ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

山陽小野田市の渡場・梶浦は厚狭川の渡し場跡と干拓地 

2022年03月15日 | 山口県山陽小野田市

               
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         渡場・梶浦は厚狭川が南流する河口付近の平地に立地する。(歩行約4.9㎞)

        
         JR厚狭駅(12:35)からコミュニティバスねたろう号津布田小前行き30分、梶汐湯バス
        停で下車する。

        
         1942(昭和17)年8月周防灘台風の通過時と満潮時が重なったため、甚大な被害を受
        けた地域である。

        
         梶漁港は地元の漁業者が利用する第1種漁港。 

        
         津布田道は、厚狭より下津で川を渡り、梶浦に出て津布田を通り、埴生に至る道である。
        この付近は高い石垣の上に人家が建っているが、もとは前方が海だったようだ。

        
         沖開作は初め、古開作の厳島明神が鎮守であったが、1866(慶応2)年6月安芸宮島か
        ら勧請して龍神社の小祠を建てた。社地は転々としたが、現在は沖開作西南隅の入口に鎮
        座する。傍には1910(明治43)年に建てられた「厚狭郡沖開作干拓記念碑」がある。

        
         県道を横断して旧道に入る。

        
        
         厳島神社は安芸の厳島神を勧請したというが、創建年は不詳とのこと。 

        
         神社前面に広がる農地は、1835(天保6)年に築立が開始され、潮留めが完了したのは
        1847(弘化4)年、その面積は56町歩で上開作と称した。
         沖開作は1856(安政3)年に着工し、翌年に潮留めが完了し、約46町歩の田地ができ
        る。沖開作が完成すると上開作は古開作と呼ばれた。(面積は各資料に相違あり)

        
         境内から見る梶浦・渡場集落。

        
         西福寺(真宗)の寺伝によると、開基は俗名を新藤豊前守玄信といい、豊前国森山(現宇佐
        市)を本寺として、室町後期の1522年、もしくは1544年に一宇を建立したという。

        
         長門八十八ヶ所霊場第29番札所と記されているが、長門八十八ヶ所についての詳細知
        り得ず。

        
         古開作と沖開作の境付近に立つ庚申塚。

        
         真言宗善通寺派の法動院だが、由緒などの詳細は不詳。

        
        
         ここも厳島神社。 

        
         厚狭駅行きの渡場バス停が見当たらず、散歩されている方にお聞きして厚狭川に出る。 

        
         後潟開作の高須に庄屋・三戸家があり、大黒屋と称して廻船問屋を営んでいた。175
        2(宝暦2)年に後潟開作が完成すると、高須の川土手に波止を築き、対岸の吉部田との間に
        渡船を行う。この渡船を俗に「大黒屋渡し」といい、両岸は渡場と呼ばれ栄えたという。
         この渡船は1927(昭和2)年に厚狭川橋が架設されるまで続いたという。(右岸側の渡
        場は堤防の嵩上げで消滅したとされる)

        
         国道
を横断して渡場バス停より厚狭駅に戻る。


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