Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

「銀河鉄道の夜 1」

2009-01-05 | 「銀河鉄道の夜」絵本




「ジョバンニ!」



「ラッコの上着が来るよ!」



ザネリが、からかうように言うと、他の子供達も言いました
「ジョバンニ!ラッコの上着が来るよ!」

そう言われるたび、ジョバンニは、バッと胸が冷たくなり、
そこらじゅうキィーンと鳴るように思いました。



ラッコやアザラシをとる船に乗ったまま、ずっと帰ってこないジョバンニの
お父さんのことを、
遠くのさびしい海峡の町で、なにか悪いことをしたために
監獄に入っていると、みんなは噂するのでした。



「ザネリは、どうしてぼくが何にもしないのに、あんなことを言うんだろう
ぼくのお父さんは、悪くて監獄に入っているんじゃない。
お父さんが悪いことなんてする筈ないんだ。

それに去年の夏、帰ってきた時だって
腰を抜かすほど珍しいお土産を持って来てくれたんだ。



最初に見たときはビックリしたけれど、あの荷物を解いた時ったらどうだ。
鮭の皮でこさえた大きな靴だの、トナカイの角だの。
どんなにぼくは、喜んで跳ね上がって叫んだかしれない。
それを学校へ持って行ったら、みんなも大喜びだったし
先生まで「珍しい」と言って見たんだ。
それなのにザネリはあんまりだ。



…今夜町はケンタウルス祭で
夜の町の空気は澄み切って、まるで水のように、通りや店の中を流れていましたし、
街燈はみな、まっ青なもみの枝で包まれ、
電気会社の前の六本のプラタナスの木など、中に沢山の豆電燈がついて、
本当にそこらは人魚の都のように見えるのでした。



子供らは、みんな新しい洋服を着て、星めぐりの口笛を吹いたり
「ケンタウルス、露(つゆ)を降らせ。」と叫んで走ったり、
青い灯りを点した烏瓜(からすうり)を川へ流したりして、
楽しそうに遊んでいるのでした。

けれどもジョバンニは、独り深く首を垂れて、
そこらの賑やかさとはまるで違ったことを考へながら町外れの方へと
歩いて行くのでした。



お母さんは、本当に気の毒だ。
お父さんが帰ってこないことを毎日心配しながら働いて
とうとう病気になってしまった。
あの晩、お母さん倒れた時、ぼくは、必死で看病したけど
お母さんは力なく
「もう、いいよ」と言うだけで
ぼくはどんなに悲しかったかわからない。

今日届かなかった牛乳も、お母さんに飲ませるために
町まで取りに来たけど、それも売り切れてしまっていた。

あぁ、なんだかぼくはもう、空の遠くの方へ、たった一人で飛んで行ってしまいたい。

いつしかジョバンニは、町を外れ
丘のふもとに来ていました。

空に瞬く北大熊星の明かりに照らしだされて、頂上までの小さな道が、一筋、白く続いていました



ジョバンニは、露の降りた小道を、どんどん登って行きました。

道端の草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、
青く透かし出された葉っぱが、さっきみんなの持って行った烏瓜の灯りのようだと思いました。
 その真っ暗な、林の道を越えると、にわかにガランと空がひらけて、
南から北へ渡っている天の川が白々と見え、
また頂の、天気輪(てんきりん)の柱も見わけられたのでした。



頂上に着くとそこは、夢の中からでも香り出したというように
つりがね草か野菊かの花が、そこら一面に咲き、
鳥が一疋、丘の上を鳴き続けながら、低く飛んで行きました。

ジョバンニは、汗で火照った体を、冷たい草に投出し
じっと天の川を見ながら考えました。

(お母さん倒れてからぼくは、学校の前には新聞配達をして
学校が終わったあとも活版所で仕事をもらってる。
だから、もう誰もぼくと遊ばなくなってしまった…。
それどころか、みんなお父さんのことを悪く言う。
ぼくはもうみんなから離れて、どこまでもどこまでも遠くへ行ってしまいたい。

でもカムパネルラだけは決してぼくをからかったりしない。
もしカムパネルラが、ぼくといっしょに来てくれたら、どんなにいいだろう。
カムパネルラが、本当にぼくの友達になって、決して嘘をつかないなら、
ぼくは命をあげたっていい。)



