ダニエル書3:17-18
『もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」』
聖徒は、平安で豊かな時にも堕落しやすく信仰を守ることが難しいですが、激しい試練の中で信仰を守ることはもっと難しいです。
イエスを信じるという1つの理由で耐えられないような苦痛を受ける時に信仰を守ることは簡単だと思いますか。
ある人たちはその中で信仰を捨てます。
それは信仰を捨てるならば苦難も去り、平安になると思うからです。その誘惑ほど信徒を惑わし混乱させるものはありません。
しかし信仰を捨てると、信仰の上に建てられた神との関係も崩れていきますし、その壊れた関係によってさらに平安は消えていきます。
信仰を守ると言うのは、神と1つになって、神から得るすべての良いものを保つことを意味します。
苦難の中で信仰を守って神から真の平安と慰めを受ける人は、その姿を通して神の栄光を現します。
ダニエル書に出てくる三人の信仰の姿が、真実な姿であったから私たちは彼らの信仰をほめています。
もし彼らがその時に神を捨てて、金の像を拝んだならば、私たちはどう思うでしょうか。
「良かったね」と言えますか。それとも何で神を捨ててまでそんなことをして自分のいのちを守ろうとしたのかと非難したでしょうか。
私たちは主観的に自分を見ず、他人の姿を通して客観的に自分を見ることです。
自分は真実な聖徒なのかと。
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※
◆ おすすめページ ◆
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※