この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
吉敷は山口市街地の西部に位置し、域内を囲むように山が連なるが、東部は国道9号線
があって、交通便も良く宅地化が進んでいる。
その中にあって吉敷畑(よしきはた)は、丸岳南麓の高地に集落を形成する。(歩行約3.6
㎞、神社まで🚻なし)
JR山口駅(10:00)JRバス秋吉行き約40分、吉敷畑バス停で下車する。
国道435号線をバス進行方向へ進むと、右手にふるさと市場がある。集落であるが民
家は谷筋に散在する。
山口の中心部と大内氏の朝鮮貿易の要港・肥中港を結ぶ肥中街道が吉敷畑を通っていた
ので、これに沿いながら赤田神社まで下る。(白いガードレール道を下る)
このあたりは圃場整備事業が行われて街道は消滅している。(やまぐち棚田20選)
吉敷畑橋を潜り下って行くと、№14の道標前が旧街道の一部とされる。
丸岳と西鳳翩山を振り返りながら下る。
吉敷畑生活改善センター内に「奨学資金之碑」と「大澤哲昭先生記念碑」(手前)の碑が
建立されているが、碑文が風化して内容を知ることができない。
旧国道435号線に合わすと畑河内神社参道入口に道標あり。
畑河内神社は、南北朝期の1384(至徳元)年宇佐八幡宮より勧請される。(石段を見て
上がるのを残念する)
民家の右手に街道があったようだが旧国道を下る。
№12の道標を確認して右手のガードレールより街道に入る。
街道脇は川のせせらぎとヒガンバナ。
旧国道と寺領(じりょう)川に沿う。
舗装路から草道になると№11の道標あり。1本道で迷うことはないが、この時期はク
モの巣払いをする羽目になる。
やがて前方に民家(無住)の屋根が見えてくる。
この一帯の耕作地をお持ちだったと思われるが、トラクターや耕運機が田の中に置かれ
たままとなっている。
右手に「鮎の里」を過ごすが、開園日は日曜日、祝日、振替休日のみの営業で、今年は
提供できる鮎が少なくなったので10月9日で終了だそうだ。
ガードレール傍にある№10の道標を確認して、次の道標までは旧国道歩きである。
№9の道標から右手の草道に入る。
草道の先は少し荒れ加減ではあるが、古道の趣を残した山道である。
山の斜面が掘り下げられた先に竹林が見えてくると、寺領集落まであとわずかである。
キノコの名前はわからず。
ここを下れば山道とはお別れである。
民家前に出ると集落内歩き。(ヒガンバナの所に№8の道標)
寺領川に沿って下る。
橋を渡ると山の斜面に灯籠と庚申塔、石地蔵、石の観音像が置かれている。
吉敷は夏になると水がなくなり、稲が枯れてしまうという被害にたびたび遭う。小田平
兵衛は庄屋の職にあり、農民の苦しみを憂いて、1815(文化12)年代官所に請うて、今
の野口原に陂(つつみ)を築いた。これにより日照りが続いても50余町の耕地は枯渇するこ
とがなくなる。その功績を長く伝えるため野口陂碑(はひ)が建立された。
沓掛川に沿うと国道に合わし、赤田神社参道にある終点の№5の道標を確認する。(№6
は国道から寺領集落入口にある)