遠く、町の方から汽車の音が聞こえました。
その小さな列車の窓は一列に小さく赤く見え、
その中では、みんな、
苹果(リンゴ)を剥いたり、笑ったり、楽しげにしているだろうと思うと、
もう何とも言えず悲しくなって、また眼を空に上げました。
琴星の青い光が、涙でにじみ出し
その光は三つにも四つにもわかれ
蕈(キノコ)のやうに脚が長くなって、ちらちら忙しく瞬いて見えました。

すると、どこか遠くの遠くのもやの中から、チェロのような轟々(ごうごう)とした声が聞こえて来ました。

(光というものは、一つのエネルギーだよ。)



気付くと、さっきまでの琴星の青い光の足は、三角標の形になって
鋼青(はがね)色の夜空のに、真っすぐに、すきっと立っていたのです。

(変じゃないか。光があんなチョコレートででも組みあげたような三角標になるなんて。)
 ジョバンニは思わず誰へともなしにそう叫びました。

(お菓子も三角標も、みんなエネルギーで出来ている。
だから規則さえそうならば、光がお菓子になることもあるのだ。
たゞおまえは、今までそんな規則のとこに居なかっただけだ。
ここらはまるで約束が違うからな。)

すると今度は、どこからともなく不思議な声で、
「銀河ステーション、銀河ステーション」と聞こえました。
おかしなことに、その声は、ジョバンニの知らない国の言葉なのに、
その意味はちゃんとわかるのでした。



…ふと気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、
ジョバンニの乗っている小さな列車が走り続けていたのでした。
ジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄色の電燈の並んだ車室に、
窓から外を見ながら座っていたのです。

そして、自分のすぐ前の席に、
濡れたようにまっ黒な上着を着た、背の高い子供が、
窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。

にわかにその子が頭を引っ込めて、こっちを見ました。

(あゝ、そうだ。カムパネルラだ。
ぼくはカムパネルラといっしょに旅をしていたのだ。)
ジョバンニが思った時、カムパネルラが言いました。



「ザネリはね、ずいぶん走ったけれども、追いつかなかった。」
 ジョバンニは、
(そうだ、ぼくたちは今、一緒に誘って出掛けたのだ。)と思いながら、
「次の停車場で下りて、ザネリを来るのを待っていようか。」と言いました。
「ザネリ、もう帰ったよ。お父さんが迎えにきたんだ。」
 そう言いながら、何故かカムパネルラは、少し顔色が青ざめて、
どこか苦しいというふうでした。
するとジョバンニも、なんだかどこかに、忘れ物をしたような
おかしな気持ちがして黙ってしまいました。



カムパネルラは、円い板のようになった地図を、
グルグル回しながら、ジッと見ていました。
それは、停車場や三角標や泉や森が、
青や橙(だいだい)や緑の美しい光で散りばめてある天の川全体の地図でした。
ジョバンニは何だかその地図をどこかで見たような気がして。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石で出来てるねえ。」
 ジョバンニが言いました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの?」
「あぁ、ぼくは銀河ステーションを通ったのだろうか…
…今、ぼくたちのいるとこって、ここだろう?」 
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
「そうだよ。
おや?あの河原は月夜だろうか。」



そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀色の空のすすきが、
もうまるで一面、風にさらさらさらさら、揺れ動いていて、
波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」
ジョバンニはカンパネルラと一緒なことが急に嬉しくなって、
足をことこと鳴らし、窓から顔を出して、
高く高く星めぐりの口笛を吹きました。



「ぼくたち、どこまで行くんだったろう。」ジョバンニは
窓の外のすすきを見ながら、カムパネルラに聞きました。
「どこまでも行くんだろう。」カムパネルラはぼんやり答えました。
「この汽車、石炭たいていないねえ。」
ジョバンニが窓から前の方を見ながら言いました。
「きっと、アルコールか電気なんだよ。」
 その時、あの懐かしいチェロの静かな声がしました。
「ここの汽車は、スティームや電気で動いていない。
ただ動くように決まっているから動いているのだ。」

