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Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

『トリツカレ男』

2009-11-30 | 榊原長紀 その他の参加作品

演劇集団キャラメルボックス

DVD『トリツカレ男』

挿入曲「遠回り」 作曲・演奏


DVD




オリジナルサウンドブック CD




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大きな声

2009-11-30 | 竹斎先生


先生が「あ¨~っ」とビックリするほど大きな声を出す


「ね¨んね¨んね¨ん」「んまんまんま」「え¨~~っ」
わざと耳に障るようなトーンで。


それらは、先生が少しずつ喋れるようになってゆく過程での、
本人の喜びの雄叫びだと捉えていたのだが、そうでもないらしい

一言で言うと「呼んでいる」「呼びかけている」意味だったようだ
(といっても、こっちを見ないでやりよるからわかりづらいのです)


それは 「一緒に遊んで欲しい」という単純な要求ではなく
「自分を見ていて欲しい」「その見られている環境の中で遊んでいたい」というものなのだ


雄叫びの効果でパパとママが自分を見ていてくれるようになると
両親のちょうど中間点あたりにに身を置き
少し遊んでは、自分をちゃんと見てくれているか、親の視線を確認するように振り返り
それを確認するとまた安心して遊び始める


まだほとんどのことを教えこまれたわけではない赤ちゃんが提示してくる要求とは
僕ら大人の中にも今でも十分に残っている根源的な欲求だと思うのだ

だから我が子とこういった対話をした後にこんな風に思う


僕自身は
これ見よがしな大きな声をたてていないか?
そういう演奏をしていないか
(大きな声をたてれば、それはそれでそれが好きな人種が集まってくるのだが
僕はそれがあまり好きではない)

自分をちゃんと見ていてくれてる人がいるか

自分はちゃんと相手を見ているか

見ていないのに相手の発する「大きな声(それは相手が自分に送った、いわばギリギリのSOS)」を
うるさいと思っている自分はいないか
などなど…


ついさっき 大きな声で僕を呼んだ先生は
遊んであげてもそれを止めず
他に何もせずちゃんと抱っこしたら、腕の中ですぐに眠りに落ちた

僕の腕の中で小さな寝息をたてている先生の暖かい体温を感じながら、そんなことを考えたのだった










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モンキーマジック

2009-11-30 | 竹斎先生


如意棒持った孫悟空


うりゃ~っ!






...ではなく







突っ張り棒を舐め遊ぶ先生でありました









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木村真紀コンサート@菊名教会

2009-11-28 | 過去のライブ後記



木村さんのお話しでは、牧師さんという稼業って
教団からお達しというか、打診があって、そして国内?のいろんな教会に配属されるんだそうです

お知り合いの牧師さんに 以前
ミュージシャンはヤクザな稼業だと 木村さんが話した時にその牧師さんが
私達も全く同じですよ、と言っておられたそうだ


今日の教会の牧師さんは以前は大島だったか?にいらしたんだそうです



無宗教の僕には普段縁のない教会という場所
そして、そういうフィールドに属しておられる方達と
ほんの少しだけ接点を持てた2日間でした




今日の木村さんの無料コンサートも、伝道活動の一つであることは勿論なのでしょうが
押しつける空気もなく
信じてる人達が、クリスチャン以外の人達を、いたって自然に受け止め
(受け止めるという表現すら感じさせぬ空気の中)
今日の礼拝堂は人で満たされました
(実際に今日のお客さんは教会員でない一般の方たちが半分くらいいらっしゃったそうです)

いつも慌て者の木村さんは、歌詞を書いた紙を忘れたなどとステージでの騒いでおられたが
そういうミスが歌に悪影響することなく、張りのある言霊を発していた

それは木村さんにとってこの場所が「我が家」のような意味を持つのだろうな、と思うと同時に
それだけじゃなく、ここに集う全ての人達に、この場所が提供している「懐」の深さ
のお陰かもしれない、なんて思った

