今日の東京新聞に桜田義孝五輪担当相の更迭について特集を組んでいる。そこに、千葉県の名門校・東葛飾高校卒業と書いてある。
東葛飾高校といえば、当時は、茨城県から越境しても、生徒が通う名門校である。私は、千葉大学園芸学部4年生のころ、教員の免許をとるため、東葛飾高校豊四季分校という農業科のある学校に、教育実習に通った。
当時は東葛高校といえば、千葉県では千葉高、市川市の国府台高とならぶ3有名校であったと記憶している。
私の通った東葛分校では、午前中は座学、午後は実習という学校で、普通教科の先生も、ほとんどの方が、実習服に着替えて、農業実習に参加してた。私は、土壌肥料学を教えていたので、座学が中心だった。
一番の思い出は、体育祭のとき、よせばいいのに、長距離競技に参加し、その後の打ち上げ会で、しこたま飲んで、記憶を失ってしまったことである。気がついたら、翌朝の10時に目が覚めて、寮の布団の中であった。なにがあったか全く記憶にない。
すっかり忘れていた記憶が、この記事から想い出された。
東葛飾高校といえば、当時は、茨城県から越境しても、生徒が通う名門校である。私は、千葉大学園芸学部4年生のころ、教員の免許をとるため、東葛飾高校豊四季分校という農業科のある学校に、教育実習に通った。
当時は東葛高校といえば、千葉県では千葉高、市川市の国府台高とならぶ3有名校であったと記憶している。
私の通った東葛分校では、午前中は座学、午後は実習という学校で、普通教科の先生も、ほとんどの方が、実習服に着替えて、農業実習に参加してた。私は、土壌肥料学を教えていたので、座学が中心だった。
一番の思い出は、体育祭のとき、よせばいいのに、長距離競技に参加し、その後の打ち上げ会で、しこたま飲んで、記憶を失ってしまったことである。気がついたら、翌朝の10時に目が覚めて、寮の布団の中であった。なにがあったか全く記憶にない。
すっかり忘れていた記憶が、この記事から想い出された。