町田市の郊外、忠生町と山崎町の間の閑静な場所に曹洞宗禅寺院「東向山簗田寺」は鎮座する。かつては入間郡越生「龍穏寺末」であったが、現在は福井市本山「永平寺末」としている。当寺は尾張の織田信長の家臣旗本簗田家が建立。簗田政綱は桶狭間の戦いで今川義元の本陣の場所を信長に知らせて急襲し、勝利した第一の功労者として「沓掛城」を与えられた。後の戦乱により落城、嫡子であった正勝は伊勢に落ち延びる。その後「正勝」は徳川家康に15歳で召し出され旗本の一員に加えられ、江戸に居を構え、そして町田市内の山崎全域と本町田、木曽の一部及び大和市域を与えられる。その領地内の「堂屋敷」という場所にあった浄土宗に属する「東岳寺」という荒れ寺を正勝は簗田家先祖の菩提寺として曹洞宗「東向山貞憲院簗田寺」とした。院号の「貞憲院」は平貞盛の「貞」、上杉憲定の「憲」に因んでいる。本尊は釈迦牟尼仏である。忠生公園通り山崎町方向へ下った「簗田寺信号」左手の小丘に鎮座している。寺域は樹木も多く緑豊かである。「山門」より入山すると境内正面に正面6間、奥行間6の入り母屋造りの「本堂」、右に書院と庫裡がある。本堂前には「夢碑」が建てられている。本堂左手には坐禅堂、図書室、衆寮がある。本堂の裏手には鶴見川の湧水の一つにもなっていて、大蛇の伝説もある「竜王が池」がある。この池の前に秋葉三尺坊石像、後方に「簗田家墓地」、右に「白月居」がある。駐車場墓地領域には「こもれび堂」と「子育て観音」、「至稲荷神社」がある。(2212)
簗田家墓地
簗田家墓地