「あの声、ぼく何遍もどこかで聞いた。」
「ぼくも、林の中や川で、何遍も聞いた。」



「…お母さんは、ぼくを許してくださるだろうか…」
 いきなり、カムパネルラが、思いつめたように言いました。
「ぼくはお母さんが、本当に幸せになるのなら、どんなことでもする。
けれども、いったいどんなことが、お母さんの一番の幸せなんだろう。」
カムパネルラは、なんだか、泣きだしたいのを、一生懸命堪えているようでした。
ジョバンニはビックリして言葉を詰まらせたまま
カンパネルラを見ました。
「誰だって、本当に良いことをしたら、一番幸せなんだ。
だから、お母さんは、ぼくを許して下さると思う。」
カムパネルラは、何か本当に決心しているように見えました。



「ハルレヤ!ハルレヤ!」
急に前後から声が起り、
振り返って見ると、いつの間に乗って来たのか
車内は大勢の旅人たちで、
みな、前方に見えて来た白鳥座の十字架に祈りを捧げているのでした。

聖書を胸にあてたり、
水晶の珠数(じゅず)をかけたり、
どの人も慎ましく指を組み合せて、一心に祈っているのでした。
思わず二人も真っすぐに立ちあがりました。
カムパネルラの頬(ほほ)は、まるで熟した苹果(りんご)のように
美しく輝いて見えました。
そして十字架が、だんだんうしろの方へ移ってゆくと
旅人たちは静かに席に戻り、
二人も胸いっぱいの悲しみに似た気持ちをいだいたまま
席につきました















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「銀河鉄道の夜 2」

2009-01-05 | 「銀河鉄道の夜」絵本



「ここへかけてもようございますか。」
 親切そうだけれど、がさがさした声が、二人の後ろで聞えました。
 それは、ボロボロの外套(がいとう)を着た
背中の曲がった赤髯の人でした。
「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶しました。
その人は、やけに気を使いながら、荷物をゆっくり網棚にのせました。
ジョバンニは、黙って正面の時計を見ていました
「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか。」
 赤髭の人が、少しおずおずしながら、二人に訊(き)きました。
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
「それはいい。この汽車は、じっさい、どこまでも行きますから。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラがたずねますと、
その人は、頬(ほほ)をぴくぴくしながら返事しました。

「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、サギをつかまえる商売でね。
サギ穫りってのは、雑作(ぞうさ)も無いこって。
サギというものは、みんな天の川の砂が凝縮して、
ボウッと出来るもんですからね。
そして始終川へ帰りますから、川原で待っていて、サギがみんな、脚(あし)をこういう風にして下りてくるとこを、ぴたっと押(おさ)えちまうんです。するともうサギは、固まって安心して死んじまいます。
あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「サギを押し葉にするんですか?標本ですか?」
「標本じゃありません。みんな食べるじゃありませんか。」
「おかしいねえ。」カムパネルラが首をかしげました。
「おかしいも不審もありませんや。そら。」
その男は立って、網棚から包みをおろして、手早くクルクルと解きました。
「さあ、ごらんなさい。今とって来たばかりです。」



「ほんとうにサギだねえ。」二人は思わず叫(さけ)びました。

「すぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」
サギ捕りは、青い嘴(くちばし)を、軽くひっぱりました。
するとそれは、チョコレートででも出来ているように、
すっと綺麗に剥がれました。
「どうです。すこし食べてごらんなさい。」
ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、
(なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。
こんなサギが飛んでいるもんか。
この男は、どこかそこらの野原のお菓子屋だ。
けれどもぼくは、この人をバカにしながら、この人のお菓子を食べている。
それは何だか、この人が気の毒だ。)と思いながら、
やっぱりポクポクそれを食べていました。
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」
やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、
思い切ったというように、尋(たず)ねました。
サギ捕りは、何か大変、慌てた風で、
「そうそう、ここで降りなきゃ。」と言いながら、
立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。


「どこへ行ったんだろう。」

二人が窓の外を覗くと、たった今のサギ捕りが、もう、
黄色と青白の美しい光を放つ、天の川の河原の上に立って、
両手を広げて、じっと空を見ていたのです。



と、突然、ガランとした桔梗(ききょう)色の空から、
さっき見たようなサギが、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、
いっぱいに舞い降りて来ました。
するとあのサギ捕りは、すっかり注文通りだというようにホクホクして、
降りて来るサギの黒い脚を両手でかたっぱしから押えて、
布の袋(ふくろ)の中に入れるのでした。
すると、蛍(ほたる)のように、袋の中でしばらく、青く光ったり消えたりしていましたが、しまいには、みんなぼんやり白くなって、
眼をつぶるのでした。
砂の上に降りたものは、
まるで雪の溶けるけるように、平べったくなって、
二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、
すっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
 サギ捕りは二十疋(ぴき)ばかり、袋に入れてしまうと、
急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾(てっぽうだま)にあたって、死ぬときのような形をしました。

