相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

大地震のあとの熊本

2016-12-07 16:06:55 | 国内旅
今年4月14日21時26分マグニチュード6.5、そしてその28時間後の4月16日1時25分には後に本震とわかった熊本県熊本地方を震央とするマグニチュード7.3の「熊本大地震」が発生した。熊本は特に益城町、阿蘇は壊滅的な被害を被った。熊本のシンボル熊本城の再建には15年とも20年掛かるのではないかと言われている。あれから7ヶ月後のまだ余震続く11月熊本に降り立った。まだ町の至る所にブルーシートを被った家と屋根、そして塀が石垣、お墓が倒れた所が幾個所目に入り未だ手を付けられていない現状を目の当たりにした。「頑張れ熊本!! 」早い復興を祈るばかりである。(1611) 










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博士の生涯と業績を展示する「野口記念館」

2016-12-07 11:18:30 | 史料館
福島県耶麻郡猪苗代町(猪苗代湖北岸)越後街道=国道49号線沿いに福島県第一号の博物館「野口英世記念館」はある。日本の歴代科学者人気№1、千円札の顔でお馴染の野口英世は磐梯山の麓、猪苗代湖畔の自然豊かな三ツ和村(現猪苗代町)で生まれた。この記念館にはノーベル賞の候補にもなった科学者・野口英世の生涯と業績をわかりやすく展示している。館内には野口英世の胸像、身の廻り品や書籍などの遺品をはじめ、参考品の数々が陳列されている。また、会館隣には茅葺屋根の「野口英世生家」が当時の姿のまま保存されている。会津地方独特の建築様式の生家内には博士の生涯を左右した左手火傷を負った「いろり」や、少年清作が上京の折に「志を得ざれば再び此の地を踏まず」とその決意を力強く刻みつけた床柱なども残されている。敷地内には「観音堂」と「誕生地の碑と忍耐の碑」が建立されている。母シカが植えた桑の木、洗い物をした小川もある。野口英世は黄熱廟の研究をし自らも感染し51歳の短い一生を終えている。(1612)














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