今日も、空気が澄んでいて、筑波山がきれいに見える。男体山も富士山も見えた。
「小貝川の土手から筑波山をみて・・・・・」と言えば、40年前の思いがよみがえってきた。
下妻から真壁高校へ自転車通学のW君は、まじめな3年生であった。学校をさぼる生徒が半数以上はいた私のクラスにあって、2年半、ずる休みをすることがなかった。
ところが、秋になって、3日間休んだ。病気でやすんだに決まっているからとすぐに親とは連絡を取らず、3日目に電話をした。母親はびっくりした。「毎朝同じ時間にでかけ、弁当箱は空になって、同じ時間に帰っています」との返事だった。
翌日、W君は、何事もなかったように、普通に登校した。
私は、軽くきいてみた。「3日間なにしていたの?」
「普通に家に出て、小貝川の土手で、筑波山をみながら寝そべっていました。そして、弁当を食べ、下校の時間に家に帰りました。」
私は、それ以上何も聞かなかった。
それから、よく年の3月まで、休むことなく、学校にきて卒業していった。
私は、小貝川の土手から筑波山を見るたびに、あのとき、W君は、3日間何を考えてすごしたのかなあ?と、40年経った今になっても、時々思い出す。今日も、その思い出がよみがえってくる筑波山であった。