Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

何度も何度も

2015-02-09 | 記憶の風景



練習に疲れたところで仰向けに横になって
オラウータンみたいに腕を伸ばして
ストーブの前に手の平をかざしてよく温めて
それを温湿布みたいに首筋に当てる







温かさで練習による緊張がいい感じに解れながら
うっすら気が遠くなる

そのまま寝落ちしないようにキープして漂っていると突然
「何回も何回もやってると」

頭の中の誰かが言った



誰の声だか全く聞き覚えが無い


誰かの命令口調でもなく
自分の自問自答口調でもない

1度だけ聞こえた



果たしてこれは自分の記憶のどの引き出しから出たものか…









何回もやってるとどうなるのか…


そもそも何を何回もやってるのか


というか
何の目的で聞こえたのか...





記憶の淵から暗い穴をしばらく覗いていたが
やはり声の主はもう何処にも見当たらなかった
















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トンネル

2010-07-16 | 記憶の風景





今日、それは1年ぶりに僕の前に現れた




そう

それは真夏の強い陽射しの中、僕の前に現れる...








庭の燈籠の裏の石の裏側にその入り口はある


隣家の玄関先の小さな植え込みの中にもその入り口はある


近所の神社の本堂の裏側の
ジメッとした日陰の端っこの方にも入り口はある


誰も友達が居ない団地の屋上の水の貯蔵タンクの横が入り口になってる





真夏の昼下がりに
日射病にならないように子供達が昼寝をする

その時間帯にだけ現れる...


「何処か」に繋がってる時空トンネルの入り口




記憶に刻み込まれる風景と一緒に
その時々、刻み込まれてきたから
だから、幾つもある



僕はそこからゆっくり入ってゆく

キミに逢えるかもしれないから





降り積もる雪に音が吸収された静けさと違う

交通ごと停止した正月の静けさとも違う



真夏日の昼下がり
人の気配だけが無くなる...



子供を起こさぬよう

気配を消して

愛のもとに




記憶はかつて
愛によって刻まれた

それが正方向に働いたものでも負の方向に働いたものでも...






そして
時々現れるこの入り口は
もう一度
その場所に行けるパスポート







そこに行って
もう一度「問う」ための



















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夢の続編の序章

2010-06-28 | 記憶の風景



「何度も同じ夢を見る」ということがある



夢はいつも同じあたりを繰り返すばかりでなかなか続編に発展しない


この夢を見るようになったのは大人になってから
しかもだいぶ歳がいってからだが
それでももう10回以上繰り返し見ている

現実でいつ行ったのかよくわからない「山」が夢に出てくる

その山に辿り着く手前に必ず通る経路がある...






>>>>>>>>>>






実家から南へ
「国鉄(JRではない)」に乗って何駅か行くと
神奈川との境に多摩川の下流が流れている
その河口に私鉄が乗り継ぐ駅があって、やけに栄えている

都営や東急なんかのバスが、何系統も乗り込んで来てるターミナル的な街で
必ずいつも、乾燥していて埃っぽい感じに晴れている


街には沢山の人間がいるし大通りを車もかなり走っている
けれど全く「音」が無い
そして
車や街は...どこか昭和の気配がする

そのやけに白っぽくて眩しい風景は露出オーバーの写真のような..




だいぶ繁華街を抜けた頃、高速道路に当たる
2重に重なって高いところを走る高速道路の下を
暗渠になった溝川が流れ
その辺りに生えている背の高い草の中を
溝側が本流に流れ込む河口まで歩いて出る

密集した草の間を歩いているのに何の臭いもしない
まるで街全体がドライフードのよう
そしてやはり音は無い

本流はきっと多摩川の河口付近で
川岸にはサイクリングコースのようなものがあり
そこからは河口の方へと歩く...のか...自転車に乗って行くのか...


サイクリングコースを進むと
脈絡無くすぐに海へ出る

浜を右手に見ると
沖に「生まれたばかりの波」が見える

それは北斎の画のような形状をしている


浜と浜の間は岩場になるから
視界からは一端海が消え、また現れた時には別の浜になっている

さっきは人の居ない海水浴場だったのに
もう漁港になっていたりする

そのうちまもなく人気の無いところまで来る

そのあたりの誰も居ない浜に降り立ち
岩場を歩くうち、知らぬ間に小高いところに上ってしまい
自然に出来た小さなトンネルの中で青紫に発光する貝殻を見付ける

この浜で自分が立ち往生してるうち
この夢は終わることがよくある

しかしもう少し先に進むこともある

先に進むときは小さな宿場町に出る


ずっと浜沿いに走って来たサイクリングコースが
ある時ほんの少し内陸に入り込んだところにその宿場はある

気が付くと海を背にしてすぐ、急勾配で山になっている

その急勾配に密集して幾荘ものホテルが建っている
古くからある風情の..
あまり大きくないけど...でも5~6階はあるくらいの
ちょうど熱海かなんかにある昭和的な建築のホテル

