平坦地を過ごすと正面に岩稜が迫る。
上りに入ると岩場の急登が始まる。(コース最大の難所)
岩場を登って見返すと石船山と防府平野。
更に岩道が続く。
西(南)の峰を近くで仰ぐようになる。
8合目とされる分岐は左手が西の峰の直登コースだが、従来の道を辿ることにする。
やがて西(南)の峰と中の峰の鞍部に上がる。
本丸跡から高さ6mあまりの坂を東に下ると、東西22m、南北7mあまり、約165
㎡の平地が二の丸跡という。平地はここだけなので二の丸跡と推測してみる。
平地から少し上がると西の峰である。
西の峰の頂上には東西約18mの平地に右田ヶ岳城本丸があったという。右田氏は大内
氏16代大内盛房の弟・盛長を祖とし佐波郡右田荘を領した。鎌倉時代の末に築城されて
右田氏累代の居城とされる。
右田の地は中世山陽道に接近し、西は山口街道、東は石州街道の要所を占める地形にあ
り、山口を本拠とする大内氏にとっては防衛の第一線をなすものであったと思われる。(本
丸の最南端に前嶽)
大内氏の終わり頃の天文年間(1532-55)には右田氏の勢力は衰え、右田岳城は内藤興盛と
その子隆世が守った。
室町期の1557(弘治3)年3月大内義長を攻めるために、毛利元就の軍が若山城に移陣
するに及んで、内藤隆世は高嶺城に入って義長と合し、右田岳城には右田隆量・野田長房
籠め置いた。隆量・隆俊親子は毛利の誘いに応じ、野田長房は守りを捨て山口に合した。
その後、右田岳城は家臣の南方就正が入り300人を添えて守らせたという。(右田の山口
街道筋)
中の峰には観音堂跡はあるというので上がってみることにする。(途中より西峰)
急登を這い上がると山頂(標高426.0m)
中ノ峰は巨岩上にある。
山頂の北側にある石垣は観音堂の遺構とされる。この後側に城の生命線ともいえる湧き
水があったとされる。
山頂から見る風景だが霞んではっきりしない。(上が中心地、下が佐波川河口)
下りは石の造形を見ながら下る。
今にも倒れそうな石を見ながら高度を下げる。
平坦な場所まで戻って摩崖仏を見ながら下る。
番号は刻字されていないが多羅尊観音で、インド神話の女神が源流とされ、雲に乗り偉
大な母のように優しい心で、人々の煩悩(欲望や迷いの心)から救うとされる。施主は下関
市岬之町、西村‥ 大正12年(1923)3月と刻まれている。
20番の六時観音は、慈悲心が24時間常に衆生に注がれていることを象徴する観音で
ある。法衣をまとい、右手にお経の入った梵筺(ぼんきょう)、左手に摩尼宝珠を持つ立像と
される。
石船山山頂(標高194m)から彼方に山頂があるので、最初にここから見ると挫折した
かも知れない。
石船山山頂には、曹洞宗大本山永平寺の第64代貫主・森田悟由禅師(1834-1915)筆跡の
「般若心経」が自然石に彫られている。
般若心経を見て下ると右手に案内板があり、ここには4つの摩崖仏がある。登山道側に
あるのが22番の延命観音で、水辺の岩に寄りかかり、右の手のひらを頬に当て、水流を
眺める姿で表現されている。呪いや毒の害を除き、寿命を延ばすことにご利益があるとさ
れる。
21番の葉衣(ようえ)観音は、古代インドのシャバラ族の衣装とされるパラーシャ樹の葉
をまとい、左手に羂索、右手に杖、右膝を立て赤蓮華に座る姿で表現されている。病や災
いから仏教の信者を守るとされる。
23番の魚籃(ぎょらん)観音は、大きな魚に乗ったり、魚を手に持ったりして災いを消滅
させる。起源は中国で魚売りの美女が観音様であったという説話にもとづくとされる。施
主は下関市田中町の人で、大正13年(1924)と刻まれている。
20番の瑠璃(るり)観音は、水に浮かぶ大きなハスの葉に座り、香炉を手に持って、病や
災いを消滅させる。薬師如来の化身(生まれ変わり)とされる。
25番の一葉(いちよう)観音は、水に浮かぶ一葉の大きなハスの葉に乗る姿で表現され、
人びとを水難から守ることにご利益があるという。
31番の馬郎婦(ばろうふ)観音は、右手に法華経、左手に髑髏(どくろ)を持つ美しい天女の
姿を表現されている。仏教を信じない人たちに教えを導く。仏さまに通常は性別がないそ
うだが女性とはっきりしている。馬郎婦とは中国北方の騎馬民族の夫人に対する呼称だそ
うだ。施主は下関市岬之町の人で、大正11年(1922)11月15日とある。
右手の枝道に入ると2つの観音像が並ぶ。右が一如観音、左が能静観音。
27番の一如観音は、雷を制するように雲に乗って空を飛び、空にかかわる災難から人
びとを守るとされる。
29番の蛤蜊(こうり)観音は、大きなハマグリに乗って海を渡る姿で表現され、漁師の
安全を祈っている。「ハマグリ観音」とも呼ばれる。
蛤もしくはおむすびの形をした岩は、傾斜のある台に上にあるが転げ落ちないのが不思
議である。
3□番の不二(ふに)観音は、天衣をまとい水中に立つ姿で表現され、衆生を災害から守り、
「慈悲(優しさ)」と「怒り」の2つの心で人びとを導く。金剛力士に変身するとされてい
る。
33番の灑水(しゃすい)観音は、右手に柳の枝を持ち、左手に香水の入った水瓶を持つ立
像で表現されている。灑水とは密教で加持した香水で煩悩や穢れを清める儀式のこと。そ
のため煩悩や穢れを除くご利益があるとされる。
1番の楊柳観音を除けば、巨岩に刻まれたすべての観音摩崖仏は現存するが、刻字され
た番号はダブったり欠落番号があったりはする。摩崖仏には色彩が施されていたと思われ
るが、消え失せてしまったようだ。
右田小学校前で容易に登らせてくれなかった右田ヶ岳に一礼し、塚原バス停(14:51)より
JR防府駅に戻る。