この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
深川(ふかわ)は深川川の右岸に位置し、平野部に長門市の中心街が開ける。国道191
号が東西に走り、南北に美祢線・国道316号が走る。(歩行 約4.4km)
JR長門市駅は、1924(大正13)年美祢線の延伸により開業した駅で、当初の駅名は
正明市駅(しょうみょういちえき)であったが、1962(昭和37)年に現駅名となる。山陰本線
と美祢線、山陰本線仙崎支線が乗り入れをする北浦地区では大きな規模を持つ駅である。
(美祢線で9:37下車)
山陰本線より南側が長門市の中心部で、駅北側はひっそりとした町並みである。(旅館と
仏壇店)
どこでも見られるような町並み。
前角の跨線橋から見る駅方向だが、駅の南北は歩道橋で繋がっている。こんもりした山は
城山。
長門警察署前で国道191号を横断すると赤間関街道北道筋に出る。
街道筋に出ると「帰ル堤」(溜池)がある。ここに大きなエノキがあるが、エノキは一里
塚によく植えられたといい、注進案にある「帰ル堤一里塚」の可能性があるされるが確証
はないという。
「帰ル堤」の南端に長門高校。
国道191号を横断して市役所通りに入る。
亀甲模様に「下水」だけの長門市マンホール蓋。
城山の麓にある法蓮寺(真宗)は、1715(正徳5)年この地に移転してきたという。
長門市役所は江戸期の前大津宰判勘場跡で、1751(宝暦元)年三隅村豊原からこの地に
移転し、1870(明治3)年に廃止された。それ以降、大津郡役所、大津地方事務所と変遷
してきた。1807(文化4)年に寄進された石灯籠とともに、新庁舎建設の際に現在地に移
された。
市役所前の北道筋を西へ進むと、吉亀(よしかめ)旅館前の四叉路に出る。かって四叉路に
は道標があり「北・せんざき、南・下のせきみち」、他の一面には「東・はぎ、西・先大
つみち」と刻まれていたようだ。
四叉路を西へ進む道は赤間関街道北浦道筋だが、踏切の先で民家は途絶える。
四叉路を南へ進む道が北道筋で、ここからが旧深川村の中心地であった。国道を横断す
ると少し古民家が見られるが、1868(明治元)年の正明市大火で大半が焼失したとのこと。
庭先にある橋の親柱は泉橋と刻まれている。
道は2つに分かれるが、街道は右手の道。
深川川にかかる観月橋(つきみばし)を渡れば西深川。
西深川には印象に残るものはない。
踏切の先は板持集落。
小っちゃな簡易郵便局。
どうも街道を踏み外したようだが板持橋を渡る。
住宅と田園が混在するエリアである。
板持団地バス停を左折すればJR板持駅。途中の観月橋バス停でバス利用も一計だった。
JR板持駅は1958(昭和33)年長門湯本と長門市間に新設された駅。(11:43乗車)