ホテルの間の急勾配を抜けて上ると
盆のような小さなスペースが出てくる
それがケーブルカーの駅前のロータリーになっている

(まだ見下ろせばすぐそこに海が見えるのだから
そもそもこのケーブルカーはいったい「何処」から登ってくるのだろうか...
目覚めている今思えば、地の底から登って来たとしか思えないが
夢の中ではそんなことは気にも止めない)


駅前ロータリーはタクシーとバスが1台折り返せるだけの小さなスペースで
周辺に僅か数軒の土産物屋がある
(ペナントとか、小さなコケシの付いた耳かきなんかが置いてある)

このロータリーに自分が立ち、上を見上げると
この「山」の頂は、まだまだ上があることがわかる
密集した杉の林が急勾配を埋めている



さっきの小さな浜で、青紫に光る貝殻を見詰めながら終わるときと
この宿場で終わる時と
この後さらに海をつたってポルトガルとかアマゾンの方へ行くときもある

ポルトガルやアマゾンに行くときはもう話しは滅茶苦茶になる

実体験が無いためだろう..
ここから先は「世界地図」の上をカヌーに乗って旅して行くことになる

想像出来るものだけは実物のようになって登場する
それ以外は「でっかい世界地図」の上をカヌーに乗って漕いで行くのだ

でっかい世界地図には緯度経度のラインも引かれてあるから
自分が今、赤道に添って進んでいることなんかもわかるようになっている

急にナイアガラのような大きな滝から危うく落ちそうになることもある
なんだか狭くてやけに入り組んだ運河を進むと急にインドに出ることもある

...設定が滅茶苦茶なのだ..



この3パターン以外の展開に発展したことはなく
このパターンの中で夢は何度も繰り返されて来た


それが何年ぶりにこのストーリーに続編が出来た


全く違うルートからこの山に登ってゆく

ケーブルカーに乗ったのでもなく
海側から杉林を抜けて登山したのでもなく
まったく反対の街からタクシーとバスを乗り継いでこの山に登ったのだ

ケーブルカーとは反対側の、山の麓の街は山梨あたりで
この山がずいぶん大きいものだったのだと夢の中で知る








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背反性

2010-05-03 | 記憶の風景

コンサート後にいただいたアンケートを読む
そしてその中で考察をしてみる


やはり音楽などの芸術がいたって私的感覚の中で処理されているか
ということを感じる


勿論、アンケート全体を通してある程度の一貫性はある

それはきっと、こちら側の提示した
あるいは、はっきりとした提示までしなかったが
「臭わせた」ものに対して
オーディエンスが反応した結果だとみることも出来る

しかし、全く真逆の意見というものも生まれてくる




その真逆の価値観を持った人間同士が
一つの作品に引き寄せられて
一つの場所に集まってくることに
ちょっとした不思議のようなものを感じるが

しかし「一つの作品」の中には
実は複数のメッセージが織り込まれている

その各メッセージに呼応して
各メッセージを信条とする人達が集まってくれている
ということなのだ

そのメッセージは決して強引な結論を押しつけないように注意しながら提示され
オーディエンス達の様々な価値観へハマって行く

そのどれもがハマらなかった人は
次にはこの場所にはやってこなくなる


作り手は、不特定多数のパターンに届くような
なるだけ多くの力を持つ、理にかなった条理を
作品に練り込もうとする


この多面性、多様性を持てば持つほど
指示される力が増すか、というとそうではない

器用貧乏、八報美人的作品となって
メッセージの輪郭がボヤケてしまう


ではこの多面性、背反性に対して
作り手がどういう心構えでいれば良いか


それは、それらの多面性が統合される深層にまで精神性を掘り下げ
そこでは、命の営みの当たり前の姿として
背反性が成り立っているフィールドに立つことだと思うのだ


その場所は、論理性を超えた観念的な世界だし
いってみれば、動物的な直感でしか渡り歩いて行けない場所なのだ



だから僕は、表層に於いてこう思う

「僕が『心から良い』と感じたものをただ信じてれば良い」と



そして中層でこう思う

「心から感じられることに嘘が混じらぬように、普段からよく訓練しておこう」と



最後に深層でこう思う

「この世界における一人ひとりの人間存在は厳しく孤独であるけれど
その記憶の原型においては私たちはひとつにつながっているのだ(海辺のカフカより)」と














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手を離さないで 

2010-04-29 | 記憶の風景



悲しまないで



そしてこの手を離さないで





かつて幼い頃

きっと誰の中にもこう思った瞬間がある





そしてそれはいつのまにかずっとずっと奥の方に追いやられ
忘れ去られたように眠っている


いや...