僕は、非常にゆったりした精神状態の中
何の曲だったかで演奏中に胸が一杯になった場面もあった



先ほど 僕は無宗教だと書いたが
人が生きてゆくには その人その人 それぞれ信仰が必要だと思っている

その信仰は
どんなものでも どんな形でも良いと思っている

信じるもの
というより信じられるもの
心の拠り所となりうるもの



今日のコンサートは
そんな、人それぞれの信仰をやんわり受け止め、受け入れてくれる場所だったんじゃないだろうか
なんて思い返しています

相変わらずこの先も僕は無宗教だと思うのですが
無宗教の僕が、クリスチャンの木村さんと
あたりまえに、全く隔てなく友達であり、アンサンブルしあえるように
価値観はそれぞれ違うんだから、言葉にして話したら摩擦になることだってあるだろうに
音楽のもとに集い、それぞれが音楽に託した言葉で、美しいハーモニーを共有することが出来るように
今日の菊名教会という場に 友情のようなものを感じた...
というか
そんな風に言うのは何か大袈裟で...

この場所が広げてくれた白紙の五線紙の上に
好きなメロディを描かせていただいたのだ




心が暖まりました

今日という日と、関われた人達と、その縁とに感謝しています

ありがとう









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神と遊ぶ

2009-11-27 | 過去の制作日記





ウチの下を流れる運河の淵の桜もだいぶ綺麗に紅葉した

赤い葉は陽の当たる場所、黄色い葉は建物の影になってるとこ




そして今日は、明日おこなわれる木村さんのチャーチコンサートのリハをしました



自称、不良クリスチャンだそうですが、教会で木村さんは「カオ」みたいなんで
時間を気にせずゆっくり、明日の会場である礼拝堂を使わせていただけました


新しくて綺麗な教会でした


現代的なデザインの礼拝堂でしたが、到着して入った瞬間に
何か....モワ~ン、、、というような落ちつく雰囲気に包まれた
(別に霊的な話ではありません)


お寺とか、神社とかもそうだけど
神様が居る、とされている場所は
そこに居るだけでまず落ちつくような演出がなされてるんですね
(建物の作りとか装飾品とか)

そこでしばし心を休ませてもらっても良し
気に入った人はその入り口からもっと深い方へと入っていっても良い

質の悪い者もあったりするから
宗教って聞くだけで構えちゃう自分が居るけど
都会の町中に、こんなにモワ~ンと落ちつく場所があるっていうのは
ちょっとした嬉しい盲点でした






この十字架の下のひょうけ者はフトちゃん


そんなとこ座って恍けてるけど、チミはベースでしょ?





こっちのひょうけ者は真のロッカー、五十嵐勝人くん
この教会がある街に住んでいる
ずっと貸してた僕のテレキャスターを教会まで届けにきてくれて
そのあとずっと礼拝堂で遊んでいました

...1カポで、Cm7を押さえてますな...





...この
なんだか皆が気楽に居座ってしまう雰囲気は何なんでしょうか...

神が許してくれてる場所だから...?





この小っさい写真は
左がパーカツのハーヤン
真ん中が、数日前に 横浜市立日野中央高等支援学校で
生徒達から「あなたはステージの脇でいったい何をしていたんですか?」という
ピュアな質問攻めにあった音響の久保さん
右がキムラさん


心地良い空間で、のんびりリハして
終わった後もウダウダ喋って
なんだかちょっと修学旅行みたいな雰囲気で
そのうち、こういう緩い空気の中では、どうしてもミュージシャンてのは
バカな遊びをし始める人種なんですな...





ステージ脇に立派なパイプオルガンがありました








あたしさ あたしさ
パイプオルガン弾けるんだよ~
ね?上手でしょ?
♪バッシャンバッシャン♪ジュワ~~~ン♪ニョ~~~♪


まぁまぁですね
でももう一つ、何か足りない感じですよ
木村さん、、まぁ一度、僕に弾かせてみてください


そう言って、この傾奇者は
Deep Purple の Burn を弾いた


フン...何が「もう一つ足りない」よ フト


そんなんなら、あたしだって弾けるわよ


といってキムは
Deep Purple の Child In Time を、このあと弾き続けた...