「ああせいせいした。
どうも体に恰度(ちょうど)合うほど
稼いでいるくらい、いいことはありませんな。」
という聞きおぼえのある声が、ジョバンニの隣りですると、
もうそこに、サギ穫りは戻っていました。

「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか?」
「どうしてって、来ようとしたから来たんですよ。
おかしなことを言うねえ。
いったいあなた方は、どちらからおいでですか。」
 ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、
いったい自分が、どこから来たのか、どうしても思い出せません。
カムパネルラも、空(くう)を見ながら、何かを思い出そうとしているのでした。



「切符を拝見いたします。」
三人の席の横に、赤い帽子の車掌が、いつしか立っていました。

サギ捕りは、黙ってかくしから、小さな紙きれを出しました。
カムパネルラも、小さな、ねずみ色の切符を出しました。

車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなたのは?)というように、
指を動かしながら、手をジョバンニの方へ出しました。

「さあ、」ジョバンニは困って、もじもじしながら、洋服の中を探してみると、
憶えの無い紙切れが一枚、上着のポケットありました。



それは四つに折った、はがきぐらいの大きさの緑色の紙でした。
一面、黒い唐草(からくさ)のような模様の中に、
おかしな十ばかりの字を印刷したもので、
黙って見ていると、何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。


「これは三次空間の方からお持ちになったのですか?」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」
「よろしゅうございます。南十字(サザンクロス)へ着きますのは、
次の第三時ころになります。」
車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。

するとサギ捕りが横からチラッとそれを見て、慌てたように言いました。



「おや、こいつは大したもんですぜ。
こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。
天上どこじゃない、どこでも勝手に歩ける通行券です。
こいつをお持ちになれぁ、なるほど、
こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、
どこまででも行ける筈(はず)でさあ。
あなた方は、実際、大したもんですねえ。」

「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれをまた
畳んでポケットに入れました。


そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、
また窓の外をながめていましたが、
サギ捕りの時々大したもんだというように、
ちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。



「もうじき鷲(わし)の停車場だよ。」
カムパネルラが言いました。

 ジョバンニは何だか訳もわからずに、にわかにとなりのサギ捕りが気の毒でたまらなくなりました。
サギを捕まえて、せいせいした、と喜んだり、
得意気に袋を解いて、サギのお菓子を振る舞ったり、
ひとの切符をビックリしたように横目で見て、慌てて誉めだしたり、

本当にあなたのほしいものは、一体何ですか?
と訊(き)こうとして、
どうしようかと迷いながら振(ふ)り返って見たら、
そこにはもうあのサギ捕りは居ませんでした。

「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。どこかでまた逢うだろうか。
僕はどうして、もう少しあの人と話さなかったんだろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔なような気がしてたんだ。
だから今、僕、とてもつらい。」



「何だか苹果(りんご)の匂(におい)がする。
僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」
カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。



「あら、ここどこでしょう。まあ、綺麗だわ。」
十二ばかりの眼の茶色な可愛らしい女の子が、黒い外套(がいとう)を着て
不思議そうに窓の外を見ているのでした。

黒い髪の六つばかりの男の子はジャケットのボタンもかけず
ひどくビックリしたような顔をして裸足で立っていました。
隣りには黒い洋服をきちんと着た背の高い青年が、
額に深く皺(しわ)を刻んで、それに大変疲れているらしく、
無理に笑いながら男の子をジョバンニのとなりに座(すわ)らせました。
それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。
女の子は素直にそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。

青年も男の子の隣りにそっと腰掛けると、静かに語り始めました。

自分達の乗っていた船が、氷山にぶっつかって沈んだこと。
自分はこの子たちの家庭教師だということ。
この子達を助けるのが自分の義務だと思い、救命ボートに乗せようとしたが
前にいる子供らを押しのけて、自分達だけ助かることが、どうしても出来なかったこと。
そんなにして助けてあげるよりは、このまま神の御前(おんまえ)に
みんなで行く方が、この子達の本当の幸福ではないか、と思ったこと。