眠っているのではなく

無意識に押さえつけられて固まっているのだ






きっと今、僕から出てくる涙は

その固まっていたものが化学反応を起こして溶け出している証




そして自分が悲しいわけでもないのに涙が出るのは

貴方の中の固いものも溶け出していることを感じられるから








こうして僕の心はようやく安心を得る




これでやっと

誰も怒らない


だから

誰も傷付かない









お日様に向かって微笑みながら

僕の中の脅えた心がやっと長閑な欠伸をした







戦争は人の心の中に生まれる


だから僕が長閑を手に入れられたなら

今度はそれを皆に広げてゆこう




長閑を手に入れるだけでも大変なことだけど

諦めずにそれを広げてゆくのだ











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仲間

2010-02-12 | 記憶の風景



古い仲間に会った

1週間ほど前に
自分も出た二松学舎の馬頭琴コンサートに訪ねて来てくれたのだ



本番前に声を掛けられ
あ。。。。どこかでお会いしたことありますよね...と言いながら
グルグル頭の中で記憶をたどり
その人からの説明も受けながらすぐに思い出すことは出来た

思い出すと同時に
浦島太郎のような月日が、あっという間に20年ほど経っていたことにも気付いた





20年ほど前
「箱バン」という、飲み屋で毎日演奏する仕事をしていた頃
サポートやレコーディングの仕事なんかが入ると
箱バンには「トラ」と呼ばれる代理の奏者さんに
自分でギャランティをお支払いして入ってもらって
自分は外の仕事をしに行く、というシステムだった


訪ねてくれたのは、当時僕がトラをお願いしていたギタリストのSさんだった



同業者同士、同じ現場に入ることなんてまず無いから
僕は彼と一緒に演奏したことは、多分...無かったと思う

何度かご挨拶をしたくらいだったかと思う

でも挨拶...といったって...
自分が外仕事に行くのに頼んだトラのギタリストさんなわけだから
基本的には「会わない」はずなんだけど、どこで会ったのだろう...
どんな状況で会ったのだろう...
記憶が全く途切れているが
でもSさんの、人並みはずれて穏やかな風貌だけは記憶にしっかり焼き付いていた


穏やかで謙虚で、また非常にシャイな...

なんか
(こんな表現は失礼かもしれないけど)
生き馬の目を抜く都会のギュウギュウした人間関係やら時間の流れの中では
一番、損な役回りを背負ってしまいそうな静かな人...



今、何をやってるんですか?と、こちらから伺ってみると
某、有名な演歌の女性歌手さんの16人編成のバックバンドに在籍しているという

その歌手は一流の人だ

僕はその話しを聞いて、なんだか嬉しくなったのだが
Sさんを目の前にして上手く説明出来なかった


懐かしいだけではなく嬉しい想いも起こってくるのに、何を話して良いか咄嗟に浮かばない
結局大した時間話さず、片付けもあったし、名刺を貰って別れた

名刺を持たない僕は次の日
自分の住所やら電話、メールなんか一式を、彼から貰った名刺に記載されたメールアドレスに送った






箱バンという場所は給料も安く、演奏環境も決して良くはない
いってみれば下積み的な仕事なのだ

当時、その場所に入れ替わり立ち代わり入ってくるトラのミュージシャンの中には
そういう場所を全くの「踏み台」として捉えている人も居た
はなから軽んじていることが態度に出ているような

僕は、幸か不幸かギターを背負ったら
その場所が何処であっても何時であっても
お客さんが居ても居なくても妄信的に演奏してしまうので
自分が演奏しているその場所を(環境の悪い箱バンであっても)
そういうミュージシャンに汚された気がしたものだった


箱バン時代に出会ったミュージシャンの中で
Sさんは一切、そういった奢りを感じさせない人だった

そういう謙虚なミュージシャンが生き残っていたこと
一流の現場に携わっていたことが、なんだか嬉しかったのだ



自分の住所などと共に
訪ねてくれて懐かしくまた嬉しかったことなど簡単に記してメールを送った


Sさんからの返信はなかなか返って来なかったが
その返信が来ない時間の間に
彼のようなミュージシャン(芸術家)が何を考えているか
なんとなく感じられるような気がして僕は静かに待つことが出来た

