笠間市では2人の日本共産党の候補が立候補していますので、片方だけ応援するわけにはいきません。
そこで、今日は、旧笠間市の応援に向かいました。
笠間市の共産党議員の発祥地は稲田です。私ら夫婦が岩瀬町に引っ越してきたとき、いろいろ世話になったのが、友常甚三郎さんという古参の共産党員です。友常さんは、顔は怖いのですが、本当に芯がしっかりした人で、これぞ共産党という人でした。
その後、一時、友常英雄さんという大橋の方に変わりました。
そして、また稲田の池田征一さんという方に変わりました。池田さんは、郵便局員をしていただけあって、地名と地域の家に詳しく、選挙の候補者にはうってつけの方でした。
そうこうしているうちに、福田のエコフロンティア問題がおき、その時、リーダーシップをとった鈴木貞夫さんが後継者となりました。
鈴木さんは、東京で労働組合運動で頑張ってきた方ですが、引退して、福原に居を構えたかたでした。鈴木さんは、3回連続最下位当選という「離れ業」をやっています。「最下位」で当選するというのは、しようと思ってもできるものではありません。
その鈴木さんも病に倒れ、今の石井栄さんにバトンタッチしたというわけです。
今日は、笠間地区に入るということで、どうしても行き慣れた稲田・福原から入ります。しかし、旧笠間市の過疎化は激しく進んでいました。
福原では、カスミの移動スーパーに行き会いました。
お客さんの多いのにびっくりしました。
キクチ
「私は桜川の市会議員です。笠間では、こんなに多くのお客さんが来るのですか。びっくりしました」
移動スーパーの店員
「場所によるけど、ここは多い方よ。桜川はお客が少ないと聞いています」
こんな経験をしながら、福原・稲田を2時間、流し運転をしました。
昼食は、石井栄事務所でいただきました。石井栄候補は、今日は1日中、岩間地区ということでした。昼食後、例によって散歩をしました。
午後は、笠間市笠間をじっくり2時間、運転しました。旧笠間市内は、細い道が多いので、軽の宣伝カーで走るのは絶好です。
最後に、稲荷神社前を走って終わりとしました。
そこで、今日は、旧笠間市の応援に向かいました。
笠間市の共産党議員の発祥地は稲田です。私ら夫婦が岩瀬町に引っ越してきたとき、いろいろ世話になったのが、友常甚三郎さんという古参の共産党員です。友常さんは、顔は怖いのですが、本当に芯がしっかりした人で、これぞ共産党という人でした。
その後、一時、友常英雄さんという大橋の方に変わりました。
そして、また稲田の池田征一さんという方に変わりました。池田さんは、郵便局員をしていただけあって、地名と地域の家に詳しく、選挙の候補者にはうってつけの方でした。
そうこうしているうちに、福田のエコフロンティア問題がおき、その時、リーダーシップをとった鈴木貞夫さんが後継者となりました。
鈴木さんは、東京で労働組合運動で頑張ってきた方ですが、引退して、福原に居を構えたかたでした。鈴木さんは、3回連続最下位当選という「離れ業」をやっています。「最下位」で当選するというのは、しようと思ってもできるものではありません。
その鈴木さんも病に倒れ、今の石井栄さんにバトンタッチしたというわけです。
今日は、笠間地区に入るということで、どうしても行き慣れた稲田・福原から入ります。しかし、旧笠間市の過疎化は激しく進んでいました。
福原では、カスミの移動スーパーに行き会いました。
お客さんの多いのにびっくりしました。
キクチ
「私は桜川の市会議員です。笠間では、こんなに多くのお客さんが来るのですか。びっくりしました」
移動スーパーの店員
「場所によるけど、ここは多い方よ。桜川はお客が少ないと聞いています」
こんな経験をしながら、福原・稲田を2時間、流し運転をしました。
昼食は、石井栄事務所でいただきました。石井栄候補は、今日は1日中、岩間地区ということでした。昼食後、例によって散歩をしました。
午後は、笠間市笠間をじっくり2時間、運転しました。旧笠間市内は、細い道が多いので、軽の宣伝カーで走るのは絶好です。
最後に、稲荷神社前を走って終わりとしました。