すみません...神様

礼拝堂をリハスタにして遊んでいる
この不遜な者どもをどうかお許しください

そして明日のコンサートを成功に導いてください

ア~メン





日時:11月28日(土) 

時間:14:30~16:00

場所: 日本キリスト教団横浜菊名教会

料金:入場無料  クリスチャンへの勧誘無し

出演:
木村真紀(ピアノ&ヴォーカル)  
榊原 長紀(ギター)
早川 智弘(パーカッション)
酒井 太(ベース)








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両手離しのお座り 出来た

2009-11-26 | 竹斎先生






両手で食べると美味しいんだぜ~(積み木)









お座りが出来るようになって、両手が自由になった途端
先生は両手を使って凶暴なまでに暴れ出した

類人猿が立ち上がって道具を持った時から
人間の脳が急激に発達したように
その縮図を今、我が子に見ている


舐めるのはいつもの事


かじるのも


新しくは、振り回し


乱暴に投げ捨てる


手で払って床を滑らす


猫がネズミをいたぶるのに似ているかもしれない
親の敵のように、このリモコンをどうしてくれようか、とばかりに
思いつく限りのパッションをぶつけまくっているように見える






何でも構わないから

先生のやりたいようにやらせてみている


この急激な変化、この狼藉にはきっと理由があるんだろうなって思う


ずっとやりたかったのに、まだ思い通りに身体をコントロール出来ないから
焦れていたことが沢山あったに違いない


ハァハァ言いながらエンドレスで暴れ続ける

ギャッ!とか カッ!とか エワッ! とか、気合いの入った声を発しながら
その勢いのまま、横になっている僕の身体に突進して来て
つかまり立ちして、足は床に着いたままだけどピョンピョンする
メガネをつかむ、顔を叩く



最近、抱っこすると
僕の胸に腕を突っ張って身を乗り出すのが基本姿勢になっている
おとなしく抱っこされていてはくれない


時間の許す限り、よく観察しながら、いつか気の済むであろう時まで
自由にさせてみたいと思う





そして好きに暴れ尽くしたら、ぐーぐー寝ちゃうのだ
でも...腰が半分浮き上がってますよ、先生
夢の中でも大暴れなのかな?









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一人立ち

2009-11-26 | 竹斎先生




終日のたり のたりかな...





まったく


長閑な冬の午後だぜ












ぽりぽり...


...











ふぁ~~っ










Love & peace






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横浜市立日野中央高等支援学校

2009-11-26 | 過去のライブ後記


今日は、木村真紀さんに声をかけていただき
横浜市立日野中央高等支援学校というところでのコンサートでした






社会生活への適合に少しだけ問題のある高校生の子達

こういう表現も...健常者中心の社会っていうサイドからの表現になっちゃうから
ホントは違うんですよね...

でも彼等を総称して何と呼んだら良いかわからなくなっちゃうので...


そこの体育館で約1時間ほどのコンサートをして
僕はその中で絵本の朗読もして
その後、彼等と昼ご飯を一緒に食べたのですが
彼等との直接の触れ合いはとても愉快な時間でした


全員が同じとはいいませんが
彼等は、軽度の自閉症のような雰囲気で
そういう子達によくあるように、音にとてもピュアで
コンサートには良く反応してくれました

そして細かいところまでよく見て、よく把握してる

そういうことが、コンサートの後、直接触れ合う時間の中、沢山感じられました



コンサート終了後、控え室まで生徒が迎えにきてくれて
メンバーを別々に教室に連れて行ってくれて一緒に昼食
僕が行った教室は7人くらいの3年生の教室

自分のバンドKCのとこで「村長」というあだ名がついたのが、木村さんの現場でも浸透してしまい
今日のコンサートでのメンバー紹介でまで「村長」と紹介されたもので
昼食を食べながら質問コーナーが始まりました
一番ひょうきんもの君が

「村長さん、村の様子はどんなですか? クスクス」

「ウチの村は豊作です」(僕)

「ぎゃはははは~」


僕の右に座った女の子が、ギターの音が良かったと伝えてくれた
言葉を選びながら丁寧に、間違えないようにゆっくり
それは十分過ぎるくらい僕の奥の方にまで伝わった

ひょうきん君とひょうきん2号君が、ずっと漫才みたいにボケと突っ込みをやりつづけていて
そのパワーは凄いものがあった

学者のような子がその会話に急に加わりこう言った
「携帯はauはやめてもらいたい、、動画見るのが面倒だ これはマジな話だ」

ひょうきん2号がこう言った
「携帯【糸電話】にしたらいい! 繋がってるから絶対に間違い電話になりません!ぎゃはははは」
そして更に
「先生?インフルエンザが3年生の教室にも増えたらどうするんですか~?
そしたら教室を飛び出して外で授業しよう!
粘土を持って外に出掛けるのだ!」

