この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
下野谷・北谷は佐波川上流域および同支流の野谷川流域の山間部に位置する。地名の由
来について地下上申は、「山野之野と長谷之谷を取り、野谷と申たる由」と記す。(歩行約
4.9㎞)
山口市徳地堀の堀バスターミナルから柚野活性化センター行き約25分、愛鳥林入口バ
ス停で下車する。
石風呂側の駐車場には、一部公園化されて桜並木を見ることができる。(ベンチあり)
旧道を大原湖方向へ進み、林道四古谷(しこたに)線に入ると、佐波川の支流・四古谷川の
川下に石風呂がある。
野谷の石風呂は、巨岩の麓を横穴式に彫り込んで作られている。鎌倉期の1186(文治
2)年俊乗坊重源は、東大寺再建のため徳地の地から大量の用材を奈良へ送る任にあたって
いた。その作業に従事していた人たちの病気治療に設けた石風呂の1つとされる。(国指定
史跡)
石風呂の出入口は、高さ0.9m・幅0.6mと狭く、内部も奥行き2.5m・幅1.9m・
高さ1.1mであり、同時に4人程度が利用できる広さと説明書きされている。
念仏石の説明によると、石風呂は仏教とともに我が国にもたらされ、潔斎と保健衛生の
ために利用され、仏教とともに僧侶によってひろめられたと推定される。
この岩の前で読経し、撫でながら心を鎮め、それから石風呂に入り、心身を清めたとい
われる。
旧道に戻って大原湖方向へ進むと、忘れられた存在の石仏が鎮座する。
機械掘り以前のトンネルが2ヶ所。
愛鳥林は大原湖西岸にあり、1968(昭和43)年野鳥の保護と自然に親しむ県民の憩い
の場所として指定された。観察路など諸施設が整備され、飼料となる樹木が植えられた。
メジロ・ウグイスなど30数種の鳥類が生息するという。
セラピーロードは全長1.6㎞、所要時間片道30分。
散策路は大原湖右岸に設けられており、ほぼ平坦な歩きやすい道である。(散策路入口付
近に🚻あり)
休憩所前に大原湖が広がる。
1㎞地点。
佐波川ダム管理事務所の建屋が見えてくると左手にダム堰堤。
ダムによって形成された人造湖は、水没地の地名をとって“大原湖”と命名された。ダム
建設で大原・釣山地区の民家207戸、旧柚野村役場や小学校・中学校が湖底に沈んだ。
(見える島は入船山)
佐波川ダムは県営の多目的ダムで、1951(昭和26)年7月に異常出水災害に見舞われ
たため、治水対策の必要に迫られて翌年に着工された。その後、農業用や工業用水、発電
等にも要請され、多目的ダムに変更された。
1956(昭和31)年3月に完成した重力式コンクリートダムは、提頂長56m・提高5
4m・総貯水容量2,460万トンで、クレストラジアルゲートを2門構える。
セラピーロードが設置されたことにより、大原湖畔を周回することができる。距離にし
て約11㎞だが、右岸の国道489号線は狭隘で歩車分離でない。
佐波川と野谷川合流点に佐波川ダムバス停があり、周囲には5軒の民家とトイレ(電源立
地地域対策交付施設)がある。
路傍の石仏は詳細不明。
地蔵尊の台座に文字があったようだが判読不能である。
棚田の中に満開の桜。
野谷川を石積みされた棚田がとりまく。
地元の方にお会いできず祭神名は不明となったが、下野谷に河内社(水の神様)があると
のことで、これがその社であれば、南北朝期の1335(建武2)年伊勢渡会大明神より勧請
したとされる。鳥居には「安永八己亥(1779)之▢ 三月吉日」とあり。
柚野小学校野谷分校の沿革
1874(明治7)年大原小学と野谷中村に野谷小学が開校する。
1881(明治14)年野谷小学校は大山小学校(柚野小学校の前身)の分校となる。
1963(昭和38)年野谷分校は八坂小学校に統合されて廃校となる。
1967(昭和42)年分校跡に私立幼稚園有倫館学園が開園したが、現在は森林セラピ
ー山口の看板が掲げてある。
やっと地元の方にお会いできたので、先ほどの神社のことを聞いてみたが、神社のある
所は下野谷で集落が違うのでわからないという。
分校については、今の県道まで校舎があったが、県道新設で半分以下になったとのこと。
講堂もあったが取り壊されたと教えていただく。
徳祥寺は、もと徳地船路の下庄にあり東大寺末寺の蓮華寺(俊乗坊重源開基)と称した。
享保年間(1716-1736)に瑠璃光寺の僧が来住して曹洞宗に改宗、柚野の大原に移転して源
徳寺と改める。
1870(明治3)年12月源徳寺は上野谷にあった吉祥寺を合併して現寺号に改称する。
1954(昭和29)年佐波川ダム建設のため、現在地に移転新築した。(寺院名鑑より)
茅葺き屋根の民家。
バス停付近から白井川を渡り、野谷石風呂に通じる旧道が現存する。
佐波川ダムバス停から柚野に至るバス路線は、フリー乗降制であるが、北谷バス停より
徳地堀に引き返す。