Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

Every Day

2009-12-31 | 竹斎先生



RITZ !


気の合う仲間が集まればリッツパーティー





チーズ オン ザ リッツ
ステーキ オン ザ リッツ
エビ オン ザ リッツ
トマト オン ザ リッツ


リッツ エブリディ !!









だが...








オレにとって定番なのはやはり






































気の合う仲間が居なくても



これさえあれば毎日がパーティなんだ



ふ!  エブリディ!



ふっ!!  エブリディ!!









オレ
ふ パーティで年越しです






今年も一年お世話になりました


 雲 竹斎






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人立ち

2009-12-31 | 竹斎先生





おいっ! パパ
これからオレが立って見せるからよ~く見てろよ







よいしょっと...



ちょっとまだ緊張するけどなぁ...
思い切ってやってみるか...










タァ~ッ!




ほらっ!立ってるでしょ




ほ~~らっ!!




なっ!












>>>>>>>>>>>>>>>>>




少し前から数秒間立つことが出来るようになっていた先生ですが
今日から急に5秒くらい立てるようになったので写真におさめることが出来ました


赤ちゃんの成長って、いつも急にやってくるもんだなと思う


先生は
親にまとわりついてくるような遊びの中から、フッと本人の身体のバランスがとれた瞬間
「これなら行ける」という確信を持ちながら自分からそ~っと手を離す

今まで何度も転倒しては後頭部に打撃を受けて来たことで摺り込まれた警戒心があるからこそ
立てた時の本人の解放感や喜びが倍増しているように見える

それと重なって
立つと親が喜ぶので、ますます本人は嬉しくなる

だから、立っては座り、座っては立ち、を何度も繰り返して見せる


でも「さぁ、立ってごらん」と立たせると、先生はむしろ立たない...




こんなふうに遊びの中で対話をし
本人のやりたいという意志を尊重していたら
本人が勝手に何度も何度も繰り返し
そして今日急に持続秒数が増えたのです



面白いものだな

毎度思うけど、赤ちゃんの本質的な成長に対して親は何もしていない

むしろ邪魔しないようにしてるだけで僕は精一杯

赤ちゃんは勝手に自分で成長してゆく



本人の中に「既に出来上がっているもの」が外に出られるように
親はほんのちょっと付き合ってあげるだけなのだと思う

誰に貰ったわけじゃないのに生まれた時から万人が持っている可能性って
触れ合い、対話し、喜び合うことの中から初めて外に出てくるんだな、と
気付かされる

そして
「おまえは、そういうふうに音楽するのだよ」と
我が子の中に隠れてる声が僕を諭してくれる




先生只今、生後約9ヶ月半

体重8.1キロ

無事 2009年を生き切る
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010/2/1  恵比寿天窓.switch

2009-12-29 | 過去のスケジュール記録









「オトナの時間」は好きですか?











オトナの時間をエスコートしてくれるのは








この人








この人














2010/2/1(月)   恵比寿天窓.switch

19:00open/19:30start




■出演者

ダンドン×カンパニー

へんてこりん葛岡みち+maruse

タマ(from タマトミカ)with 榊原長紀 



僕たちの出番は2番目  20:15~20:55 です





■料金

¥2,000(ドリンク別)







>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>








タマちゃんとのデュオが遂に実現しました



タマちゃんのソロ活動
記念すべき第一回の相方に僕を選んでくれました

ありがとう







ピアニスト、タマちゃんこと広田圭美(タマミ)さんは
僕にとってどういう存在なのか



いつぞやのBaby Booのツアーサポートで初めて御一緒させていただき
その時の楽器編成は、タマちゃんのピアノと僕のアコギだけで
打楽器が居ない中、初顔合わせツアーを廻りました


演奏者が弾く瞬間に「相手と合わせよう」と考えてしまったら、その時点でもう遅い
だからミュージシャンはブレーンを作って慣れた人と演りたがるとこがあるんです

だけどこのツアーのように初顔合わせの人と演奏する時
大体まず様子をみながら僕は音を出します

相手と自分のバックボーンが違ったりすれば、一緒に一つの曲を演奏していても
それぞれが身体で感じているテンポ感は微妙に喰い違ったりするし
「ここだっ!」と思った位置に、想い入れた音を全力で振り下ろした途端
相手の振り下ろした全力の音と微妙に位置がズレて
結果、主張の強い音同士がバッティングしてしまいグルーブがガタガタになる
といったことはよくある

だから初めての人と演る時や、バックボーンが違うと感じた人と組む時とかは
特に音を置く位置に幅を持たせるんです、僕
音を置く位置が多少食い違っても
帳尻が合うように