ひょうきん君
「粘土、捏ねて~捏ねて~」


彼等の発想がピュアなんで、こっちもつられて笑っちゃうんですよね

彼等は軽度なので、かなり普通高校生に近いとこもある
だから、もうすぐ卒業と就職が待っているんですが
そこに向けての現実的な不安も抱いていることを、ちょっと会話の中に覗かせたりもするので
「頑張って」といって抱きしめたくなる

初め教室に入った時、僕の事を「だれ?」と訊ねた男の子がいて

今日は就職の面接でコンサートを見れなかったようで
僕が自分の正体を説明した後に改めて挨拶して
それから彼は、コンサートを見れなかった事を僕に謝りました
真摯な目付きで謝るんです

何と言って返したら良いか一瞬迷ったんですが
「気にしないでね」と答えました

でも彼は何か気にするような目付きをずっとしてた
けど、それは彼の性質なんだと直にわかってきました

オヤジと呼ばれている大柄な男の子がいて
その子の事をひょうきん君が根も葉もない事を言ってからかった
「1階の洗面所で石鹸で手を洗いながらオヤジが下ネタ言ってた げへへへへ」

オヤジは目玉を左右にクリクリ動かしながら
身体に似合わない小さな声で
「言ってねぇ..」と一言だけ反論した

その他にも
「私は器楽クラブに入っていて、主にギターを弾いています」と伝えてくれた女の子

「私は残念ながらギターを弾いた事は無いんですが、ピアノを10歳の時から習ってます」
と伝えてくれた女の子


皆、思いついた事を、ピュアな感情の消えてしまわぬうちに喋りかけてくれる
そのことが妙に愉快に感じ、そして彼等を愛おしく思ってしまうのだ

昼食の時間が終わり、皆にサヨナラして楽器片付けに体育館に戻ったら
音響担当の久保さんが居た

「生徒達と何話しました?」と僕が訊くと久保さん
「質問コーナーが始まって、いったいステージの横であなたは何をしていたんだ?って訊かれた」
と笑ってました
気になってたんですね
音響だから目立った動きも無いわけだし


パーカツのハーヤンが戻って来たから、何話したか訊いたら
もっぱらマイケルジャクソンの話で盛り上がったそうだ

ベースのフトちゃんは気付いたら体育館の端っこで
女子生徒と二人でバスケをやってました
なんだか青春の初恋の匂いがした


木村さんも勿論、ステージから沢山沢山呼びかけていた



皆が、思い思いに彼等と触れ合えた
そんな気がした







またどっかで会えたらいいな

もしかしたら憶えてないかもしれないけど
でもいいんだ

今日、そう思えた事で僕は十分嬉しいから





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入間 豊岡地区9校 PTA講座

2009-11-26 | 過去のライブ後記


23日のラブヒゲに引き続き
連日、タカシさんと演奏させていただいきました

今まで何度も演奏に呼んでくださった入間市での
豊岡地区の学校9校のPTAの方達に対するレクチャー的なミニコンサートでした

7~8曲やったんですが
タカシさんとデュオで、こんなに曲数やったの初めてだったかも
なんか...
僕だけの演奏はシットリしがちですが
タカシさんの歌の幅があるので
演奏のスケールが大きくなってゆく
これって、その場に人の心の暖かさが広がってくような
そんな嬉しい感覚なんです


そして今回は、演奏以外にも音楽にまつわる質問コーナーが設けられていて
タカシさんだけではなく、僕も質問される、ということを事前に連絡いただいてたので
現場で自分がシャバダバにならぬよう一応答えを考えて行ったのです

音楽だけがメインになるコンサートでは無いことから
いつもとは違った角度から見詰め直す良いきっかけになりました
実際に本番では時間が押し、少ししか質問されなかったのですが
文字にすると自分はこういうふうに考えてるのか、と
改めて再認識するところもありました

ちょっとメモで残しておきます


【音楽】
人間が作ったものではないもの
自然音(風、葉音、波など、そういったものに限らず、人が偶発的にたてる音なども含め)
作為的に作ったものではない音が「そもそも持っている心地良さ」の元に遊ばせてもらっている行為