「私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。
誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども、滑ってずうっと向うへ行ってしまいました。
私は力任せに甲板の格子になったとこを剥がして、三人それにしっかり
掴まりました。
どこからともなく讃美歌の声があがりました。
たちまちみんなはいろいろな国の言葉で一ぺんにそれを歌いました。
その時にわかに大きな音がして私たちは水に落ち、
大きな渦に入ったと思いながらしっかりこの子達を抱いて
それからボウッとしたと思ったらもうここへ来ていたのです。」


車内から小さな祈りの声が聞え、ジョバンニもカムパネルラも
今まで忘れていたいろいろのことをぼんやり思い出して眼が熱くなりました。



隣の席の灯台守らしい男が、慈しむような声で言いました。
「何が幸せかは、わからないものです。
どんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中での出来事なら、
みんな本当の幸福に近づく、一歩ずつなのですから。」
 
「ああそうです。ただ一番の幸せに至るために
いろいろな悲しみも、みんなおぼしめしです。」
 青年が祈るようにそう答えました。
 そしてあの姉弟はもう疲れて、めいめいぐったり席によりかかって睡っていました。
さっきのあの裸足だった足には、いつの間にか白い柔らかな靴が履かされていました。



ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光(りんこう)の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、百も千もの大小さまざまの三角標が、
まるで幻燈のようでした。


「本当の幸せってなんだろう
お母さんが幸せになるために、僕は何が出来るだろう。
ここに居る人達は、みんな幸せなんだろうか。
でも、このままカンパネルラと一緒にいられるなら、僕は嬉しい。」











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「銀河鉄道の夜 3」

2009-01-05 | 「銀河鉄道の夜」絵本



にわかに川の向う岸が赤くなりました。
楊(やなぎ)の木や何かもまっ黒に透かし出され、見えない天の川の波も
ときどき、ちらちら針のように赤く光りました。
向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃され、
その黒い煙は高く桔梗(ききょう)色の冷たそうな天をも焦がしそうでした。
ルビーよりも赤く透き通り、リチウムよりも美しく酔ったようになって
その火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせば出来るんだろう。」ジョバンニが言いました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが地図と首っ引きで答えました。
「あら、蝎の火のことなら、あたし知ってるわ。」
「蝎の火ってなんだい。」ジョバンニが聞きました。
「蝎が焼けて死んだのよ。その火が今でも燃えてるって
あたし何遍もお父さんから聞いたわ。」
「蝎って、虫だろう。」
「ええ、蝎は虫よ。だけどいい虫だわ。」
「蝎はいい虫じゃないよ。僕、博物館でアルコールにつけてあるの見た。
尾にこんなカギがあって、それで刺されると死ぬって先生が言ったよ。」



「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さん、こう言ったのよ。
昔、バルドラの野原に一ぴきの蝎がいて、
小さな虫やなんか殺して食べて生きていたんですって。
するとある日、イタチに見つかって食べられそうになったんですって。
さそりは一生懸命逃げたけど、とうとうイタチに押えられそうになったわ、
その時いきなり前に井戸があって、その中に落ちてしまったの。
そしてもうどうしても這い上がれなくてサソリは溺れ始めたのよ。
その時、蠍は、こう言ってお祈りしたというの、
 ああ、わたしは今まで幾つの命を奪ってきたかわからない、
そしてその私が今度イタチに追われた時は、あんなに一生懸命逃げた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああ、何にもあてにならない。
どうしてわたしは、わたしの体を黙ってイタチにくれてやらなかったろう。
そしたらイタチも一日生き延びたろうに。
どうか神様。私の心をごらん下さい。
こんなに虚しく命を捨てず、
どうかこの次には真(まこと)のみんなの幸せのために私の体をお使い下さい。って言ったというの。
そしたらいつか蠍は自分の体が真っ赤な美しい火になって燃えて
夜の闇を照らしているのを見たって。
今でも燃えてるってお父さん仰(おっしゃ)ったわ。
本当にあの火、それだわ。」