僕の主観では、いつぞやのBaby Booのツアーでも
こういう意味での弾力をある程度持たせながら演奏していたと思います

演奏は85点くらいは超えてるし
後はメンタルなものを豊かに感じながら、そちらで点数を上げるよう
一つ一つの公演を大切に収めてゆければ良いと僕は思っていた

だけど、このツアーの中でタマちゃんはまだ
音の方面から試行錯誤と練習を繰り返し
「このツアー」「このメンバー」からしか生まれない「ここだけのグルーブ」に対して
ベストだと思われる「位置」に音符を食い込ませきたのです


強い情熱がある人だと思いました



僕のプレイは、柔らかいし滑らかですが
この要素の中には、「どんな相手とでも合わせられるように」という意味で
「相手の出方、様子を見ながら、音を置く位置に幅を持たせてる」とこがあるわけで
その音は良い意味で言うなら、柔らかい分、癒し系の音になりうるでしょうが
「ここしかない」という一点に、全力で振り下ろした音と比較したら打撃力は弱いわけです

タマちゃんが試行錯誤しツアーの中で徐々に食い込ませて来た「位置」とは
「タマがこの位置に振り下ろせば、サカキさんも全力で振り下ろせるでしょ?」という位置でした

タマちゃんの音は強い引力を発し、僕を引き寄せ
僕は何年ぶりかで腕が引きちぎれるような全力のストロークをしました


全力を使って、強い音を発し、グルーブがズレるくらいなら
柔らかい音で幅を持たせる方が良い

彼女とのグルーブがもし少しでもズレたら、僕はすぐ
幅を持たせるモードに自分を戻していたはずですが
遂に最後まで、全力の振り下ろしを止めたいとは思わなかった

そして大きな感動を感じさせてもらいました

それは、ツアーの後、追加公演の最後の回でした
その千秋楽のことを自分でブログに書き残してる



想像出来ますか?

目を瞑ったまま平均台の上を走り抜けてゆくような感覚



いつか足を滑らせ、平均台から落ち
嫌というほどスネを打つのではないかと
人間なら心のどこかできっと恐ろしいはず


だけどその恐怖を超えたとき重たい重力は消えてなくなり
無重力の中ですごい自由な演奏することが出来るんです



タマちゃんとのその時の密度は過去最高かもしれません

そしてそのツアーでこんなに濃い密度を提示したのは
僕ではなく明らかに彼女の方だったということです


彼女は僕を高みに引き上げてくれる大切な存在なのです



2008/7/31の千秋楽からもう1年半近く経ちました
その千秋楽以来の共演です

この1年半ほどの中で彼女は「あの時よりもっと柔らかさも習得してきたよ」と伝えてくれてます



最近の写真、落ちついた良い表情ですね




新年になったらリハ開始

どんなになるかワクワクしています



是非、聴きにいらしてください








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お手紙です

2009-12-28 | 過去のライブ後記





今年、僕が感じたこと、奏でた音、書き記したこと、発言したこと


そういうもの達を

良いことでも悪いことでも

少しでも心に留めてくださったあなたへ









僕の関わらせていただいたライブに本当に沢山足を運んでいただいて
顔見知りになり、お話させていただき
お友達のようになってしまった方や

実際には声をかけたりしないけど
聴いてくださっていたり
ブログを読んでくださっている方とも

音楽を通して縁が生まれ
音楽の奥にある「人の心」のことを
言葉にするのはなかなか難しいけど、少しだけど、お話したり
お話しなくても感じたり



こういった「関わり」を持てていることが
僕に沢山の生きる力をくれます





人は孤独で
生まれる時も死ぬ時も独り、と言われますが

孤独でありながら
この宇宙に、ポカンとたった独りで漂っているわけではなく
横を見ればそこにあなたが居て、後ろを振り返ればあなたが笑ってる
その隣りに泣いているあなたが居て
そのまた横にも...
ずっとずっと無数の心が関わり合い、繋がり合いながら生きている、ということを
音楽から教えてもらっています

いや...

「音楽を通じてあなたと関われたことの中」から教えてもらっているのだと思っています





ライブが終わった時に「ありがとう」という言葉を伝えていただくことがあります
言われる度に不思議な気持ちになります

お金を払って聴きに来ていただくわけですから
普通に考えたらこちらが「ありがとうございます」なはずで
勿論そう思ってるのですが
お客様の方からお礼を言っていただけるのって
まだ慣れなくて不思議な気分になるんです

だから、会場でお礼の言葉をかけていただいた時には
咄嗟に何と答えて良いかわからず、少しシドロモドロになってしまう自分がいますが
ウチに帰って落ちついて少し考えれば観えてきます