【ギター】
言葉以外のもう一つの伝達方法、道具
時には言葉より何倍も雄弁に語る事が出来る力を持っている
これが無く、ただ言葉だけで伝えて日々を生きていたとしたら
言葉では表現し切れない想いが多過ぎて
きっと自分は孤独に陥ってしまうだろう

【イメハ】
そんな自分にとって「もう一つの言葉」であるギター
このギターという楽器3台で、ハワイのスラッキーチューニングを用いて
アンサンブルするユニットに参加していた(現在休止)
これは言い換えれば、3人で、ギターという「もう一つの言葉で対話する」
という行為です
このユニットでの活動は、その面白さと難しさをとても感じさせてくれました
聴き手と語り手のバランスをセンス良くとらなければ
指揮者が居ないわけなので、滅茶苦茶になってしまう
朝まで生テレビの皆でガヤガヤ言い合ってる場面のように不快な音場になってしまう
この対話感覚を、日常の人間関係に無意識に当てはめて図っている自分がいるようでもあります

【エレキ、ガット、その他の演奏楽器】
マンドリン等の特殊な楽器を除いては、エレキもアコギも
基本的に同じチューニングを用いますが
しかしそれらはまるで違う伝達道具
例えば「言語」という括りに入るが
日本語、英語、フランス語、ドイツ語などなど
文法や名詞の由来など、どこかに共通点があるのかもしれないけれど
それら実際に日常的に使おうとしたら、それぞれをちゃんと習得しなければとても使えない
そういうことと同じ
因みに僕にとっての母国語にあたるものはガットギターです
これは、僕がまだ物心つくかつかないかの頃に、父が趣味で弾き、聴かせていたようで
その摺り込みが、子守唄のように僕の深い部分に残り
心地良い音の方向へ、僕を誘導してくれている気がします

【子供を持って】
子供はDNAの情報によって、生物としてベストだと思われる道選びを勝手にしながら成長してゆく
一見、親の目から見て、間違っているように見える事も
未来へ生命の糸をつなぐ可能性としては無駄なことは無いだろう
だから自分1世代の情報だけで、子供にとってのメリット、デメリットは推し量れない
こんなような発見を、日々、子供は感じさせてくれます
短絡的な表現ではあるが
「結局、子供に対し親は大した事は何も出来ない」なんて思うんです

悠久の時間の中で生物としてベターだと思われる積み重ねをしてきたDNA情報が
この現代という時空で、まだこれから先、未知の環境に対し万能というわけではない
その誤差が起きぬよう、少しだけ手伝うのが
今生に一世代だけ早く生れ出た「親」の役割
「親の知恵」なのではないか、なんて思う

こういった、自分の力、存在が、何ほどのものか、と思い当たるとき
謙虚が生まれ、感謝が育ち、自分の演奏の肥やしとなってくれる

【地域で】
人間一世代の情報量では、子供一人育てるのも大変であるから
人がより良く生きてゆくためには
何世代にも渡って受け継がれた良質の情報が必要だと思う
それは一言で言うなら「知恵」と呼ばれるもので
ネイティブアメリカンの価値観の一端に垣間見れるように
「真」の元に長く生きた人が本当の知恵を持ち、そこに統制の力が宿り
若い血気盛んな間違いも諭す力を持つ

子供に無理強いをせず、また
親が心から尊敬してる人(長老や師匠のような)に頭を下げる
そういう行為、その人との関係性を子供に見せて育てる、ということは
畏怖と謙虚さを子供の心に育てる事になり
こういったことが、イジメの問題や青少年犯罪の病巣の核に迫る事なのではないだろうか

近所で防犯の声なんかを掛け合うだけが地域的な交わりとはいえない
地域での交流の中に、良い意味での「」や「大家族」の雛形を当てはめて
縦横関係の尊厳を、日常の中で扱いながら関わり生きる
大袈裟な自治団体を作ったりするという意味ではなく
そういう尊厳のようなものが日常の近所付き合いやPTAなんかの中で
フッとが感じられれば、それで十分なんじゃないか、なんて思う、、が
実際にそういう豊かな関係性を地域の中に浸透させてゆくのは
心或る賢者が先導しないと、かなり難しいのかもしれない

【出会い】【人と】
人との出会いを大切にしながら良い関わりというものを育てて
その中で「自分らしく生きる」ということをシェアし合ってゆくことが素敵な大切なことだと思う







これら全て
決して大袈裟な所作を指していうことではなく
個人の心の中にボンヤリ暖かく宿る
そんなくらいの灯火で十分







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一日限りの営業 ラブヒゲ平塚店

2009-11-26 | 過去のライブ後記


あれは4年前...

