この地図は、国土地理院の2万5千の1地形図を複製加工したものである。
下上(しもかみ)は富田川中流域に位置する。古くは富田郷に含まれた地で、上村を2つに
分けて北部を上上村(上村)、南部を下上村と呼んだという。(歩行約6.5㎞)
JR新南陽駅から防長バス鹿野行き6分、土井橋バス停で下車する。
バス路線から富田(とんだ)川沿いの道が旧鹿野道である。
少し上流に進むと鉄橋のような橋を渡る。
国道2号線の函渠を潜る。
富田川の左岸を北上するが、周囲は住宅地で車の往来が多い。
向上橋の欄干に陶氏の家紋「唐花菱」。
新幹線と山陽自動車道下を過ごす。
内谷集落。
内谷橋を渡れば旧鹿野道に合わす。
富田川は同市の大道理、四熊などに源流をもつ全長14㎞の河川である。上流の菊川湖
(川上ダム)を経て瀬戸内海に注いでいる。
この地は、下上、富岡、菊川の呼称があるので混乱するが、この一帯は下上である。
1889(明治22)年の町村制施行により、下上村、四熊村、小畑村が合併し富岡村が発
足する。富田の北にあって岡の地にあることから村名とする。
1941(昭和16)年に富田町と合併し、3年後に富田町は徳山市に編入される。戦後の
1949(昭和24)年に分離した時、富岡地区は徳山市に残った。
周南市菊川支所となっているが、菊川とは富田川の別名で、下上・加見・四熊・小畑の
4地区を総称する呼称だそうだ。
支所前から細い道を辿ると、蔵のある家前を右折して山道に入る。右に廃屋を過ごすと
次の分岐は左へ進む。
落葉が堆積するジグザク道を進むと小さな祠がある。地元の方が「きびね様」といわれ
たが、詳細はわからなかった。貴布祢社であれば水神を祭祀するものである。
頂上にあるのは人麻呂様で、柿本人麻呂を祭神とするもので、防火の神として崇められ
ている。3年前までは地下(じげ)で祭祀が行われていたが、高齢のため廃止されたようだ。
この山の頂に人麻呂様が祀られている。
岩屋寺(真言宗)の創建年は不明とされるが、寺伝によると、弘法大師が唐から帰国後、
西国を巡られた時に一宇を建立、自ら観音菩薩像を彫刻安置されたのを創始とする。
境内に宝篋印塔と、南北朝期の1347(貞和3)年に作られた石造塔婆(供養塔) がある。
1978(昭和53)年に丸山共同墓地で発見され、その後岩屋寺に移された。
富岡村は、1941(昭和16)年に富田町と合併して村制は終わりを結び、さらに194
4(昭和19)年徳山要港一元化を目的として徳山市に編入させられる。
1948(昭和23)年に地方自治法が一部改正され、1937年から1945年9月の間
に、市町村の区域に統廃合などで変更があったものは、その変更された区域の住民の総意
によって、従前の町村に復活することができるようになる。富田町は住民投票の結果、分
離を決定して富岡村を除いて編入前に復することになった。
下上の町並み。
上野八幡宮は富田川の西岸、四熊ヶ岳より南東に延びた尾根の端近くに台地に鎮座する。
上野八幡宮の勧請年代は不明だが、寺社由来によると、扇子に和銅2年(709)の年号があ
るという。大内時代には王象大権現と呼ばれ、8寺の社坊を有していたという。
明治初年に上野八幡宮に改称し、富田川まで神輿が赴き、古くは流鏑馬も行われていた。
下って来ると二の鳥居があり、ここが参道のようだ。
下上の中心部へ下ると、一の鳥居が見える。
薬局傍に戦国時代の山城址と不動明王の案内板。
大内氏時代には陶氏の根拠地で、字武井に居館があり、上野に城山及び土井の城山は、
いずれも陶氏の居館に対する属城があったという。
ジグザク道を登って行くと山頂に社があるが、山城を示すようなものはなかった。
引き返して鹿野道脇の富田川に出る。(一の鳥居を反対方向より)
富田川の右岸を下る。
山陽自動車道下を過ごすと、下上字武井という地である。
海印寺(曹洞宗)は、天正年間(1573-1592)創建。一説に大内輝弘の乱で焼失し廃寺とな
ったが、文禄年間(1592-1596)に再興されたという。
山門入口には陶弘護の次男・興明や興房の嫡男で晴賢の兄にあたる興昌の供養塔がある。
案内によると右側が陶興明、隣が陶興昌のようだ。
海印寺の合掌(こえかけ)地蔵尊の案内によると、「地蔵」という名前は大地の全てを愛し、
全てを包み込み、全てを育むことから大地のように大きな慈愛の仏さまを表しているとあ
る。
この地(富岡公園)に陶氏の居館があった。家系は渡来系民族の流れをくむ大内氏の傍流
で、陶弘政によって築かれたといわれている。平城の居館跡とされ、遺構は残されていな
いが、公園内に石碑と案内板が設置されている。
跡地は富岡小学校となったが、1972(昭和47)年に菊川小学校に統合される。197
4年に開校した徳山高専の校舎としても使用された。
コンビニ前の横矢バス停より新南陽駅に戻るが、駅まで約1.7㎞で、途中には土井の町
並み、国登録有形文化財の旧日下医院などがある。