雨上がりの「さつき」が一段ときれいです。
「芍薬(しゃくやく)」が咲き始めます。
昨年11月15日の折々の記(第198号)に高木先生が
「大昔の大地震・津波」を書いておられました。
紹介してみました。
高木先生の記事に紹介されていました
2010年11月7日付朝日新聞の記事です。
想定外と責任者や学者が言っています事が
いかにいい加減かが証明出来る資料です。
高木先生は「折々の記3月15日号」で、
「平安・室町時代の大津波」を書いていられるので紹介してみました。
昨夜の大降りの雨上がりの今朝
毎日のようにいわきでは余震は続いています。
昨日「なるほど歴史塾」で、
山名先生の3・11以後の地震における
様々な有り様を話されましたが、
危機における人間が問われたと感じました。
危機に「凛と」対処できるかが!!
山名先生のところへ
「折々の記」・・・・高木敏夫様より
が送られてきまして(毎月2回発行)、
「なるほど歴史塾」の塾生もいただいて読ませていただいているのですが、
昨年(2010年)11月15日号で
朝日新聞の11月7日号を参考に
上記のように「大昔の地震・津波」を書かれていますので、
想定外といっている方の言葉が
責任逃れの
いかに怪しいのかの
証明になるのではないでしょうか。
あまり福島原発の事故を
地震のせいにしないでいただきたいものです。
人災だと認めたうえで次の対策が必要ではないでしょうか。
いわき地域学會((吉田隆治代表幹事)・・・当時は故・里見庫男先生でした。)発行
「うえいぶ」
第1号・・・創刊号に1988年(昭和63年)6月26日発行・・・編集委員会委員長・矢吹道徳さん
今から、約23年前ですが、
「福島県沖巨大地震の可能性」として、
著名な藤井陽一郎先生が書かれています。
後日紹介してみます。
また
いわきの高橋紀信先生が
「招かれざる客」として、
昭和53年の宮城県沖地震がいわきを襲ったらと
題して書いておられますが、
起きてしまった。
高橋先生は、
最後に
「地震という招かざる客は、
相手の状況とは全く関係なく突然に訪れることを常とする。
いわきを生活の場とするものにとっては、
いつかは、必ず訪れると見なければならないこの招かれざる客を、
どのように応対するかを常に心において、
その方策を立てておくことが、
地震災害から身を守るための不可欠の条件ではないだろうか」
と喝破されておられましたが、
行政による有効な対策は立てられないで、
起きてしまい、
行政の無策ぶりがさらけ出されてしまった。
「うえいぶ」創刊号には
童門冬二、故・芝田進午、竹下登志夫、下平尾勲先生などの著名な方も
書かれています。
貴重な資料の宝庫です。