かなり強引なプロデューサーR子さんに
かなり強引に声をかけられ
かなり強引な企画のミュージックショーに参加させていただいた

「セリフみたいなものがあるけど、ほんのちょっとだから」
といわれ、幕を開けてみたらちょっとどこではなかった

僕的には、かなり破れかぶれでスタートしたこの「ラブソングはヒゲソリのあとで」

この4年間、ラブヒゲの時期がやってくると
気付くと演奏よりセリフの練習をしている自分がずっといた
「何やってんだろう...自分...」
何度もそう思ったけど
素晴らしい出演者さんに恵まれ、終わった後の手応え、感触を反芻しいしい徐々に
「音だけが音楽じゃない」ってことに気付かされて
最後には生きてる事全てが音楽なんだってことに、ついに気付かされて
人前に立つということの視野を広げさせていただいた
今となっては掛け替えのない場所


そのラブヒゲのパート1、焼き直し

名画「ディアハンター」のテーマになったギタークラシック曲「カバティーナ」で舞台は始まるのですが

優雅に聴こえて実際はそうとう難しいこの曲を
小芝居を挟みながら演奏しなきゃならないなんて...
当初、これは拷問だと思った

けど、やっぱり人って、苦手な事もやり続けるうちに慣れて平気になってくんですね


今回、久しぶりに懐かしいパート1をやって
4年前より遥かにしっかり演奏できた気がします

や~っとミュージシャンである立ち位置に戻れた、っていうか...


そうなってきたら、もうこっちのもん^^

小芝居、アドリブ、(下手だから披露したくない)コーラスや、
(子供の頃、赤面症だったんだから絶対に恥ずかしい)パフォーマンスなんかも
もう、そういうの全部、大丈夫になって
ステージが楽しくてしかたないんです


このパート1、今回、再興したんで
これをもって全国ツアーに出掛けたいなぁ
貧乏ツアーでいいから

笑いと涙と音楽を道連れにして
いろんな人達の住む街へ行ってみたいんです



どうか実現しますように






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自分だけの力で学習する大切な時間

2009-11-23 | 竹斎先生



普段、僕の部屋に置いてあるこの電気温風機を
今日は寒かったので、食事時にDKに持って来た

先生は新しいものは何でも興味があるところにもってきて
電源を入れたらまず「ピーッ」と音がして(給水ランプ)がチカチカ点灯したので
あっという間にこの電気温風機にハイハイして接近した




石油ストーブや電熱線のストーブとかだったら、さすがに乳児が居る部屋に持って来ないが
これは吹き出し口がプラスチックだし、触れてすぐ大火傷を追うような熱さではないので
危険そうならすぐ引き離すとか、そういう心構えをこちらでしながら
先生を観察しながら、ちょっと好きなようにさせておいた

それに、以前先生は
熱いものが入った食器に手を伸ばし触れて(火傷はしなかったが)
あっ!という感じに、自分で手をはねのけたことがある
彼の中には「熱い」という記憶が、一度摺り込まれているはずなのだ



20センチほどのとこまで近寄り、止まってこちらを見上げたので

「どうするの?触ってみるの?」と声をかける

先生はストーブの方に一歩近づき
吹き出し口からは熱風が出てることを感じている

「熱いのが出てるだろ? 触りたいかい? 好きにして良いよ」

先生は10秒ほど考えた後、引き返そうとしたが
すぐまたストーブの方に向き直った

(やっぱり、一度は触ってみるのかな...)

