惚れ惚れする土器たちです。
穴が開いた土器で、蒸すための土器で、こしきと呼ばれるそうです。
7Cで、野焼きで作られた。
5Cの土器で、赤い壺で水銀の色なので
食べ物以外に使用された。
登り窯で作られたかたい土器で、須恵器と呼ばれるそうです。
水品遺跡で出土された土器を直接見られる講座は楽しいです!!
まして発掘された方が講師ですから・・・・・
出土品の数々の一部分です。
滑石の原石です。
羽口(はぐち)と呼ばれるものの一部分で、風を送る土器(送風管)です。
砂鉄から鉄を作る時に使われていました。
いわきでは古墳時代から使われ始めたようです。
先日、
草野公民館・いわきの歴史再発見講座の
最終回講座に参加。
「弥生~平安時代の集落跡と中世城館跡
・・・水品遺跡発掘調査から」
講師は
高島好一先生(財団法人いわき市教育文化事業団 専門研究員兼係長)でした。
発掘された遺物を直接見ながらの講義なので
わかりやすく楽しい講座になりました。
その時の各時代ごとの遺物の一部を上記に載せてみました。
いわき市考古資料館では
上記のような遺物を縄文時代から時代ごとに展示されていますので、
まだの方は一度みられることをお勧めします。
また無料というところがいいですね。
<水品遺跡>
いわきの草野地区で、
長友城館跡の中に水品遺跡はあります。
長友城館跡はまだ発掘されていないので、
発掘されれば岩城氏の最初の本拠地なので、
新たな展開が期待されるのですが・・・・・
1)水品遺跡の特徴
☆江戸時代のお墓が見つかっています。
木棺で1mの棺・・・資料のP7
☆長友城館以前の館跡も見つかる・・・中世前期
中国の青磁・大きなかめ(常滑産)も見つかっています。
☆平安時代の家跡も見つかっています。
1000年前です。
☆古墳時代の家跡も見つかっています・・・・・竪穴式住
墓地の下から「羽口(はぐち)」・・・風を送る土器=送風管(上記高島先生が持っている土器。)
砂鉄から鉄を作っていて、いわきでは古墳時代から作られていた証拠です。
農具・やじり・鍬・鎧などに。
当然鉄を利用して鍛冶屋さんがいて様々なものが作られていたことになります。
日本の早いところでは弥生時代から鉄が作られていました。
☆水品遺跡の中の「荒神平遺跡」から「古川遺跡」と同時代の
滑石の製品と原石が見つかりました。
2)「荒神平遺跡」の出土品についての説明。
①弥生時代の家の跡が1件見つかっています。
資料P4no1~10が弥生時代の土器
・・・弥生時代の最後の土器~3Cの土器といわれます。
②5Cには赤い壺をもった人たちが住んでいた。
上記写真の赤い土器。
P4~14・15番の図。
ヒンガン・・・加工して石包丁などで「わら」を切るものとして使用。
石おのなども見つかっています。
③3号竪穴式住居跡
・7Cの土器が見つかる。
上記写真の穴のあいた土器で、蒸すための土器=こしきと呼ばれる。
・登り窯で焼かれたかたい土器=須恵器も見つかっています。
④平安時代
きれいでシンプルな現代の器に近づいてきたものも見つかっています。
小物、大きなものに分かれるし大きなものは少なくなってきます。
弥生時代から、
平安時代までの遺物をみながらの講義。
これこそ
楽しみながらの勉強の極致!!
最高の講座でした。
高島先生ありがとうございました。
来年度もこのような講座が、
各公民館で開かれるようですので、
楽しみです。