その真っ赤な美しいサソリの火は、音も無く、明るく明るく燃えたのです。


 その火がだんだん後ろの方になるにつれて、
賑やかな楽器の音や、人々の口笛や歌声やらが近づいてきて
草花の良い匂いまでしてくるのでした。
それはもうじき町か何かがあって、
そこでお祭でもあるというような予感をおこさせました。

「もうじき南十字です。降りる支度(したく)をして下さい。」
青年がみんなに云いました。



「僕、もう少し汽車へ乗ってるんだよ。」男の子が言いました。

女の子はソワソワ立って支度をはじめました。けれども、
せっかく仲良くなったジョバンニ達と別れたくないような様子でした。

「ここで降りなきゃぁいけないのです。」
青年はきちっと口を結んで男の子を見おろしながら云いました。

「厭だい。僕もう少し汽車へ乗ってから行くんだい。」
 
ジョバンニがこらえ兼ねて云いました。
「僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符を持ってるんだ。」

「だけどあたしたち、もうここで降りなきゃいけないのよ。
ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子が淋しそうに云いました。

「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。
ぼくたちここで天上よりも、もっといいとこをこさえなけぁいけないって
先生が言ったよ。」

「だっておっ母さんも先に行ってらっしゃるし、
それに神様がおっしゃるんだわ。」

「そんな神様、うその神さまだい。」

「あなたの神様、うその神さまよ。」

「そうじゃないよ。」

「あなたの神様ってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。

「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしに、本当のたった一人の神様です。」

「ほんとうの神様は、もちろんたった一人です。」

「ああ、そんなんでなしにたった一人の本当の本当の神様です。」

「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまに、
その本当の神様の前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります。」

青年はつつましく両手を組みました。
女の子もちょうどその通りにしました。
みんな本当に別れが惜しそうで、その顔色も少し青ざめて見えました。
ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出そうとしました。

「さあもう支度はいいんですか。じきサウザンクロスですから。」
 ああその時でした。



見えない天の川のずうっと川下に青や橙(だいだい)や、
もうあらゆる光で散りばめられた十字架(じゅうじか)が、
まるで一本の木という風に川の中から立って輝き、
その上には青白い雲が、丸い環(わ)になって後光のようにかかっているのでした。
汽車の中がザワザワしました。
みんなあの北十字の時のように真っすぐに立ってお祈りをはじめました。
あっちにもこっちにも子供が瓜に飛びついた時のような喜びの声や
何とも云いようない深い慎ましい溜め息の音ばかり聞こえました。

そしてだんだん十字架は窓の正面になりあの苹果(りんご)の肉のような青白い環の雲も、ゆるやかにゆるやかに繞(めぐ)っているのが見えました。

「ハルレヤハルレヤ。」
明るく楽しくみんなの声は響き、
みんなはその空の遠くから、冷たい空の遠くから、
透き通った何とも云えず爽やかなラッパの声を聞きました。

そしてたくさんのシグナルや電燈の灯(あかり)の中を
汽車はだんだん緩やかになり、とうとう十字架のちょうど真向いに行って
すっかり停まりました。

「さあ、下りるんですよ。」
青年は男の子の手を引き、だんだん向うの出口の方へ歩き出しました。

「じゃさよなら。」女の子が振り返って二人に言いました。



「さよなら。」ジョバンニはまるで泣き出したいのを堪えて、
怒ったようにぶっきら棒に言いました。

女の子はいかにも辛そうに眼を大きくして、もう一度こっちを振り返って
それからあとは、もう黙って出て行ってしまいました。

汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄(にわ)かに伽藍(がらん)
として寂しくなり、風がいっぱいに吹き込みました。
 
そして見ていると、みんなは慎(つつ)ましく列を組んで
あの十字架の前の天の川の渚に膝まづいていました。
そしてその見えない天の川の水を渡って、一人の神々(こうごう)しい
白い着物の人が、手を伸ばしてこっちへ来るのを二人は見ました。

けれどもそのときはもう硝子(ガラス)の呼子(よびこ)は鳴らされ
汽車は動き出しと思ううちに、銀色の霧が川下の方からすうっと流れて来て
あっという間に、そっちは何も見えなくなりました。

振り返って見ると、さっきの十字架はすっかり小さなペンダントのようになって、さっきの女の子や青年たちが、その前の白い渚(なぎさ)に
まだひざまずいているのか、それとも天上へ行ったのか、
ぼんやりして見分けられませんでした。