またじっと考えて、こちらを見上げて、ストーブをまた見て
後ろを振り返ったり、そんなことをかれこれ3分くらいやって

そして最後に僕の膝に手を伸ばし、つかまり立ちした時にはもう
彼はストーブへの執着を引きずってはいなかった



これを、例えば
ストーブの方へハイハイし出した途端
「あぶない!」と言って乳児を捕まえて抱き上げちゃうとか
サッとストーブを片付けちゃうとか
そういうことをすると、乳児はずっと引き離された対象物であるストーブを
名残惜しそうに目で追い
虫の居所が悪い時にはそれがきっかけとなって激泣きになったりする


8ヶ月でも
自分に必用な物と不必要なものを
自分で納得して選択したいのだ


一つ前の記事に書いたのだが
このところ仕事が立て込み(それは勿論ありがたいことなのですが)
先生とゆっくり過ごす時間が無くなっていた

すると先生は、僕に対し反応が薄くなり
いくら笑いかけたりしても無関心ぽく振る舞い
軽くストライキをしていたように見受けられる

それが、今日のこのストーブを
僕の見ている環境の中で
彼に好きにさせたことをきっかけに
僕と先生の関係は円滑に戻ったのだ

大袈裟な表現をしているのではなく
本当に円滑に戻ったのだ


赤ちゃんは全てわかっている、と聞くけど
こういうことに遭遇する度に
本当だな、と思わされる




危険から我が子を守ることと
自らの力で学ぶ環境を奪わないことは
背中合わせ紙一重だが
僕はどうしても後者を重んじたくなる

それは、この僕が子供の頃から
どれだけの学ぶタイミングを
「危険」という名目で、大人達から取り上げられたか
肌触りの悪い記憶や感触が
嫌というほど自分の中に残っているからだと思うのだ














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小さなラッパの音

2009-11-22 | 竹斎先生



もし、キミが

紙の帽子をかぶり、新しいラッパを持って
森の中に散歩に出かけた時





大きなライオンに出逢っても



水浴びしてる2匹の小象に出逢っても



ジャムを舐めながらピーナッツを数えてるクマに出逢っても



子供に飛び方を教えてるカンガルーに出逢っても



何も喋らない年寄りのコウノトリに出逢っても



遊び好きな小猿に出逢っても



恐がりのウサギに出逢っても




みんながラッパの音に合わせて後ろを付いて来ても




みんなと森の中のテーブルで食事をしても



みんなでハンカチ落としをしても



みんなでロンドン橋落ちたをやっても



みんなでかくれんぼをして



そして目を開けた時、そこに誰も居なくなってたとしても







キミが見たことは
全部、本当にあったことなんだ





たとえそれがキミにしか見えないものでも












>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>










ここのところ、先生と一緒に過ごす時間があまりない



そうすると、すぐに
先生の心の中が見えづらくなる



それは、先生が短期間で成長しているからだ、と思っていたのだが
そうでもないようにも思えて来た



先生は常に、パパやママと遊びたがっている
というか...いつも誰かと対話を持とうとしている



その信号を、ずっと健気に送り続けている



仕事という理由で、その信号を数日ほど軽んじると
先生は、親との対話を軽く諦め、軽く心を閉ざす



   ↑
  (鼻糞爆弾)
そしてこちらから投げかける信号を無視して
自分の心の内を見せることを拒むようになる


そこにこちらが気付いて「ごめんね」という思いを持って接すると
少しの時間で先生はまた心を開いてくれる


こういう、先生との距離が何かの理由で離れてしまって
気付かぬまま月日が流れ
先生が森の中で見たものを、いつしか信じられない自分になっていたとしたら
こんなに寂しいことはない、と思う
















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HAKUJU HALL

2009-11-21 | 過去のライブ後記

四谷の方面から新宿南口を抜けて、西参道のとこを左折すると
代々木公園が左側に出てくる

そこの街路樹の銀杏が綺麗な黄色になっていて
どうしてなんだろう、葉が黄色になってるものと緑のままのものがあり
走りながら見ると、午前中の光を浴びたそれらが重なり合って出来たグラデーションが
とても美しく見えた





今日は、中川晃教くんのHAKUJU HALL、2日目


晃教君とのお付き合いは、
たしか彼が今、27歳って言ってたような気がするので...

