横浜市神奈川区東神奈川、天慶年間に創祀で附近一帯の産土神として崇められている「笠䅣稲荷神社」は鎮座する。社歴は古く天慶年間(938-947)に淳和天皇勅願所「浦島院観福寺」の僧侶が稲荷山の中腹に社殿を建立し「伏見稲荷大社」の御分霊を勧請した創祀した。元寇に当たっては北條時宗より神宝=菊一の銘刀と神鈴を奉納された古社である。元禄2年(1689)山麓に遷座、社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから「笠脱稲荷大明神」と呼ばれ後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した。社地が鉄道敷設用地となり明治2年に当地へ遷座、明治17年村社に列格している。「良泉寺」前を左折し「京急線」ガードを潜り抜けた前に構えられた鳥居を抜けると正面に「社殿」がある。境内鳥居左には鎌倉時代末期から南北朝時代の慰霊碑「板碑」(横浜市指定有形文化財指定)がある。境内社として古峯神社、祖霊社、庚申塔、地神塔日露戦役記念碑がある。(2304)
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