ジョバンニは、あぁと深く息をしました。



「カムパネルラ、また僕たち二人きりになってしまったねえ、
僕たちは決して離れないで、どこまでもどこまでも一緒に行こう。
もう僕は、本当にみんなの幸せのためならば、
あの蠍(さそり)のように、体を百ぺん焼かれてもかまわない。」

「うん。僕だってそうだ。」
カムパネルラの眼には綺麗な涙が浮かんでいました。

「けれども本当の幸せって一体何だろう。」ジョバンニが言いました。

「僕、わからない…。」カムパネルラがぼんやり言いました。

「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧(わ)くようにふうっと息をしながら言いました。

「あ、あそこ、石炭発掘場の穴だよ。」

カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら
天の川のひととこを指さしました。
ジョバンニはそっちを見て、まるでギクッとしてしまいました。



天の川の一とこに大きな真っ暗な孔がドンと空いているのです。

その底がどれほど深いかその奥に何があるか
いくら眼をこすって覗いても何も見えず
ただ眼がしんしんと痛むのでした。

ジョバンニが言いました。
「僕、もうあんな大きな暗(やみ)の中だって怖くないよ。
きっとみんなの本当の幸せを探しに行く。
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こうね。」

「ああきっと行くよ。
…ああ…、あそこの野原、なんて綺麗なんだろう。
みんな集ってる。
あそこが本当の天国じゃないだろうか。
あっ!あそこにいるの、ぼくのお母さんだ。」

カムパネルラは俄(にわ)かに、窓の遠くに見える綺麗な野原を
指して叫びました。
 
ジョバンニがそっちを見ると、
そこはぼんやり白く煙っているばかりで、
どうしてもカムパネルラが言ったように思えませんでした。

「カムパネルラ…、…僕たち絶対に一緒だよ。」

そう言いながら、ジョバンニが何とも言えず不安になって
もう一度、振り返って見たら、
今まで座っていた席に、もうカムパネルラの姿はありませんでした。

ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。

「カムパネルラッ!!カムパネルラ~ッ!!」



そして誰にも聞えないように窓の外へ体を乗り出して
力一杯、激しく胸を打って叫び、
それからもう咽喉いっぱい泣き出しました。


もうそこらがいっぺんに真っ暗になったように思いました。



「おまえはいったい何を泣いているの。」

今までたびたび聞こえた、あの優しいチェロのような声が
ジョバンニの後ろから聞こえました。

「おまえの友達がどこかへ行ったのだろう。
あの人はね、今夜、川に溺れた友達を助けようとして
自らの命を落としたのだ。
そして今夜、本当に遠くへ行ったのだ。」

「ああ!、どうしてなんだ。
ぼくたちは、真っすぐ一緒に行こうと、
さっき約束したばかりなんです。」



「あゝ、そうだ。みんながそう考える。
けれども一緒には行けない。
おまえが、あらゆる人の一番の幸せを探し、そのために生きたら
その時、その場所でだけ、おまえは本当にカムパネルラと一緒に居られるのだよ。」

「あゝ、僕もそれを求めています。
でも、なんで…
さっきまでカムパネルラと一緒だったのに…」

「おまえのひたむきな心が、カムパネルラの心と重なり合ったのだ。
おまえの居る世界では、目に見えぬものをなかなか信じないだろう。
だが、ここでは、そういうことは、あたりまえのことなのだ。

おまえはおまえの切符をしっかりもってお行き。
お前はもう夢の鉄道の中ではなく、本当の世界の火や、激しい波の中を
胸を張って真っすぐ歩いて行かなければいけない。
宇宙でたった一つの、おまえだけのその切符を、
決して無くしてはいけない。」






あのチェロの声が、そう言い終わると、
ジョバンニの目の前から、天の川が遠く遠くなって、
風が吹き、
気が遠くなるような心持ちで目を開くと
自分は丘の上で眠っていたことに気付きました。



「ああ、カンパネルラ…
お父さん、お母さん… 」

何かいろいろのものが、いっぺんにジョバンニの胸に集まって
何ともいえず、哀しいような、新らしいような気がするのでした。

琴の星がずっと西の方へ移って、変わらずに瞬いていました。














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