これは僕という「個人」に頂いた言葉ではないのだと思い当たります



やはり
音楽って、人が作り出したものではなく
もともとこの自然のサイクルの中に存在していた何かに
人間がほんの少しだけ手を加えて「音楽」って呼ばれるものにした

その神様がくれた恵み豊かなフィールドの上で
ただ沢山の魂と繋がりあっていることを感じられたことに対して生まれた感謝の一粒が
あなたから溢れたとき
たまたまそこに居た僕が受け取る役を担っただけなのだと思います


だから
この受け取ったあなたの感謝の粒を
僕は僕のために使いません


この魂の連鎖のためにだけ使って
ギターを弾けるだけ弾いて
ただ生きて死にたいと思っています






僕が
「あなたを愛している」

ここで書いたら

あなたはその本当の意味を感じてくれるでしょうか







僕は今

ちゃんとあなたのことを愛せています






そして
あなたがもともと持ってる沢山の光を
僕に預けてくれたくれたことに
心から感謝しているんです





ありがとう








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラブヒゲ 恵比寿天窓.switch

2009-12-27 | 過去のライブ後記


今日が今年の仕事納め
ラブヒゲ 恵比寿天窓.switchでした



いらしてくださった方、ありがとうございました




ここのとこ一回一回のライブで
だいぶエネルギーを出しきっていたようなので
本番が連日になるとホント自分を絞り出すような感じで
今日のラブヒゲの僕の演奏は
セーフだけどもうギリギリ滑り込みって感じでした

この12月の疲れを少しとったら
また感じたこと等、ゆっくり記したいと思います


でも今年、ラブヒゲ、頑張ったなぁ



大人が本気でバカをやりながら
バカだなぁ~って笑いながら
だからこそ生まれる暖かい音を奏でる、っていうこの場所は
どれだけ僕を成長させてくれたかわかりません

でも更に来年ももっとラブヒゲを成長させられたらって思います

そしてこの場所で気付かせていただいたことをまた
他の場での演奏や合奏に生かしてゆきたいって思います





ラブヒゲバックステージフォトです


27日なのに...


強引にクリスマスもやっちゃいました




バタフライこと徹哉さんの誕生日と今回の公演が重なって
サプライズで御祝をしたんです


終わった後「ちょっと泣いちゃいました」っておっしゃられてましたが
本番ステージ上では、付け睫毛とアイラインが濃くて
涙ぐんだ様子は見えませんでした

 
でも
わかるんですよね
どんなに厚く化粧をしていても伝わってくる
徹哉さんの心が動いてること
そんなシーンに僕もステージ上で感動していました




「隠し芸のことが気になっちゃって、もう演奏どころじゃないっすよ」(by小林)


「ほんと...帰っていいなら今すぐ帰りたい...」(by小林)


今日は、リハの合間の僅かな時間やみんなが寛いでる時間にも
小林くんの隠し芸用に練習を重ねるピアノの音と
傍を通る度に、矢野顕子さんの物まねの声が聞こえてくるのが可笑しく
本番では追いつめられた精神状態の小林くんの裏声が
アヒルが首を絞められたようで一番ウケましたです


タカシさんが楽屋でタカコママに変わってゆくのをジッと見る度


何か恐ろしいものを見てしまったような気分になるのは僕だけでしょうか...


そしてメイクが出来あがるといつも思う
「あぁ...もうダメだ...僕はこの人から逃げられない...」

 
光も闇も全てお見通しなのに簡単なことが見えなくなっちゃう
そんなチャーミングなタカコママのキャラに変身です



 
バイオリン 渡辺一雄さん


初めて御一緒させていただいたのですが
艶と張り、豊かな表情の音色で、リハですぐ好きになってしまいました
それはそうと
女装した姿が本当に可愛かったので、段々女性にしか見えなくなって来て...
楽屋ではみんな、渡辺さんの胸元から目をそらせていました


見に来てくださった雪村いずみさん
目上のミュージシャンを敬うタカシさんの表情と
目下を包みながら現役でチャーミングな雪村さんの表情が素敵だなって思います




この一年、御贔屓いただき
本当に本当にありがとうございました




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HAKUJU HALL 09/12/26

2009-12-26 | 過去のライブ後記


この冬の一連の晃教君との演奏は
僕にとって本当に嬉しいものとなりました


間が開いてもまた声をかけていただいたことも嬉しかったですが
それよりも何よりも
間が開いても以前より演奏の呼吸が合うようになっていたことが一番嬉しかったんです


晃教君も僕も演奏に対してかなり神経質なタイプだと思うのですが
その神経質が時に、誰かとの摩擦を生むかもしれない

だけどこの冬の一連のコンサートやライブの中で
相手との呼吸がぴったりと合った時
この喜びのために自分は神経をぴりぴりさせてきたんだって思えた
そのことが嬉しかったんです


