで、それも困ったものなのだ。
こういうときネット社会は便利で、youTubeで検索してみると、これをあつかった歯科医や歯科衛生士さんのチャンネルが見つかった。
前回は衛生士さんが2人でやっている「キラピカteeth」さんの動画を観たが、今回はまた別のもの。
歯科医の鹿乃さやか先生と、歯科衛生士の緒方まりこさんによる歯科ユニット。
その名も「キミのための歯医者さん」。通称「キミ歯科」である。
ここで言うことには、のぞきこんだときや、遠くのものを取るときに当たるのは、全然あるとのこと。
やはりあるのだ。
そこを、あれはお腹だなどというデマゴーグはいかがなものか。
こういう間違った情報を流布させることから、悲惨な戦争や虐殺が起こるということを、ヒゴバシ君は歴史から学ぶべきだろう。
もっともこれは服だったりとか、あるいはせいぜい「みぞおち」のことも多く、フェイク情報には気をつけなければならない。
あと、緒方さんによると、奥に設置された器具などを取るとき、つい「お尻」があたってしまうことがあるとか。
尻!
これは予想外であった。
ここまでのチャレンジャー教授のような勇気ある探索は、あくまで目標がおっぱいのぽよんであった。
ところがここに伏兵があらわれた。
本来なら、おっぱいだけでも大きな財宝となるのに、そこに臀部までが参戦するとは!
この開拓は私が思っていたよりも、奥が深いのかもしれない。
まりこさんによると、「気づいてないことが多い」そうで、そこがまたいいといえばいい。
こっちはわかっているのに、むこうは無自覚なまま。
その秘密が背徳感を生んで、ますます夢は広がるばかりだ。
お尻はイスに当たって気づくことが多いし、そもそも治療中ぶつかったら危ないから、そんなラブコメマンガみたいな「ムギュウ」なヒップアタックこそないものの、参考にしておきたい談話ではないだろうか。
なんてこんなことばっかり言っていると、私が破廉恥な男であるような印象をあたえそうだが、そうではない。
キミ歯科のまりこさんも、さやか先生も、ともに当たると
「なんか、幸せな気持ちになる」
とのことであって、女性にだって癒しをあたえられるのだから、われわれは堂々としていいのだ。
あと、前回「キラピカteeth」さんの動画で、
「患者さんに安心感をあたえるため、胸に詰め物をして当てながら治療する」
という衛生士さんの話が出たが、これには
「さすがに、それは偽物ってわかるやろ」
なんて笑ってしまったけど、キミ歯科の検証によるとこれは、わからないらしい。
タオルを詰めてフニフニやっても「おっぱいや」ということで、判別は困難なのだ。
となると、結局のところ角度的に肉眼で確認できないわれわれ患者からすれば、やはりどこまでも、お腹やみぞおちなどの「影武者疑惑」がまとわりついてくる。
夢とは、その手につかめたと思った瞬間に、するりと離れていくものなのか。
まるで、こちらをあざ笑うかのような幻術師たちのイリュージョン。
く、われわれの負けか!
膝を屈しそうになったが、ここに、さやか先生がこんなことを言ってくださった。
「おっぱいだと思えば、それがおっぱい」by鹿乃さやか
この瞬間、暗闇から一筋の光が差した。
なんという力強い至言であろうか。
これにくらべれば、世間でもてはやされているエジソンやニーチェの「名言」など、子供の落書きと同じである。
おっぱいだと思えば、それがおっぱい。
たとえ偽言に心を乱されようとも、そのときはこの言葉を思い出し、誇りをもって堂々と「ぽよん」を味わいたい。
いくつかの美しい発見があったこの冒険は、ひとまずここで、おしまいにしたいと思う。
途中はどうなることかと心配したが、最後はハッピーエンドで締めくくれて、今はさわやかな充実感につつまれている。
昨今、様々なところで日本の閉塞感を味わうことも多いが、
「あきらめず、不屈の闘志でもって戦えば、必ずや道は開ける」
この国の将来を惑う若者たちに、そう伝えたい。
俺たちの熱い夢と戦いは、まだ始まったばかりなんだという、そんな想いで胸がおっぱ、いっぱいなのだった。