ラストはこの歌。
さきの2曲とは、ガラリと空気を変えられたらいいのですが…
わたしにとっては、思い入れの深い曲です。
「くちなし」
高野 喜久雄/作詩 高田 三郎/作曲
荒れていた庭 片隅に
亡き父が植えたくちなし
年ごとに かおり高く
花はふえ
今年は十九の実がついた
くちなしの木に
くちなしの花が咲き
実がついた
ただ それだけのことなのに
ふるえる
ふるえるわたしのこころ
「ごらん くちなしの実を ごらん
熟しても 口をひらかぬ くちなしの実だ」
とある日の 父のことば
父の祈り
くちなしの実よ
くちなしの実のように
待ちこがれつつ
ひたすらに こがれ生きよ
と父はいう
今も どこかで父はいう
何年か前に、橘 茂先生の門下生のコンサートで
お仲間さんのひとりが歌われた曲。
そのときから、
いつかは歌ってみたいと願ってきた曲ですが、
父を亡くしてから、まだ日の浅かったわたしには
せまるものが大きすぎて、
こみあげてくるものにたえられそうになく、
とてもしばらくは歌えそうにありませんでしたので、
だいじにねかせておくこと数年。
ようやく、今ならば
せつないながらも、なつかしくあたたかい気持ちで歌えそうな気がして、
あらためて向きあってみることにしました。
けれどもやはり、歌い始めると
父への思いが勝ちすぎて、冷静でいられなくなりそうな自分がいます。
それもまた、いいのかなと。
ベストではないのでしょうが、
それでもいいのかなと。
そして、歌うたびに少しずつ、
いろいろ変わるものがあってもいいのかな…と、
そんなふうに感じています。
生きている自分が、年をかさねて変わっていくように、
うたう歌もまた、同じ歌であっても
いつも同じでなくていい、と。
未熟であろうと、いまの自分を素直に出して
歌えたらいいなと思います。
いざとなると、ただそれだけのことが
なかなかできないのですが…。
詩をご紹介しましたこの3曲、
3月10日に歌いますが、
明日の午後は、そのためのピアノ合わせがあります。