今までエナリの小学校では、低学年のクラスにお母さんが読み聞かせに入る、
ってことはあっても、高学年クラスに入るということは全くなくて、
私自身は高学年にもそういう機会は必要だと思うし、
高学年には高学年じゃないと理解できないお話、っていうのもあるから
読書の幅を広げるという意味でも読み聞かせはあるべきと思ってた。
大人への読み聞かせっていうのもあるくらいだしね。
そんなこんなで読み聞かせに入った私。
今回選んだのは安房直子さんの「きつねの窓」
私が初めてこのお話を読んだときに思ったのは、自分が窓をつくったときに
そこには何が見えるんだろう、ってことだった。
必ずしも自分が見たい、って思ってるものが見えるわけじゃなさそうって思って
(きつねはいつも会いたいお母さんの姿がそこに見えるわけだけど)
自分が気づかないけど、見たい思い出ってなんだろう…って思ったのよね。
だけど、今回エナリのクラスで読み聞かせをしたあとで、先生が何人かの子にあてて
感想を言ってもらったところ、
「きつねはいつも人をだますものだと言われるけど、このきつねはいいきつねだと思う」
という意見が出たり
「悲しいお話だったけどいいお話だった」という感想。
そしてちょっと不思議だったのが、指を染めてもらったお礼として男の人がなんでもあげる、って
言ったときにきつねは鉄砲を欲しいと言って、それをもらう部分についてだった。
その場面はたぶんきつねの子が自分のお母さんを殺した鉄砲を男からもらうことで、
もうそうした悲しいことが起きなくて済むようにしたんだと思うけど、
子どもたちの中の数人は「鉄砲を男から奪ったきつねの子が男の人を撃つんじゃないかと思った」
って言ったことだった。それって復讐ってことなのかな??
これにはびっくり。
思い出が見える素敵な窓だったのに、手を洗ってしまって何も見えなくなったときの
男の人のがっかり感。なんかそれを思うと悲しいというよりも、つらい気持ちになったものだったけど
時代が変わったからなのかな?当時の私が
思わなかったことを思う子が何人もいて面白かった。
「ごんぎつね」を学習した後だったから、男の人の気持ちやきつねの子の気持ちに
気づいてくれたらいいんだけど。
ちなみに今回3~6年生の各クラスに読み聞かせに入ってくれた人の一部に
どんな本を選んだか見せてもらったりしたんだけど、当然のことながら知らない本もあり、
また私自身にストックが増えた一日だった。
ってことはあっても、高学年クラスに入るということは全くなくて、
私自身は高学年にもそういう機会は必要だと思うし、
高学年には高学年じゃないと理解できないお話、っていうのもあるから
読書の幅を広げるという意味でも読み聞かせはあるべきと思ってた。
大人への読み聞かせっていうのもあるくらいだしね。
そんなこんなで読み聞かせに入った私。
今回選んだのは安房直子さんの「きつねの窓」
私が初めてこのお話を読んだときに思ったのは、自分が窓をつくったときに
そこには何が見えるんだろう、ってことだった。
必ずしも自分が見たい、って思ってるものが見えるわけじゃなさそうって思って
(きつねはいつも会いたいお母さんの姿がそこに見えるわけだけど)
自分が気づかないけど、見たい思い出ってなんだろう…って思ったのよね。
だけど、今回エナリのクラスで読み聞かせをしたあとで、先生が何人かの子にあてて
感想を言ってもらったところ、
「きつねはいつも人をだますものだと言われるけど、このきつねはいいきつねだと思う」
という意見が出たり
「悲しいお話だったけどいいお話だった」という感想。
そしてちょっと不思議だったのが、指を染めてもらったお礼として男の人がなんでもあげる、って
言ったときにきつねは鉄砲を欲しいと言って、それをもらう部分についてだった。
その場面はたぶんきつねの子が自分のお母さんを殺した鉄砲を男からもらうことで、
もうそうした悲しいことが起きなくて済むようにしたんだと思うけど、
子どもたちの中の数人は「鉄砲を男から奪ったきつねの子が男の人を撃つんじゃないかと思った」
って言ったことだった。それって復讐ってことなのかな??
これにはびっくり。
思い出が見える素敵な窓だったのに、手を洗ってしまって何も見えなくなったときの
男の人のがっかり感。なんかそれを思うと悲しいというよりも、つらい気持ちになったものだったけど
時代が変わったからなのかな?当時の私が
思わなかったことを思う子が何人もいて面白かった。
「ごんぎつね」を学習した後だったから、男の人の気持ちやきつねの子の気持ちに
気づいてくれたらいいんだけど。
ちなみに今回3~6年生の各クラスに読み聞かせに入ってくれた人の一部に
どんな本を選んだか見せてもらったりしたんだけど、当然のことながら知らない本もあり、
また私自身にストックが増えた一日だった。