この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
戸畑は古くには飛幡、あるいは鳥幡とも書かれた洞海湾に面する位置にある。現在は若
松区との間に若戸大橋が架かり、西を鹿児島本線が走る。
地名の由来は、岬門(くきと)の端にあるので門端とされたのが始まりという。(歩行約2.
5㎞)
JR戸畑駅は1902(明治35)年九州鉄道時代に開業した鹿児島本線の駅。1964(昭
和39)年に民衆駅として建て替えられ、駅玄関も町の発展を考えて以前の反対側に変わっ
た。1999(平成11)年現在の駅舎を西側150mほど移転させて都市開発が進められた。
現在の駅舎完成時に駅北側との連絡通路が完成する。
北側の駅前広場に若山牧水の歌碑
「われ、三たび此処に来りつ 家のあるじ寂ひ定まりて 静かなるかも」
牧水は地元の「創作」支社の招きで3度戸畑を訪れている。
堂々とした風格を持つ「いくよ旅館」の建物は、1913(大正2)年築とされる
渡船場から駅への路地。
路地は大型クレーン車が作業中のため通行止め。
鳥居の神額は「蛭子神社」
恵美須神社の由来によると、平安期の1182(寿永元)年、平家一門が壇之浦合戦に敗れ、
落ち延びた平家の人々は、飛幡の浦に隠れ住み漁業を営んでいた。地付きの人々と相談し
て出雲国美保神社よりえびす神を勧請して奉祀したのが始まりとする。
境内にある「御乗船地碑」は、1900(明治33)年10月、当時の皇太子が中原で陸軍
第12師団の演習視察後に、戸畑の渡船場から開業間近の八幡製鉄所を視察された。その
時の乗船地を記念して建立されたが、森鴎外は皇太子の視察に同行し、この時の様子を「
小倉日記」に記していると説明されている。
東光寺(臨済宗)の由来によると、戸畑が寒村の頃に無住の東光庵と地蔵堂があったとい
う。その後、庵は焼失して地蔵堂だけが残されていたが、明治になって東光寺が現在地に
移転した際に、地蔵堂は帆柱八十八ヶ所の札所として移転したという。
照養寺(真宗)は室町期の1515(永正12)年、洞の海中之島城主・竹之内治部が得度し
て一宇を開基したという。
山門脇に「戸畑小学校発祥之地」という石碑があり、側面に明治7年(1874)8月1日鳥
旗下等小学校として開校すると記す。
1本東側の路地を駅方向へ向かう。
再び「いくよ旅館」前を過ごして大通りを横断する。
銀座1~2丁目辺りに特飲店があったとされる。
戸畑物流センターを過ごすと天瀬寺川と洞海湾が合流する。
一文字島竣工記念碑は、旧戸畑町が洞海湾沿岸にあった一文字島と沿岸を陸続きにする
ため、1922(大正11)年から埋立てが開始され、1926(大正15)年に完成した。その
完成を記念して灯台を模した塔が建立されたが、少し斜塔になっている。
当時の岸壁と階段らしい石積みが残されている。
岸壁から見る若戸大橋。
工場群の一角にある飛幡(とびはた)大師堂は、今から約180年前に洞海湾の水難防止を
祈願するため建立された。当時の地名から築地大師堂(愛称:浜のお大師さん)と呼ばれて
いたが、2017(平成29)年現在地に移転して名称変更された。
1889(明治22)年の町村制施行により、戸畑村と中原村の区域をもって戸畑村が発足
する。のちに戸畑町となり、1924(大正13)年市制に移行するが、現在は北九州市戸畑
区である。
北九州市の木であるイチイガシの葉と実がデザインされたマンホール蓋。他に格子模様
に市花である「ひまわり」がデザインされたマンホール蓋を多く見かけたが、旧戸畑市時
代のものあったようだが見落とす。
1887(明治20)年代には対岸の若松が筑豊の石炭積出港として栄え始めると、戸畑に
は石炭に関連したコークス工場が立ち始め、1901(明治34)年には官営製鉄所が設立さ
れた。
まだその頃は、戸畑の生活基盤は漁業や農業が中心で、戸畑蓮根・戸畑大根などが有名
であった。大正末期から昭和初期にかけて埋立て工事や市街地の土地整理が進むと、様相
が変わり始める。
日本水産(ニッスイ)の前身である共同漁業㈱は、戸畑にトロール船が着岸できる近代的
な漁港が完成すると、1929(昭和4)年下関から当地に本社移転する。移転後、大規模な
水産加工工場建設するとともに、1936(昭和11)年共同漁業ビルを建設し、その翌年に
日本水産㈱と社名変更された。
建物は角地にあって玄関がコーナーにあり、外壁は褐色のタイル貼りで大きな窓が並ぶ。
特徴的なのは屋上に塔屋があって、遠洋漁業用無線アンテナが立っている。
戸畑と若松を結ぶ吊橋の若戸大橋は、1962(昭和37)年に開通したが、のちに4車線
拡幅工事で歩道は廃止された。
若戸大橋の袂にある若戸航路の戸畑渡場は、JR戸畑駅から徒歩約10分の所にあり、
便数も多くて待ち時間なしで乗船できる。列車で若松に行くよりも時間的な面や船賃が1
00円と安価である。
小さな子供たちと若戸大橋を見ながら若松へ渡る。