誰かとぴったり呼吸を合わせられた時
それが運んできてくれる幸せは、僕にとってかけがえのないもので
そしてそれは音楽だけじゃなくて、きっと何気ない日常の中にも生まれると...
演奏を通してこういう気持ちを感じられることで
「今回、本当の意味での音楽を奏でられたんだなぁ」と思えた


人と人が心を繋いで合奏するって素敵です


そして楽器を持っていなくても
心で合奏に参加してくださったファンの皆様

ホントにホントにありがとうございました

僕は今
うれしい









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「T-2」

2009-12-25 | 「T」



ゆっくり…





ゆっくりと、たった一回の瞬きをする間に

何千キロも進んだような感覚。




演奏が始まれば、現実にそこで鳴っている音は直に聞こえなくなる。






視界に入るものは、その形がグニャリと崩れ出し、一つの大きなスライムのようになってゆっくり波打っている。

その体内の深いところから表面近くにまで伸びている無数の神経節と、
その先に付いている「目」が、茶色のジェリーのように半透明な皮膚を通して
こちらの一挙手一投足をじっと見ている。


「一定」という名の真っすぐな線をゆっくり描くのを辞めて、
大きな感情を吐き出した途端、無数の目が一斉にこちらを向く。


出来る限りこちらを向かさぬよう自分の気配を消すことだけが
Tに出来うる可能なことであり、それが彼の「奏でる」ということ、
相手と一心同体化になるということ、それがすなわち彼の音楽だった。

ただ彼の潔癖は、現実で周りとの調和を妨げ、よく彼は自暴自棄に陥った。



楽器を手にする力が出ない時は、女を抱いた。
欲望に任せた身勝手なセックスだった。


Tの奏でる悲しみ色の強い音色に惹かれた女は、
彼がどんなに身勝手なセックスをしても、どこかで彼を許した。


その仕組みを知っているTは
自分の音色を聴かせたことの無い女には、絶対自分からは近付かなかった。


Tは穏やかなまま女に接近した。
そして女が安心した頃を見計らって
いきなり自分の凶暴性の1割にも満たない毒を使って無礼な口をきいた。

そのやり方で大抵の女がTの腕の中に落ちた。



交わる中で女が動物に戻り
優しさより激しさを求める頃になって初めて
Tは自分の心が安らぐのを感じた。

その感覚は、
彼が女を純粋に愛せるのは、「その時間の中だけ」だと
そう彼に思わせていた。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「T-1」

2009-12-25 | 「T」



東京湾の海水の上を歩いて何処に行くんだよ?


そっちの沖の方で俺を呼ぶ奴は誰だ?




そう呟きながら立ち上がりざま自分の両腕に
鳥が羽ばたくような動きをさせた、
その途端、自分の両腕は巨大な麻色の羽となり
大型の渡り鳥が、長く水面を滑走路として飛び立つように
バサバサと羽ばたきながら一気に東京湾の中へ走り出し、
そして離水した。







飛び立ってみると、大きな麻色の羽はじっとりと湿り気を含んだ毛布のようで、
高度が上がらず海面すれすれをずっと飛行することになった。
そしてその息苦しさから、
「今」という時空を生きてることにまで後悔が及んだ時、Tは目が覚めた。




夢の中で自分が広げた羽には「名前」が付いていた。

Tは目を瞑ったままでその名前を滑舌の悪い声で口走った。



女が「何?」と訊いたが構わず
東京湾がどうしたこうしたと重ねて呟いた。
そして夢の中の風景に出て来た幾つかの建物の名称を呟くうち「羽の名」のことはもう忘れてしまった。



Tが寝起きざまに、今見ていた夢のことを話す癖は昔からで、
それは覚醒し、現実の世界に引き戻される時間を、
ほんの少しでも引き延ばしたい気持ちの表れだった。

Tは明らかに潜伏性現実逃避人間だったが、
彼はそんな自分に気付いていたし、
そのことに関して逆に持論を持っていた。



「現実」と呼ばれるものは全て「無」で
観念の中、心が動いてる状態だけを指して「生きている」と言える、
「命」の意味を、そう彼は捉えていた。


だから自分の中の怒りの炎
誰にも気付かれない憤りの噴火は
彼にとってはむしろ「生きている」という証であり
これらが現実で外に流れ出さない限り
むしろ「良いこと」と捉えていた。


ただ時たま、だけど確実に
身近な人間のところに溢れ出てしまう。
その結果、相手から恐れられ、自分との距離を置かれようとされることをまた恐怖に思っていた。


人との会話に使われる「言葉」
そんな道具では、本当の会話になどなり得るわけが無いと
常々感じている彼は、日常の大半を自らの内側とばかり対話している。
そしてそのことはあたりまえのように彼を孤独に追い込んでいる。