この返信が1年後に返って来ても、突然10年後に返って来ても
特別不思議なことではないように感じられていた




そして昨日
返信をいただいた








僕にとって

人間には

大して話しもしてないのに
初めから信じられてしまうような人がいる




返信がすぐ返って来ない意味も

返って来た返信の中にある行間に込められた想いも

僕が勝手に信じていたものと食い違わない

やっぱり思っていた通りだった




それを、魂レベルの話としてするなら
今思い返してみれば、20年前に既に信じられていたのかもしれない








いただいた返信にまた返信をしたくなったが
僕は...
それをやめて、今こうしてここに書き留めている

Sさんは僕のブログを知っていると言ってたから
きっとこれを読むだろう

それを想像すると少し照れくさいものもあるが...
でも人間て、面と向かうと、もっと照れが膨らんで言葉が出て来なくなる


この再会が、どんなふうに嬉しかったのか
面と向かったら、しどろもどろになって言葉が出て来なくなって
きっと上手く伝わらないまま、この縁が終わってしまうだろう


そうなりたくないな...
そう思ってここに記すことにしたのだ




この記事を読んだ後
きっとSさんからは返信は無いだろう
(こんなふうに書かれちゃとても返しようがないですもんね)

けれど僕の中でこの縁は続いてゆきます




言葉にならないものが共有出来る相手と会い

久しぶりに言葉に出来ない部分で静かに会話出来た気がしたから






















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酸素

2009-12-19 | 記憶の風景


母の胸元に抱かれて向き合いながら寝ている


僕が小さい頃の記憶




それは暖かさが心地良く
眠っている母の鼻の穴を指で触っている

母が吐く息(二酸化炭素)が、僕の顔にかかるから
酸素が薄くなり少し呼吸しづらくなっている

母の息がかかるポイントから自分の顔を少しずらすと
新鮮な空気を吸うことが出来る




掛け布団の形を変形させて
母から吐き出される二酸化炭素の経路を遮断する

抱かれている暖かさを失わず
新鮮な酸素を取り入れる工夫をしていた...

あれは
いったい何歳くらいだったのだろう...



話し変わってウチの息子は相当寝相が悪く
大抵は畳に転がり出て寝てる

明け方ふと目が覚めると
今夜もゴロゴロ寝返りを打ちまくり掛け布団をはねのけている

ここのところさすがに寒いから、風邪引いちゃうなと思って
僕の布団に引き入れた

赤ちゃんの小さい身体はとても暖かくて
ぎゅぅ~っと抱きしめたくなるのだが
酸素が薄くなるとな...いけないよな...
なんて思って、ちょっと離れる    10センチくらい...

...あまり離れたくないし

15...センチ...くらい   せいぜい





早朝5時頃
暗い寝室の中で
今、僕に抱かれてる息子の寝息を聴きながら
自分が母に抱かれて眠っていた小さかった頃のことを思い出している





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ノスタルジー

2009-12-07 | 記憶の風景


築40年を越える古い団地の10階
その南側に面した台所

何年分かわからない風情の油汚れで黒くなった換気扇の羽が剥き出しになっている

僕がここに来た時から、何故なのか既に換気扇のカバーは無かった



10階は平地よりずいぶん吹く風が強いようで
風の強い日には、外壁に猛烈に突き当たった風が換気扇の隙間から台所の中へなだれ込むので
その圧力に押され、ブ~~~ンという音を立て、羽は猛スピードで逆回転する

風が穏やかな晴れた日なんかにも
外からの日差しをハタハタと羽で分断しながら
ゆっくり逆回転していることがある


8ヶ月半の息子はこの「羽の逆回転」に興味があるらしい


膝の上で離乳食を食べている息子が、急に身を乗り出し窓の方を覗き込む時
何かな?と振り返って見ると必ず羽はハタハタと逆回転している

音も無く、光を分断しながらゆっくり長閑に逆回転している

それを飽きる事も無くずっと眺めていたいらしい



息子がいつか一人り暮らしをし始る頃には
こんな古い換気扇が付いてる建物はほとんど無いだろう

この換気扇の記憶は
いずれ潜在意識の近くまで沈み込み
深い刷り込みとなって息子の中に残るのだ

そして「ノスタルジー」となって
枯渇に苦しむ時の彼にいくらかの潤いをくれる



元々は精神的な病として、その概念が確立されたというノスタルジー

サウダージと言った方が的確なのかもしれないが
僕にとってはずっと使って来たこの呼び名の方がしっくりくる



僕の膝から身を乗り出し
離乳食を食べさせづらい体勢で換気扇を見詰める息子の身体を引き戻すのを止めて
耳元で歌を歌った


彼の中に入り込み、いずれノスタルジーへと育ってゆくこの記憶が
少しでも明るい色彩を放つように願いながら











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嗅覚

2009-11-09 | 記憶の風景


7ヶ月半の息子の離乳食

本人がだいぶ満腹になって顔を背けがちなところを
あとちょっとで完食だからとグイッと抱きかかえて
気が散らないように茶碗の中を見せて
最後の数口を与えようと自分も茶碗を覗き込んだ時
柔らかいお粥の匂いに包まれて、一気に過去の記憶に飛んだ


