いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

津波被害の豊間の今!!・・・Part4・・・・・いわき

2011-03-27 19:21:10 | いわきの地震

車が住宅の中に!!
被害のすごさを物語っています。


海は静かに・・・


「えびすや」さんは建物は大丈夫でしたが、
1Fは流されています。
岸壁のコンクリートが流れ着くほどの津波の威力。


「えびすや」さんの建物は大丈夫。


24日の豊間の海の風景。


岸壁のコンクリートが所々に。
津波のすごさを・・・・・


石・コンクリートの塊。


海の近くの住宅はなくなってしまった。


流されたコンクリートの塊には驚かされます。


本当になくなってしまった。

約地震後2週間の24日、
いのしし宅から自転車で、片道1時間半
現地に約3時間
6時間の行程で
いわきで最も被害が大きかった豊間の被害状況をみてきました。

地元の夕刊「いわき民報」以外あまり
報道されてこなかった。
市民が積極的に知らせないと
被害がわからないで埋もれてしまいます。

歩きながら、
撮影した画像を載せています。

コメント (6)
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津波被害の豊間の今!!・・・Part3・・・・・いわき

2011-03-27 06:14:59 | いわきの地震

流されたベンツの上の貯金箱!!


海岸近くは特にひどい。


普通は、海はあんなに穏やかなのに・・・・・
普通の生活がほしい!!


住宅密集地が・・・・・



24日には復興の重機の音が・・・・・


道路は通れるように整備されました。


豊間はここから立ち上がります。


先ず残された家は片づけから。


前の戦争時の東京大空襲写真を見るような光景。


海に近いほど被害が甚大。


残りました家です。


本当に住宅密集地が今こんなに・・・・・

約地震後2週間の24日、
いのしし宅から自転車で、片道1時間半
現地に約3時間
6時間の行程で
いわきで最も被害が大きかった豊間の被害状況をみてきました。

地元の夕刊「いわき民報」以外あまり
報道されてこなかった。
市民が積極的に知らせないと
被害がわからないで埋もれてしまいます。

豊間の海は
海水浴場として、
美空ひばりのみだれ髪の碑があるところとして、
映画のモデルにもなりました豊間の灯台として、
市民のみなさん・観光客のみなさんに親しまれてきました場所です。

もちろん昔は漁港としても栄えてきました。

おやけこういち先生
  書かれたものによりますと

大正12年(1922年)から、
大規模な大敷網による漁法が始まり、
昭和2年(1927年)に在籍した漁船の数は、
142隻で小名浜を上回っていたそうです。
そして、
漁港は昭和14年ごろのマグロ、
昭和30年前後の鰤(ブリ)と大漁に沸き
「海の中から魚がわいてくる」
程の時期を迎えたといわれます。
その後は温暖化による海水温度の変化、
生活雑排水などの環境変化、
漁業者の高齢化などの変化により
定置網などによる鰤・鯛などへ転換、
なおかつ現在では、
ウニ・アワビなどの磯漁業などの栽培漁業に変化した

おやけ先生は書かれています。
それが上記のように・・・

必ず
復興させてみせますとの声も聞きました!!

力強い一言でした!!

応援していきます!!

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