孤独という名の激しい枯渇感に苦しむTが
恋人に求めるものには独特のものがあり、
それゆえ、それに応えられる女は少ないはずだった。

このことは彼を、女と向き合わせるのに慎重にさせるはずだったが、
女という生き物と、男という生き物がこの世から無くならない限り、
こんな歪な形をしている自分のことでも必要とする女はこの世から居なくならないとTは思っていた。

そのことから得られる安心が
彼に初めて、女に対して甘えることをさせる。

甘えと傲慢の区別が出来ていない男だった。



そして、この甘えと勘違いした傲慢が
普段彼が隠し持っている「誰にも気付かれない憤り」を
恋人の前で噴出させることに繋がっていることに
不幸なことに彼はまだはっきり気付いていないのだった。



Tが恐れていることとは
彼が甘えられる女が、この世にたった一人も居なくなること、そのことたった一つだった。

それは逆に言えば、たった一人の女が傍に居て
Tの甘えを甘受していてくれさえすれば、他に誰一人も必要とは思わない、ということでもあった。


こういう価値観は彼の気付けぬ部分で「固執」を生み、
恋人である女に重たい加重をかけてゆく仕組みにも彼は上手く気付けてはいなかった。


幾重にも気付けないことが彼の苦しみだったし
その苦痛が破壊してきた関係性が、いったい幾つ貯まったかなんて忘れてしまったが、
今度の恋人は彼の傲慢をある程度見抜いていた。



食器を洗う音が小さく隣りのキッチンから漏れ聴こえてくる。

どこか遠くの建設中のビルから、鋼鉄を打つ音が聴こえる。

その場に居たら耳を塞ぎたくなるであろうその破壊的な音は、
冬の乾いた空気の中を何キロも伝ってくるうちに角を削られ、
最後にこの部屋のサッシを通り抜ける際に決定的な打撃をこうむり、
もう鼓膜を殺傷する能力が皆無になった状態でポカンと間の抜けた音を空虚に響かせた。


睡眠から覚め、現実での時間が再開することを一番嫌っているTは、
人を傷つける力の無い微弱な音達を聞くともなく聞きながら、
不安定な中に奇跡的に生まれた僅かな均整の中に恍惚としていた。

サッシの硝子に付いた細かい埃が、太陽の光を乱反射させるから、ここから見える空は白い。


白だけで…良かった…
雲が流れてゆくのが目に入ってしまったら悲し過ぎる。
悲しみに浸っていること自体はTにとって嫌悪することではなかったが、
もしその領域に留まるのだとしたら、何人からも邪魔されない、という確約が欲しかった。


いつか見たフランス映画の黄ばんだ空と、そこに飛んでいた一羽の海鳥の黒い影を思い出した。

大きな柱時計の針が逆に廻るのを見た。

女の泣く声がフラッシュバックし、その残像が長い尾を引いてゆく。

逃げ込む場所と、そこに入り込んではいけないという思いが交錯し鼓動が早まる。

遠くでパラパラというヘリコプターの乾いた音が聴こえる。

その音には30msecほどのショートディレイがかかっている。

そのことが、自分を含むこの街ごとが巨大なプラネタリュームの中に格納されているかのごとく
錯覚を起こさせる。

廃品回収車のスピーカーから押し出された暴力的な音量が鼓膜をヒビ割れさせた時、
Tはうつつから覚め、不愉快という名の着地点に降り立った。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崩壊

2009-12-25 | ギターの栄養




強い想いが注ぎ込まれたものとは




その文体は崩れ

音符は五線紙からはみ出



言葉は喉元でつかえて出て来ない







学校で教わったものは全て


崩壊する






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青梅今井城学園

2009-12-25 | 過去のライブ後記




23日に青梅今井城学園という児童養護施設のクリスマス会の演奏に行って来た


タカシさんに誘っていただいて






詳しいことはよくわからないまま行って来た








ただ、訊いてたのは
子供達はこの施設で暮らしながら学校に通ってるってこと
幼児から高校3年生までの幅があるってこと
幼児虐待とか経済的な理由とかで自宅に居られなくなった子供達が暮らしてるっていうこと