自分の記憶の一番古いあたりの家族が過ごした部屋

母の腕の中で、自分がお粥のようなものを食べさせてもらっている感覚
その匂い

食べる速度を、自分なりに図っている感覚





次の一口までに「間」を置いているのは
抱かれている暖かさを感じている時間が心地良いから

そしてその心地良い感覚は、全ては相手には伝わっていないことを
乳児である自分が感じている

半分伝わり、残りの半分は親の観察と想像力によって補われているのだな、と
そう感じてる感覚



全ての自分の思うところの快適さが、以心伝心、相手にうまく伝われば
それはそれで良いのかもしれないが
伝わらない部分を、相手が想像し補ってくれる労力を愛と感じられる
そういう力を僕等は持っている


そうだった

もともと僕は
そういう感覚を持って
この世に生まれて来たのだった











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スタンドバイミー

2009-08-20 | 記憶の風景







もうすぐ夏が終わるな...
















昨日、夫婦そろって仕事だったので

僕の母に1泊してもらって息子をみててもらった


その年老いた母がさっき帰った



玄関で見送ったあとも
気を付けて帰ってね、と心で思う

その途端、郷愁に引きづり込まれた





夏は何故か僕は感傷的になる

秋よりもずっと












ウチの実家から歩いて5分

バス通りに出てすぐの、はす向かいに神社がある


親がお宮参りを、その神社にしてくれたってことで
僕はその神社の氏子なんだそうだ









小学生の頃、季節は必ず夏だったと思う
毎日のようにその神社で草野球をしていた

テニスラケットをバット代わりにしたもので
そのラケットは、ダイちゃんと呼ばれてた同級生が持って来てくれていた

彼は野球が上手なのに、下手な奴も打てるようにってラケット野球を考案したのだ

僕は球技は全然音痴だけど
ダイちゃんのおかげで野球が楽しく感じられ、下校後に毎日参加してた

太っていて走るのが一番遅いトンベ~っていうあだ名の同級生も
楽しそうに毎回、その野球に混じっていた
当時は気付かなかったが
それは明らかにダイちゃんのラケット野球が楽しかったからなのだ


4時半だったか5時だったかのベルが街のスピーカーから流れるまで
毎日たくさん汗をかいて、ヘタクソな野球をした




ダイちゃんはラケットの淵の細い部分でよくホームランを打った

淵で打たれたその打球は、もの凄い回転が付いて
楕円になって軋みながら神社の本堂の屋根まで飛んでいった

僕はそのホームランに憧れたものだった




ダイちゃんは僕等が高校のとき
バイク事故で頭を打って生死の境を彷徨った

その後、バスで偶然会ったことがあり
事故のことはもう大丈夫なのかと聞いたら
頭が痛いのが取れない、と苦い表情で言っていた

今は元気だろうか..



そんなことをボンヤリ想いながら草野球のことをまた考える





神社だから、手を洗う柄杓置き場があって、その近くに水道もあった


汗だくになった顔を水道の水でジャブジャブ洗うと
鼻の奥に汗と水が入って、ツ~ンとした

洗った顔は拭かず濡れたままいる
すると急に風が涼しく感じられてス~ッと汗が引いて行った



その感覚を今でも鮮明に思い出す

それら全てが心地良くて、ずっと遊んでいたかった

そしてたまに門限を過ぎて母に叱られた




こういう遊び場の中に
子供にとっての成長の宝物が、どれだけ詰まっているか大人は知らない

知らないけれど子供を心配し、心から愛してゆく

そのギャップがお互いを苦しめることもあるけど




会わなくなった友達

だけど忘れないで残っている、そこに流れていた優しさ

愛情の中から生まれた沢山の擦れ違い



僕の中の郷愁

スタンドバイミー






昨日、歌いに来てくれた忍くんの子「Hくん」を抱っこして髪の毛にチュってしたら
子供の汗の潮っぽい良い匂いがした

その匂いがまた、あっという間に僕を郷愁の中に連れてゆく


それが忘れられなくて、ウチに帰ってから息子の頭の匂いを嗅いだら同じ潮の匂いがした





草野球

友達

鼻の奥がツ~ンとする感覚

子供の頭の潮っぽい良い匂い


親に見放されたら生きていけないくらい小さかった頃
自分が叱られて逆らう事も知らず泣いたことや


記憶の中の風景も現実も一つに混ざって
僕の中のいろんな郷愁が夏の中で揺り起こされる



何故だか郷愁の全ては、夏の中の出来事だったように思えて来る







蝉が外で鳴いてる







妻と息子は昼寝をしている














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実家の庭

2009-06-24 | 記憶の風景

今も、じっと耳を澄ますと聞こえてくる

あの頃から繋がってる声





実家の槙の木

子供の頃、二階の窓くらいまでの高さのこの木を見上げ
この木を登って家の屋根の上に出たら、それはもう雲の上に出たも同じ
ジャックと豆の木のような見たことのない世界がありそうな気がしてた