僕が初めて彼に遭遇したのは、彼が17の時だったと思うので
もう10年も経っちゃったんだなぁ...と感慨深いものがあります

でもまたこうして声をかけていただき
一緒に奏でることが出来て幸せだな、と心から思っています


今回も寿命が縮まるような、なにが飛び出すかわからない
晃教君ワールドが展開されましたが
これも緊張するけど、でも気付くとちょっと病み付きっぽくもなってる自分もいます

何か終わってみると楽しかった、、、というような
何だったんだろう...あの異常なテンションは...みたいな

今もこれ書きながら
汗だくで即興コール&レスポを『何十分にも渡って』やっていた晃教君の横顔が思い出されて
可笑しいやらグッと来るやら、、です

12/26に、もう1回、演れるのを楽しみにしてます



今回の一連の写真です




(今日のサウンドチェック晃教君 盗撮)



(今日@楽屋、Macで音楽中?巧君 盗撮)




(こちらは18日のリハのスタジオ、こんな広いとこで...)

(こんな端っこでこじんまりやってました)







THE  たとぅー   タクミくん


タクタクの愛器


「ばでん」?ていうらしい
(べぃどぅぇん、ではありません)


そしてこの可愛いマイクでリハを録ってました

タクタクは、いつもは、激しくヘッドバンキングしながらGuitarを弾いているそうです
コアなロッカーなのにいつもニコニコしてるんです
初めて一緒にやったけど、とてもイイ奴でした^^

また一緒にやろうね タクタク
(注、タクタクという呼び方を勝手に僕の中でしている
本人にはまだそう呼んでいないとこがミソ)

(何がミソか?って、
それは僕が人見知りでシャイだから、
僕の独自のワールド、独り遊びなのだということです)



こっちは僕の愛器
中1の時、初めて買ったギターを、僕はまだ使っているんです
モーリスの定価25000円のやつを手直しして
これが一番しっくりくるんで


こっちはスペインのサンチャゴマリンという工房のガット
表板が杉材


...ふだん楽器のことを殆ど書かないのですが...
もう一人ギタリストが居ると、つい書きたくなる...のは何なんでしょうか...






あともう一つ

今回、晃教君のファンの方から竹斎先生にプレゼントを頂きました
ホントに嬉しかったです
どうもありがとうございました




ほら!先生
色んなものいっぱい頂いたんだよ
先生からも、ちゃんと御礼言うんだよ


「あっ!ホントだ...(by竹斎)」


「パパ、頂いたもので遊んでいい?(by竹斎)」


いや...
だから先生...ちゃんと御礼を言ってって言ってんだけど...



というわけで
パジャマを着て、オモチャと本をソファーの上に贅沢に広げてみたら
それはもう...




長袴ですか?先生...


オモチャの国に迷い込んだかのように


手当たり次第に


オモチャや本をつかんで


大興奮でありました


アンパンマン、ガブッ


御礼どころか遊びの国で忘我の境地でした




今は、遊んで遊んで
貰って貰って
そして
いつか先生も大人になった時に
何か素敵なことをして
こういうことのご恩返しをするんだよ









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8ヶ月

2009-11-19 | 竹斎先生
ついこないだ、生後7ヶ月の記事を書いた気がするのに
気付いたらもう8ヶ月目に入ってしまった

昨日、(インフルとかではないんですが)先生をちょっと小児科に連れて行った時
病院に来ていた、まだ幼稚園にも行ってないくらいの小さな女の子が
先生の方を見てニコニコしながら「小っちゃい赤ちゃん可愛い」と言いました

その子だってまだまだ小さいのに..


「赤ちゃん」て呼ばれる時期は、あっという間に終わってしまうんだなぁ、と
つくづく思った


8ヶ月に入って、先生は何やらしきりにムニャムニャと
お喋りのような声を出し始めていて
早く喋れるようになってほしいな、と思いながら
ずっと、喋らない歳のまま
時が止まっていて欲しい、とも思うのです









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3P

2009-11-17 | 過去の制作日記


ここんとこ、 若人達とリハしてました









若人達よ
目力、入れ過ぎとちゃうんかい?^^







朝10時から21時まで、ほぼ弾きっぱなし
リハ終わる頃には指先が凹んだまま戻らなくなってました

(もう一人のGt、鮫島巧くんは扁桃腺が腫れて知恵熱が出たのであった)


かくもハードなリハを経て
今月20、21  HAKUJU HALLでの本番
いかがあいなりますやら、お楽しみに




そして帰宅したら、やっぱり父はこの人と時を忘れて遊ぶのでありました




ただいまっ



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