元協和町議5期の大島一明さんの通夜が昨日、葬儀が今日、協和地区で行われ、奥さんと2人で参加してきました。
昨日のお通夜では、喪主に続いての、一明さんの妹さんのあいさつが、あまり素晴らしかったので、葬儀の場で、キクチは、知らないうちに拍手していました。話が終わった後、「いやあ~、素晴らしい話、いい話を聞かしていただきました」と妹さんと握手をしてしまいました。
話の内容は、一明さんが、農家なのに真壁高校ではなく下館一高へ行ったこと、さらに上を目指して夜間大学で学んだこと、さらには、あの若さでウイーンに行ったこと、4Hクラブで活躍したことなど、すばらしい話を聞くことができたからです。
今日は、お葬式です。キクチは、弔r辞をお願いされていましたので、下記のような弔辞を読ませていただきました。喪主の了解をとってありますので、このブログで紹介させていただきます。
大島一明さんへの弔辞
今年4月の筑西市議補欠選挙に立候補した石嶋いわおさん演説会での出会いが、一明さんとの出会いの最後になってしまいました。大島一明さんは、91歳になっても共産党の大事な集まりには必ず参加して、あの柔和な笑顔で、参加者を励まして戴きました。
私がはじめてお会いしたのは、真壁農業高校の教員をしていて、お盆前の真壁町議員選挙が終わった後、続いて行われた協和町議選の応援にきたときです。
大島一明さんは、時の町長と対等に渡り合えるだけの力量、いやそれ以上の力量をもった候補者ですから、政策のレベルが高く、なかなか本人からOKがもらえず、政策ビラの作成も大変でした。しかも、大島一明さんは、農家の中心ですから、「候補者活動」、「稲刈り」、「町長との長電話」と、よく体がもつなあと感心したものです。
大島一明さんが、病気となって後継ぎを作るときは大変でした。三浦譲さんという候補者としては力量十分な人を見つけたのですが、立候補を決めてから告示までが一週間もなかったのです。しかし、大島一明さんの超人的働きで、空白をつくらず、共産党の議席を継続することに成功したのです。
それからも、三浦氏の選挙ではかならず出陣式には応援に来て、励ましの言葉を話してくださいました。いい後継者を見つけるのが難しい時代に、本当にいい後継者をつくって下さったと感謝しています。
また、大島一明さん自身も、人徳、政策立案能力からみても町長を十分やっていける人です。そこで、議員を引退してからも、多くの人から推薦されて、町長選挙にも立候補されました。その時は、共産党の選挙の原則を打ち出して、「清潔な選挙を」応援者のみなさんに徹底していました。一明さんならではの配慮でした。
この選挙では、三浦譲議員が政策担当となり、私も手伝いに来たのですが、夜の12時を過ぎても、「まだ納得したものができない」と、がんばっていました。夜の12時を過ぎて、私が帰っても、延々と作業していたと聞いています。
私は、大島一明さんが協和町長になっていたらと、今でも思うことがあります。協和町は、今は下館市と一緒になり、筑西市となっています。一明さんが町長をやっていたら、合併の形もいまと違う形になっていたと想像しています。それができなかったのが残念です。
元共産党協和町議5期、元共産党西部地区委員、元県西農民センター会長を頑張って下さった大島一明さんのご冥福を祈って、弔辞といたします。
2025年8月21日
桜川市議会議員 菊池伸浩