今もまだその感覚の名残が僕の中にある




   
ピンクと水色の一輪ずつが織り姫と彦星のような風合いに残っていた

ぼくは水色の紫陽花が一番好き
そして花の位置は腰より下がいいな
その理由はきっと
遥か昔、確かあったはずの母方の実家の玄関横の紫陽花が
そんな感じだったのだと思う

きっとその場所が好きだから
その花が僕の中にすり込まれたのだ





前回来た時には無かったキュウリがツルを伸ばして実をつけていた
そのキュウリで作ったっていう酢の物を出してもらった

若い頃にはわからなかった幸せ





サルスベリ
幹がツルツルしてるから木登り上手な猿も滑っちゃうからサルスベリ

僕が小学生の頃、爺ちゃんか父がメインの幹を2メートル半くらいの高さのとこで切った
その切り口に何故か缶がかぶせてあって
何年もそのままだったのを、ある年の夏に
梯子をかけて登って、缶をとったら3匹のヤモリがいた

男子にとって爬虫類を見付けるってのは嬉しい

そういえばこの庭にはいろんな生き物がいた

10年以上居たヒキガエルは、ウチの「主」と呼ばれていたが
いつのまにか居なくなってしまった



この灯籠の下には僕と同じ年の池がある
僕が生まれた時に親が掘って作ったのだそうだ

この池にもいろんな生き物が入れ替わり住んでいた

オタマジャクシ、ヤゴ、ドジョウ、ザリガニ、金魚、
メダカ、クチボソ、タナゴ、(海で穫って来た)ベンケイガ二まで

かつて生きるのがイヤになった時、母が自分の墓穴にするのだと言った
今ではその墓で毎年、金魚が卵を産む

猫にやられて減ってしまったが、最初に10匹ほど買ったやつが
もう延べで100匹には増えた

猫にやられるから今は水槽に非難して、金魚達は今年も元気にいる


体長1.5センチほどのこいつは、息子と1日違いで生まれた子


そしてその親たち
親の中にも親子が存在する


 
金魚藻もブクブクやって日光に当てれば家でどんどん増えてく


そして柿がもう実をつけていた


オマケに柿の幹に、キノコが生えてた


田舎を持たない僕は、思い返せばこの庭の土に触れながら育って来たのだ




先日、今住んでる団地のエントランスの植え込みの中をまじまじと覗いてみたら
そこにはアリとダンゴムシが大工事現場を繰り広げていて
自分より大きな物を運んでたり押しのけてたり
それは、どんなオモチャより面白い
自分はこういうものに触れながら育ったってことを思い出していた





自然の景物に触れて生まれる感情は
自分の心のもう一つの形


誰にも気付かれない静かなトリップ










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「朱い木戸」

2009-03-05 | 記憶の風景
上から3番目の横棒を右に引くとその木戸は開く

生まれる前からあるその木戸の、かつての色は知らないが
何度も塗り直された様子の
今は落ちかけたペンキの風合いで朱色である

木戸の下の方は、数え切れない雨の日に跳ね返った泥が白く乾いて
まだら模様を呈しながら朱を半分隠している

その木戸を内側に開き向こう側に出ると、隣屋の玄関脇の敷地に出る
そこには井戸がある
深緑のペンキはほとんど剥げ、
黒い鉄の部分が錆びて何やらデコボコしながら剥き出ている

井戸の蛇口には、どこの家でもそうしているように
濾過用手ぬぐいがぶら下がっている

その手ぬぐいの濡れたところをチョンと指先で触れながら
指先に付いた僅かな水滴を、指を弾いて飛ばしながら
隣家の玄関横をすり抜けて外へ出る

土の匂いからアスファルトの反射へ意識が移行する
目を細めながら見上げる空は大抵夏の空である

我が家の塀づたいに歩く
塀ギリギリに顔を寄せて歩く
低空飛行したプロペラ機が機体を90度に傾けて
危うく地面に落ちる、そのほんの手前のスリルを味わいながら
手はだらしなく後ろに伸ばし、塀のざらざらした面を指先で触りながら

表側の道に出ると、もう一軒の小さな家の玄関脇に設けてある小さな植え込みの上にピョンと飛び乗り
なにかわからない低い木の枝に、股を引っかかれないように注意して歩く
中には僕を可愛がってくれるおじちゃんとおばちゃんが住んでるから安心している

そこから家の前の細く短い私道に移る
正面に我が家の玄関が見える
右側は優しいおじちゃんおばちゃんの家
左側はちょっと油断出来ない感じのおばちゃんが住んでる

僕はもちろん右側が好き

夏の夕方なんかには、相撲の音声が聞こえてくる
いつも線香のいい香りがする

我が家の引き戸の玄関を入ると、土間から玄関の間の高低差がやけにある
あれは...子供だったからそう感じたのだろうか...