行ってみて知ったのは
全部で50人の生徒が居るってこと
そのうち36人が本施設に暮らして
残りの子達は、2つの一軒家に何人かずつ共同生活をしているってこと


幼児から中学高校生までの違う年齢の子達が一つのグループを組んで
そういうグループがいくつもあって
彼等は手作りのステージでパフォーマンスをしていた


すごく明るい子供も居た
パフォーマンスが単純に恥ずかしいって感じの子も居た
瞳の光が暗い子も居た
負い目を持ったような子も居た



僕は、いつも通りのギターを弾いた

こういう場所だからって、何も特別な気持ちじゃなくて
いつも通り


そして自分のギターが焦れったいと思った

今日ばかりはギタリストを辞めてコメディアンになりたいって思った



何故って
無償に彼等に笑って欲しくてしかたなかったから


こういう気持ちってある意味、自分の傲慢かと思った


でも

やっぱり

笑って欲しかった




どんな理由かわからないけど
自分の家ではなく、この施設に暮らしているという「釈然としない想い」は
必ず彼等の中にある

瞳の暗かった子だけではなく
明るく振る舞っている子の中にも
出し物のダンスを楽しそうに踊っていた子の中にも
独りになって心の中を見詰めたとき必ず釈然としない思いがある

それが痛いほど彼等の中から溢れてくる



だからその「固さ」を解きほぐしたくて
それには涙か笑いかどちらかだと思ったから...




でも、いろいろ事情があってここで暮らしてるんだ

そんな簡単に泣けないよな

もしかしたら意地でも泣きたくない、よね



だから僕は
コメディアンになりたかった...







全ての演目が終わり片付けている時
さっきステージでパフォームした後、高校3年生だと自己紹介した男の子が話しかけて来た

「何のギターを使ってるんですか?」って

彼は、自分もギターをやってることや
学校でBZのコピ-バンドやってることなんかを話してくれて
最後に「ギター良かったです」と言ってくれた

彼は来年、高校卒業とともにこの施設も卒業するのだそうだ


彼の瞳の奥には暗い光が見える
彼に対して特別な同情をしない僕と彼の会話はとてもギクシャクして
一言喋って妙な間が出来、また喋っては間が出来る
そんなふうだった



帰りの車で、ずっと今日一日のことを思い出していた



自分のギターがこの子達の心にどれだけ届いたか、なんて
もう考えないことにしよう

笑って欲しい、っていうのも考えないことにする

だってそれは、彼等が笑ってくれないと僕が苦しいからなんだもの


彼等は今の姿そのままでいいんだもの
うまく笑えなかったとしても、そのままでいい
その輪の中に今日一日、ちょっと混ぜてもらって過ごせたことだけでいい

ギターの話をしてくれた高3の子の瞳の奥に影を見たことは
僕の心に、ものすごく何かを焼き付けた

そして、暗い目をした彼のことを今思い返しながら
彼のことを好きだと思える...





人の瞳の奥にある暗い光と
今回初めて、僕はしっかり向き合えたのかもしれない

簡単に優しい言葉もかけず
大胆に笑わせることも結局出来ず
いつも通りの自分の言葉、ギターを奏でて来ただけ

もし気の利いた優しい言葉をかけることが出来たり
彼等をゲラゲラ笑わせられることが出来ていたなら
僕は今、もっと楽だろう...


じっと静かに彼等の瞳の奥を見て
今僕も一緒に、答えの出ない思いを感じている

そのことが苦しいけど
でも嬉しいのだ










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動きたい気持ち

2009-12-23 | 竹斎先生




先生?
そこで何してるのかな?








ん?




?...





ははは...
そうなんです




動きたい盛りの先生は
目覚めた途端に稼働出来るように
膝を立てたまま寝込んでしまうみたいなんです







こんなバージョンもあります








つかまり立ちの手を、自分でフッと放して
1~2秒、自立出来るようになってきた




立っている間のバランスの取り方を身体が覚えてきたから
ソファに座っている親の膝の間に立って
横向きにもたれたり、のけぞってみたり
いろんなポーズをとりながら甘えることを楽しんでいるみたい










年明けたら

歩くかな...