そして古ぼけた足踏みオルガンが正面に置いてある
土間からは見えないオルガンの向かい側の壁には足踏みミシンがある

これらの物たちの上から、畳に絶対落ちないように伝って歩く
そこを通過する時、必ずそういう遊びをすることに決めている

それに飽きると右に廻り込み台所を覗き込む
暗く寒い台所だ

その端っこにコンクリート打ちっぱなしの水場がある
この地べたがぬるぬるしているから気持悪い

嫌いな場所に背を向け、家のまわりをぐるっと囲むような作りの狭い廊下を行く

途中、階段をタッタカタッタカタンと、
両手両足でリズムを取りながら途中まで上がってまた廊下へダイビングする
そのまま祖父母の部屋をチラッと覗いてまた庭に降りる

さっき出た時に開けたままの木戸は
ドロボウに気付かれること無く、夏の日差しの中、長閑に半開いている

枇杷の葉の間から、カラカラと溢れ落ちる光に目を細め
また朱の木戸をくぐるのだ






その木戸は、今も実家の庭にある

あるのだが
たまに庭に降り立ってみても
大人の僕の目にその木戸はもう見えない


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鉄棒

2009-02-24 | 記憶の風景


実家のある場所から裏道を通って
最寄りの駅まで出る途中に一つ小学校がある

多分、自分が幼稚園児より小さな頃
毎朝その小学校の校庭の隅にある鉄棒で遊んでいた

児童たちの登校時間の前
まだ誰も居ない校庭の隅で鉄棒を少しだけやっては家に帰る

それは、裏道から表通りに出たところのバス停から通勤する父を
母と一緒に毎朝見送りに行っていた
その帰り道の日課だった

なにか...その記憶の色は、憂色を帯びている



大人になってから
人の行動には必ず、その情動に向かう理由がある
と知るようになった

静かに記憶の中の自分の「視界の外」に想いをはせると見えてくる風景

父は働きに出る時、家族と離れるのが少し寂しかったのだ
「仕事なんか行きたくない」と出がけに冗談のように口にしたかもしれない
それで妻と子に見送ってもらいたかったのだ
母も父が出勤したあとの時間、父方の祖父母と生活することが不安なのだ
父がバスに乗って行ったあと、母はその不安を抱いたまま僕を鉄棒で遊ばせ
なるべくゆっくりと家に帰るつもりなのだ

鉄棒で遊びながら3歳くらいの僕は、後頭部で母の憂いも感じている
何かを恐れ、手放しに喜び遊んではいけない、と感じている..

「手放しに喜んではいけない」という感覚の積み重ねは
確実に僕の中に植え付けられてゆき
その後の僕を、控えめな言霊の大人へと育てていった

そこから生まれるストレスは、ギターとの縁を生み
爪弾く音の安らぎに逃避し埋没しようとしてゆく
が、その楽器を職業に選んだことは逆に
「人前に立つなら控えめではいけない」という商業的フィールにせっつかれることになる

人の憂いを敏感に察し、自分の身の置き所を控えながら生きてきた僕は
段々と押し出す強さを身に付けると同時に乱暴者になっていった

乱暴者は涙を流しながら怒号し、憂いを発する人間を軽視し
一見、自由に見えるものと引き換えに優しさを見失い、一時の糧を得る
そういった歪な物が僕の中に沢山ある

歪ゆえの葛藤がまた
音に美しい憂いをもたらす

人とは、人生とは、直視したら即、矛盾
そして葛藤...
途切れることのないメビウスの輪の中で
身が引きちぎれないようにするだけでいっぱいいっぱいじゃないか?


もうすぐ人の親になる

出来ることなら、子に、矛盾を押しつけたくない
と思うが
そんなことが出来る人間はいない、と、早くも観念した

矛盾を与え与えられながら一緒に学習してゆくしかないのだろう
あれだけ自分が脅えた「大人の憂い」を自分の子に背負わせることもしながら

諦めとともにそう思い当たった時
親から受けて「重荷」と感じてきた数々の事柄が
重荷でも何でもなくなって、ただ産み落としてもらったことを感謝する心だけが残った


早朝の小学校
校庭の端にある鉄棒
長い間、影帽子のようにまとわりついた僕の後ろ側にあった憂い
それら一連のものたちが長い年月を経て
今はやっと一枚の美しい絵になってきた






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「目眩と恋とギター」

2009-02-20 | 記憶の風景
いったい僕はコントローラーを、どこに落として来たんだろう...
そしてそれはいつだったんだろうか...