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和への考察

2009-12-21 | ギターの栄養






何かの事情で焦っている

その焦りから自分が盲目的になってしまい

そのことから相手と擦れ違っていってしまう苦しさや寂しさを

人はどうやって解決するだろう










擦れ違いは必ず両者共に不愉快を感じさせるのに
人は己の不愉快を先に解決させたいと願ってしまう


擦れ違いは必ず両者共の心に悲しみを与えるのに
人は己の悲しみを優先させてしまう


擦れ違いは必ず両者共に傷付けているのに
己の傷の痛みに盲目になった人は
自分の方だけが傷つけられたという被害者意識に陥ってしまう


そして目に見えぬ暴力を用いて相手への仕返しを開始する

「価値観の合わない相手のことなんか構ってないで
さっさと相手より優位な環境を手に入れてやるんだ」

それは「努力」という名を使った偽りの大義名分であり
その本質は攻撃であり
戦争の原型である

しかるに本人がそのことを意識していてもいなくても
先に「優位」を手に入れた人は、優越感を得ると同時に
反撃される恐怖も負うことになる

夜道を一人で歩けぬ身では
その後の未来も、その人の心をささくれ立たせるだろう



逆に後手を取ってしまった方は、自分が「敗者」であるという洗脳を強制的に受けることになる


強制を強いるのは勝ち抜き出世至上主義の価値観を投影した「常識」である
いわば「世間の声」「世間の目」
majority、多数派、一般論


そこで「私は敗者ではない」と楯つく者がいたならば
その人は直ちに異端児、危険人物として扱われ、村八分という刑罰が下される




それらはどちらも違う…と思う



擦れ違いから両者共に生まれる悲しみに蓋をして見ぬようにし
諦めたとこから話をスタートさせたら
最初から論点がブレてしまう

そうやっておいていくら出世しても
いくらお金儲けしても
いくら被害者ですと叫んでみても
最初から論点がブレてるんだから建設的なものは何も生み出されない



…こうやって
文字にしてゆっくり考えると理屈ではわかるが
この愚かな迷路に何度も入り込んでしまう自分が居る

他人がこういう図式にハマっているのもよく見かける


自分がハマっている時は常軌を逸しているため客観視出来ず
その愚かさに自分では気付くことが出来ないのだが
他人がこういう形にハマってるのを見るとよく分かるし
それは心に痛くて辛い

自分も含め
でも相手も一緒に
この愚かな迷路から抜け出したいと、ず~っと思っている






さて...
僕には趣味と呼べるような趣味がないのだが
「好きなこと」ならちゃんとある

例えば散歩...

しかし散歩自体が好きなのではなく
散歩で活性化された頭で、つらつらと浮かぶに任せて瞑想することが好きなのだ

運転中、風景が移り変わることからの刺激で活性化された脳での瞑想も良い

誰も居ない部屋のソファで仏像のようにじっとしたまま半眼で瞑想、でも良い



それは、瞑想中が一番自由に感じられるから
心が伸び伸び出来るからなのだ





1ミリも論点をブレさせたくないと思うシビアな人間考察と
お気に入りの瞑想が組み合わさって
僕はよく、変な妄想世界をうろつくことがある


昨日のライブの会場がある立川までは
ウチから片道で40キロ近くある
その長旅を、反射神経だけで運転して頭の中はずっと瞑想状態で過ごした



ボーッと運転しながら心地良く浮かんでくるイメージを野放しにしておく




自分の頭の中を小さな模型の街に見立てて散歩する 妄想...


チイ散歩やブラタモリみたいに頭の中で瞑想散歩を繰り広げる


その模型の街の、駅から少し離れた住宅地を想像してほしい
そこらへんに僕の家がある
あなたの家もその近くにある

そのあたりは木造の家がほとんどで、まだ所々に平屋の家なんかも残っている

アパートなんかは精々二階建ての木造モルタルで
ブロック塀だけじゃなく垣根なんかも少し残っている
要するに僕の子供時代の風景なのだ

その風景は僕に郷愁という心地良さを感じさせてくれる

そのゆるやかな快楽に後押しされながら
僕の瞑想散歩は続く




路地が細かく走り
迷い込むとどこかの民家の開いた窓越しに住人と目が合ってしまったりする
これらの入り組ん裏路地を使って、表通りに出るためのルートは
幾通りかの選択肢が存在することになる


表通りと裏路地を併用しながら国道や環線道路といった大通りにまで出るルートとなると
更に沢山の選択肢が生まれる

表通りに出てしまえば道路表示やら「どこどこ行き」のバスの停留所やら交番もあるし
まず迷子になることはない

迷子になるのは 裏路地の中なのだ



バス通りなどの表通りや国道、環線道路といった大通りには必ず名前が付いている



例えば「何故、人は傷つくことが恐いのか」という名前の大通りあるとしよう

その大通りまで出てしまえば、自分が向かいたい方向は「道」自体が示してくれる
目的地へ向かっての自然に流れは出来ているし、同じ目的を持った人達と旅の道ずれになることも出来る