記憶をたどり、ずっと探してるんだけど誰か知りませんか?


「知ってるかも」と答えた女(ひと)達と
何度、恋愛に縺れ込んだか..
それももういい

自分で知るからいいんだ
晴れた日のベランダや公園で
雨の日の白い部屋の中で
気配の少ない夜の間に



誰に見せてもどうにもならない
だからって隠してもいない

そんな僕が「しっかり根を張って見えた」のはキミ
だから、恋にならない

そういう僕が「浮いて見えた」のはキミ
そう、だからキミとも恋にならない


堪え切れず、気付かぬうちに嘯いて荒れた頃
こぼれ落ちた無計画の何かが恋を生む

優しい眼差しで見てくれるだけで目眩はおさまる
その魔法が切れる前に別れた女(ひと)は今も元気だろうか...






コントローラーを無くした日から
瞼に走る閃光と伴に目眩は起こるようになった

それは一瞬の出来事として、いつも来る
予測回避など不可能としか思えない

そして数十分、長ければ数日、耳鳴りに似た余韻は残る


長い間、余韻の間は何も出来ない日が続いたが「ギターを弾くこと」は出来るようになった
いや
「その想いをギターに託すことだけが出来る」ようになった





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「靴」

2008-10-25 | 記憶の風景
小学低学年くらいからだったか
夏休みになると毎年、千葉の海に連れていってもらった

叔父の勤めていた会社の療養所があって
療養所といっても多分、普通の民宿と提携してたのではないかと思う

そこに何泊かしてくるのだが
ある年、そこの民宿の子と
何となく友達になった

自分と同じ年くらいで、無口な男の子だった

お互い何となく気兼ねしたような関係だったが
同じ年くらいの男子同士なので、浜辺なんかで一緒に遊ぶのは楽しかった

遊ぶといっても、子供だけの海は危険なわけだし
必ずウチの親がついていた

夕方になると、うじゃうじゃ出てくる弁慶蟹なんかを、バケツ一杯に穫ったりした


岩場に多く現れる弁慶蟹をさがして
浜辺を抜け、岩場づたいに蟹を捕獲しながら
隣の浜まで出たことがある

すると、砂浜に大きなクラゲが打ち上げられていた

直径20センチくらいあったような気がする

紫色の縦線が入った毒々しいやつで
そういうのに男子は目がない
「どうしても持って帰りたい」とバケツの中に入れて民宿まで帰った


僕は、すっかりクラゲに夢中になり
自分の物だと思い込みながら民宿に着くと
その子もクラゲを欲しがっていることが判明した

そこで子供同士の談判が行われていれば良かったのだが
自分が困惑しながら思案してる間に、親が介入した

確か
「私たちは明日、東京に帰るけど、キミはここの民宿にしばらく居るんだろうから
また、クラゲを捕れるだろう
だから、今回は譲ってくれないか?」というような

そして、クラゲは僕の物になった...



次の夏
また、その海へ行った

着いて
東京から履いて来た靴を下駄箱に置いて
そこで過ごすためのゴム草履に履き替え、さっそく浜に出た

少しの時間遊んで、民宿に戻った時
下駄箱に置いてあった自分の靴が無くなっていることに気付いた

浜から国道までの斜面を利用して建っていた民宿の玄関は
2階に当たる場所にあり
窓の外は遮るものがなく、ただ、はるか下に地面が見える
そこに、靴は落ちていた

それを発見した時
子供心に、サッと血の気が引いたのを憶えている

「あの子だ...
あの子が靴を落としたのだ...」

1年前に、大人の存在の前に屈し
傷ついていたのだ


その年、彼は、その民宿に居るはずなのだが
1度も姿を現さなかった

靴を探している時点で、民宿の人にも聞いたりしたから
「お客さんの靴を悪戯して落とした」と叱られたかもしれない


今年、78になる、ウチの父は
その時の経緯をハッキリ憶えていなかったが
僕は、ハッキリ憶えている


自分がクラゲを手に入れたことと引き換えに、その子に負い目を持ったこと

その子が受けた不条理の
行き場の無い思いが、靴を落とさせたこと

それを、よくわかっているのに
その子を庇えなかったこと


2年に渡り
僕は、その子に負い目を持った



そして
こういう記憶の中の自分が
今の自分に、明らかに繋がっている

もう逃げたくない

そう思う心の出発点の一つになっている
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