そういった意味で相手との会話の論点がズレることもあまりないだろう
それは、共通の大義名分を共有出来るからなのだ




大通りの名前をもう一つ例えてみる

「映画鑑賞同好会」という名前の大通りがある

この大通りに出てしまえば、同じ志を持った人達と手を取り合って楽しく映画館へと足を運ぶのみ

しかし人には、映画を「何故見たいのか」というそれぞれの事情がある




気分転換をしたいというレベルのものから
生きるか死ぬかの精神的な瀬戸際を
映画という芸術に救いを求める規模のものまで様々だろう


「映画鑑賞同好会」という名前の国道に出る手前の細かい裏路地には
幾通りもの人それぞれの歩き慣れたルートがある

だが必ずしもそのルートは選んだ当人にとってベストなルートとは限らない



あの路地の角を右に曲がると嫌いな犬が吠えるから少し遠回りになるけど
しかたなく左の路地使っている
なんて例は沢山あるだろう

そこにもってきて誰かがその人に言う
「右に曲がった方が近いじゃん、キミはよく待ち合わせに遅刻するんだから右ルートを使うべきだよ」と

言った人は犬が苦手ではないから言われた人の気持ちがわからない

そういうポイントから話しが繰り広げられるということは
初めから論点がずれているということになる

「お互いそれぞれの事情はあるだろうが何はともあれ一緒に楽しく映画鑑賞しようじゃないか」
という名目で関わったはずなのに「あいつは何で遅刻するのか理解出来ない」
という論点にすげ替えられてしまう

人間関係とは こんな小さな擦れ違いだらけ
争いにまでならないこんな摩擦が、そこら中で無数に繰り返し繰り広げられている




それは裏路地に名前がないから

それはお互いの目的を共有出来る「タイトル」が存在しないことといえるから

それぞれが家から出て名前の付いた大通りに出るまでの間 に擦れ違いは起こる



「名前の無い裏路地」とは
言い換えれば「いたって個人的な感傷」と言える



入り組んだ裏路地のルート選びで人はすれ違いそして迷子になる


裏路地には名前が無いのだから
自分の家から大通りまでの街並を小さな模型にでもして
上からじっくり観察するのが良いと思うのだ


あの角を右に曲がる理由は犬のせい
次をまっすぐ行くのは近道だから
その次を左に曲がるのはその風景が好きだから
そのまた次を右に曲がるのは曲がった先にある時計屋のウィンドウで時間を確認したいから
次は井戸のある家の横を通りたいから
次は嫌いな人がいる家の前を通りたくないから



こうやって自分が使いなれた裏路地ルートには
曲がり角ごとに必ず理由(個人的な感傷)があるのだということを
日々、小さな模型の街並を上からじっくり観察しておけば少しは
擦れ違いという名の迷子が戦争を起こさずに済むかもしれない




















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

X'masプレゼント@立川 J.J

2009-12-21 | 過去のライブ後記



昨夜、

僕の方こそが受けた光のこと











それは




人が人に伝える素晴らしさを教えてくれて




気の利いた言葉なんて要らないんだってことを教えてくれて




伝わると心の芯から暖まるってことを教えてくれて




やっぱり笑いと涙は地続きなんだって思い返させてくれて




あとは




あとは...




あとはもう言葉が見付からないので




昨夜、
僕の中に植え付けてもらった愛の種を




生きてる間、ゆっくり時間をかけて




きっと綺麗な花を咲かせたいと思うのです













いつかこの先
僕の知らない何処かの場所で
それを見た誰かがフッと心和んだ時
やっと昨夜貰ったプレゼントのお返しが出来たということだと
そんなふうに思うのです














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑人

2009-12-19 | ギターの栄養



…心が何も感じていないのかと思った…


少し考えてみた


感じられないのではなく
感じることで揺すぶられたりバランスを崩していないのだと気付いた



ポカンと晴れた空の下
我今閑人なり





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酸素

2009-12-19 | 記憶の風景


母の胸元に抱かれて向き合いながら寝ている


僕が小さい頃の記憶




それは暖かさが心地良く
眠っている母の鼻の穴を指で触っている

母が吐く息(二酸化炭素)が、僕の顔にかかるから
酸素が薄くなり少し呼吸しづらくなっている

母の息がかかるポイントから自分の顔を少しずらすと
新鮮な空気を吸うことが出来る




掛け布団の形を変形させて
母から吐き出される二酸化炭素の経路を遮断する

抱かれている暖かさを失わず
新鮮な酸素を取り入れる工夫をしていた...

あれは
いったい何歳くらいだったのだろう...



話し変わってウチの息子は相当寝相が悪く
大抵は畳に転がり出て寝てる

明け方ふと目が覚めると
今夜もゴロゴロ寝返りを打ちまくり掛け布団をはねのけている

ここのところさすがに寒いから、風邪引いちゃうなと思って
僕の布団に引き入れた

赤ちゃんの小さい身体はとても暖かくて
ぎゅぅ~っと抱きしめたくなるのだが
酸素が薄くなるとな...いけないよな...
なんて思って、ちょっと離れる    10センチくらい...

...あまり離れたくないし

15...センチ...くらい   せいぜい





早朝5時頃
暗い寝室の中で
今、僕に抱かれてる息子の寝息を聴きながら
自分が母に抱かれて眠っていた小さかった頃のことを思い出している





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする